旅立ちの風景
駅前の大通りを少し入った道、人気のないそんな場所を僕と朱音先輩は並んで歩いていた。
「珍しいね、キミが私の家まで送ってくれるなんて」
付き合いを始めたばかりの頃みたいだ、と先輩は嬉しそうに言った。
「さすがに、こんな日くらいは」
そう言いながら、僕は携帯を開く。シンプルな待ち受け画面は今日もしっかりと月日と時間を表示してくれていた。三月三十日、十一時四十分、僕は静かに携帯を閉じる。
「何を見てたんだ?」
首を少しこちらに傾けながら先輩は言う。
「別に、時間を見てただけですよ」
「あ……」
僕が何で時間を見ていたか察したのだろうか、先輩はそれっきり黙ってしまった。
(後、二十分しかないんだ……)
そう、一五分が過ぎ去れば三一日、それは朱音先輩、正確にはもう先輩は学校を卒業しているから先輩ではないけど、が遠くに行ってしまう日だった。
「まぁ、大学が遠いと言ったって、日本の中じゃないか。それも会おうと思えば半日出会える距離だ」
先輩は進学先が決まったと報告に来た日にそう言って、遠距離恋愛を肯定していた。だけれど……。
「あの、先輩」
僕が考え込んでいる間に少し先に行ってしまっていた先輩は立ち止まってこちらに向いた。
「お話があります」
いつもはしない、こんな真剣な口調に先輩はただ静かにに次の言葉を待ってくれていた。
「僕達、別れましょう」
自分がどんな表情をしていたかわからない、でもこんな心にもない事を冷静に言えたのは意外だった。
「どうして?」
そう表情を変えずに先輩が問う。さすが、先輩はすっと引いてくれはしない、クールに見えてそんな強情な所も僕は好きだ。
「先輩は、遠くに行ってしまいますよね、それで、もし僕の事が枷になってしまったらと心配に思うんです」
「ちょっと、意味がよくわからないわ」
顎に手を当てながらそう返してくる。
「遠くに行ってしまったら、滅多には帰って来れないでしょう。そうしたら、僕達の連絡は携帯電話だけになってしまって、お互いの顔も見れない日々が続くんですよ」
そうだな、と先輩は相槌を打つ。
「そうなってしまった時に、もしお互いに別の……、好きな人ができてしまったら――」
僕がそこまで言った時だった。「ちょっと待って」
そう言いながら先輩はつかつかとこちらに詰め寄った。その表情は滅多に見せない怒りの表情だった。
「君は今、別の好きな人ができたら、と言ったわね」
あまり感情を表に出さない、そんな先輩の久しぶりに見る怒りに満ちた表情に僕は首を縦に振る事しかできなかった。情けないな、と思う。
「キミは私の事を、キミの好意をそんな簡単に裏切るような、そんな人だと思っていたの?」
「い、いえ、そういうワケじゃないですよ、ただ……」
「ただじゃないわ。それじゃ、キミは現在私以外の人にきょうみがあるの?」
「そ、そんな事あるわけないじゃないですか!」
そう言うと、先輩は後ろに一歩離れた。
「じゃあ、何でいきなり別れようなんて」
はぁ、と息をつきながら先輩はこっちを見て言った。
「だから、お互いの――」
「今、お互いに好きな人はいない。それなら今はこんなことしなくてもいいでしょ」
それに、と先輩は矢継ぎ早に続ける。
「君は携帯しか連絡が取れなくて、とも言ったが、君が来てと言えば私は平日だろうとこっちに来るわ。学校なんて一日二日休んでもいい。それに、携帯で私に本当の別れ話を言うのが嫌ならば事後報告でも私はいい」
まぁ、私からは絶対にそんな話はしないけど、と先輩は断言した。
「で、これでも君は私と別れるというのかな? ん?」
「すいません、僕が馬鹿でした……、こんな僕でもよければ今後もよろしくお願いしたいです」
僕がそう言うと、先輩はくすくす笑いながら、先輩は腕時計を見る。
「あ、もうこんな時間だ」
そう言い、僕の腕を取るといきなり走りだす。
