10話 疾走するインテリジェンスのカタルシス。
「どうしてこうなった!!」
結論から言うと、シアさんの寝顔を拝むミッションは今晩も失敗いたしました。
厳密には途中までは上手い具合にコトが進んでたんです。
ログハウスの意外と広いリビングで調達してきていたパンやらスープやらを食べ、和やかにお互いの世界のことを話してたあたりまでは順調だったんです。
で、シアが疲れたから寝ると言い出して、部屋に入っていったわけですよ。
俺も自分に充てがわれた部屋に一旦入って、シアが寝静まるのを待ち、十分に時間が経ったのちに行動を始めたんです。
部屋の中からは物音ひとつしませんでしたし、念のためにとそこから更に時間を掛けて本当に寝ているかどうか慎重に確認したんです。
いや本当にシアを襲って性的にどうこう、ってのは考えてないんですよ?
昨日サラマンドラ氏に邪魔された分、今夜こそ寝顔見てやるぞってちょっと熱くなってはいましたが。
やってることは完全に性犯罪者の挙動ではあるのは承知の上です。
けれど諦めたらそこで試合は終了だと思います!思ったん、です……。
ドアノブに手をかける。
音がしないように少しずつ、少しづつノブを回していく。
カチャ……リ。
次にドアをゆっくりと開けていく。焦らずに、あくまでも静かに。
じりじりと牛歩な感じでドアを僅かずつ開けていく。
まずシアの部屋の床が見え、次に向こう側の壁が見え、ベッドの端が見えました。
もうちょっとで俺がギリギリ入れる程度の隙間が開く……!
そして最後の一押しとゆっくりとドアを押す。
押したところで。
ドアの向こう側に立っていた、満面の笑みのシアと、目があった。
「ホギャアアアアアアアアアアアアアア!!」
「サラマンドラが言っておった通りじゃったの」
曰く、サラマンドラ氏がどうせ俺が今晩も来るだろうと言っていたとのこと。
あんのトカゲ野郎、アフターケアも万全ですか……!
結果、サラマンドラ氏の忠言を聞き入れたシアはこうして俺を待ち伏せしていたらしい。
凄みのある笑顔のシアは俺に毛布を持たせ、ログハウスの外へ放り出すと、
「――ノーム。『私以外のモノに』『拒絶を』」
と家を指差し精霊術を行使した。家全体を光の粒が覆い、吸い込まれるようにして消えていく。
「これでこの家には私以外誰も入れぬ様になった。音も衝撃も伝わらん。何、朝まで外で過ごしておれば頭も冷えるじゃろう?」
「え、あ、ちょっと!」
「おやすみ」
バタン。無常にも扉が閉められた。
慌ててドアを叩きつつシアに謝るが、本気で防音仕様になっているらしく、中からシアの応える声はない。
しばらくドアをドンドンと鳴らしてみたが、一向にシアがやってくる気配はなかった。これは本気で外で寝ろ、ということなんでしょうか。
こうして俺の、異世界の夜空のもとでの就寝が決定したのでした。
とはいえ眠れるわけないじゃないですか!毛布が一枚有るとはいえ夜風は流石に体に悪いですよ!
地面に寝転がるのも嫌だったので、仕方なく家の玄関前に毛布にくるまり横になる。
幸いにして玄関前は踊り場になっているから寝転がるスペースがあるし、落下防止のためか枝が密集して生えているので寝転がっても樹の下へズドンとなることはなさそうだ。
それに玄関前で寝ていれば、俺を哀れに思ったシアが家の中に招き入れてくれるかもしれないし。ぜひ招き入れてくださいお願いします。
ふと眼下を見下ろせば、黒霧号が草の上に足を折って就寝体制に入っていた。
動物って逞しいと思いながら、やることもなくなった俺は静かに目を閉じたのだった。
◇◯◇
ヒヒイイイイン!!