「ちょ……、どこへ行くんですか!」
「いいから黙って付いて来なさい」
そう言って深夜の路地を走りぬける。
「っと、ここでいいかな」
数分走り続けて着いたところは小さな公園、そこには特に目立ったものは何もない、しいて言えば大きな時計が一つだけ。
「さぁ、あそこに時計があるわね」と先輩は指を指す。気がつくと時計の長針と短針は頂点で重なろうとしていた。
「六……五……四……三……」
先輩は数え、そのカウントがゼロになった。
「さて、今日は何の日かは知っているよね?」
三一日、それは……。
「先輩が旅立つ日……ですよね?」
「はぁ……、やっぱりその事しか頭になかったのね、キミは」
そう言うと、先輩は手帳を取り出す。
「去年の今日を見て、他はあまり見ないでほしいけど」
そう言われ、ペラペラとめくる。「あ……」
僕が開いた二〇一〇年のそのページ、そこには『付き合い始めた日』と赤いペンで書かれていた。
「わかった?」
僕の手から手帳を取りながら先輩は言う。
「まさかそこまですっかり忘れられているとは思わなかったなぁ」
「す、すいません……」
まさか忘れてしまっていたとは、本当に失敗だった。これにさっきのいきなりの別れ話、先輩があれだけ怒っていたのも頷けた。
「私はキミが覚えていて欲しかったなー?」
攻撃どころを見つけた先輩はそこを突いてくる。
「本当にすいませんでした……」
どうしよっかなー、先輩は手帳で口元を隠しながらそう呟く。そんなことしなくても笑ってるのはわかりますって……。
「そうねぇ……。二つ条件があるわ」
そう言って先輩はニヤリと笑った。
翌日、僕と先輩は駅のホームに立っていた。
「それじゃ、体に気をつけるようにね。勉強もしっかりするんだよ」
大きな荷物を背負った先輩はしきりに僕のことを心配していた。
「あの、そういうセリフ、主に全車は僕が言うものなんじゃ……」
「細かいことはいいの。それに私の身体は丈夫だから」
どこからそんな自身が来るのやら……。
「それじゃ、行ってきます。……昨日の約束、忘れないようにね」
ウインクを一つこちらに向けてから、先輩は新幹線に乗り込んだ。同時にその車体はレールを滑っていった。
数ヵ月後、僕は電車に乗っていた、。デッキに出ると、ポケットから携帯を取り出す。「メールが届いています」
そんな文字が点滅していた、誰からなのかは見なくてもわかる。僕と先輩の約束その一、メールは欠かさない。具体的には届いたメールには間髪入れずに返すという条件付きだった。僕は携帯を開く、そこには二つ目の条件に関わることが書いてあった。
この電車が駅に着くまではもうすぐだ。
とある地方都市の駅に降りる。結構重い荷物を持つ僕としては辛いのだが、どうせもうすぐでこいつからも解放だ。改札をくぐると僕は周りを見渡した。ムダに広い通路、対面のガラス張りの壁際に、その人は立っていた。
「久しぶりね」
白いワンピースに、麦わら帽子をかぶった先輩が居た。
「それは何をイメージした服装ですか?」
「いえ、何となく君好みかと思って」
この人は僕をどういう風に見ているのだろうと思ったけれど……。
「とりあえず、お久しぶりです。二つ目の約束を守りにきました」
「あら、よく守れたわね。親御さんにはどうしたの?」
「有能な先輩に勉強を教わると言ってきました。……、というか親は僕達のことを知ってますから」
そう言うと、先輩はくすくすと微笑んだ。
「それじゃ、有能な先輩としてきっちりと勉強を教えないとね」
そう言うと、行きましょうか、と言って僕の荷物を一つ持つ。
もう片方の手をこちらに向けると、僕の顔を見つめた。僕がその手をしっかりと握ると、満足気に笑い、歩き始めた。
二つ目の約束、年に二週間は会うようにすること。
僕達の暑い夏はまだまだ始まったばかりだ