「……んが?」
けたたましい鳴き声に、眠りの底から引き揚げられる。
いつの間にか寝ていたらしい。こんな環境で眠れるとか人間って結構しぶとい生き物なんじゃないでしょうか。
寝ぼけ眼をこすりこすり、声のした方に眼を向ける。
踊り場から身を乗り出し、下で寝ていた黒霧号を見ると、
「――――あ?……あ?」
なんか大変な事になっていた。
暗くていまいちよく分からないのだが、黒霧号が体に何かをしがみつかせたままバタバタと激しく暴れていた。
それだけではない。
黒霧号にくっついたものの他にも、周囲には蠢く影が大量に在った。
それらが今、この巨木の下にわらわらと集結しつつある。
一つ一つの影は人間の子供程の大きさで、最初は盗賊か誰かが黒霧号を盗もうとしていたのかと思ったのだが――違う。
暗闇に慣れてきた目を凝らせば、その影の表面がぬめぬめとした光沢としており、星の光に薄くてかっている。
形状も人間とは違っていた。
ヒレのような突起が頭から背中にかけて生えており、背骨がまっすぐではないのか、前傾姿勢になっている。
そのくせ二足歩行をするものだから、動きがいちいち滑稽に映る。
何より、魚としか言いようのないその頭部が、影が人間ではないことを示していた。
「半魚、人?」
思ったことが口を衝いて出る。
そう、半魚人だ。魚の頭部を持ち、体は鱗に包まれ、手足には水かきを持った――他に形容のしようがない半魚人たちが、この巨木へ向かって群がってきていた。
黒霧号は3体ほどの半魚人にまとわりつかれ、悲痛な叫び声を上げている。
半魚人たちが友好的でないのは見るだに明らかだ。やつらは魔族ではなく、たぶんモンスターに分類される生き物だ。キュエエキュエエと奇声を上げる姿に知性なんて欠片も感じない。
「なっ、おい、やばいですってこれ!シア!起きろシア!」
動転してドアを殴りつけるようにして叩く。けれどもいくら叩こうとシアは出てこない。
……防音機能、ウルトラ完璧……!
シアの行使した精霊術によって守られた家は、外からの音を完全に通していないようだ。
これでは俺がいくら呼びかけたところでシアが気づきそうにもない。
そうしている間にも黒霧号の藻掻く音と、半魚人たちの上げる奇声はますます激しくなっていく。
なんでこんなところに半魚人がと思い、そういえばこの丘から見える場所に大きな湖が在ったことに思い至る。
あそこからやってきたんですか……!
この旅路に危険なところはないんじゃなかったんですか!とこの場にいないシアにツッコミを入れるが、当の本人はちゃっかり家内で静かにおやすみタイムなので確かに危険はない。シアだけは。
音も衝撃も伝わらんとか言ってたから、例え半魚人たちが樹上に辿り着いても平気だろうし。
今ここで危ないのは俺と、半魚人に襲われている黒霧号だけだ。
黒霧号は木に結ばれた手綱が邪魔をして、半魚人たちから逃げることが出来ないでいる。
後ろ足で蹴り上げたりして近づいてくる半魚人を追い払ってはいるものの、既に背中に飛びついている一匹はどうしても振り切れないでいる。
半魚人にはどうやら牙があるようで、噛み付いたまま黒霧号からぶら下がっていた。
噛み付かれた部分からは少なくない血が流れ出ており、その様はピラニアの群れに落ちた動物そのものだ。
端的に言うと、黒霧号の命がマジで危ない。
「黒霧号……!」
半魚人たちがこちらに昇ってくる様子はない。梯子を昇るという知恵がないのか、単に見つけていないだけなのかはしらないが、今のところ俺のいる場所は安全地帯だ。
だが下にいる黒霧号は違う。一体何匹いるんだと言いたくなる数の半魚人に囲まれ、いま正に殺されかけている。
必死に足掻く黒霧号。襲いかかる半魚人。
俺はどうすることもできず、その様を見ているしかなかった――と。
ヒヒィ……ン!
黒霧号の足に数匹の半魚人が同時に跳びかかり、黒霧号が地面に引き倒された。
その上へ、好機とみた半魚人たちが次々に襲い掛かっていく。
必死に立ち上がろうとする黒霧号が、樹上に居る俺の方を向いた。
夜の中でも煌々と輝く双眸がこちらを懸命に見つめる。
――たすけて
「……ッ!」
言葉はない。黒霧号もモンスターだ。言葉を喋れるわけがない。
けれど黒霧号は、確かに助けを求めていた。
胸が詰まる。
誰に?――俺だ。
どうして?――今日、手綱を引いて歩いていたのは誰だ。
その手綱を、木に結びつけたのは、誰だ?――言うまでもない、俺だ。
俺だって助けられるものなら助けてやりたい。だが、俺が出ていってどうなる。
ただ異世界から拉致されてきただけの俺が。
シアに世話になってばかりの俺が。
魔術も発動すらしない俺が。
巻き込まれただけの、俺が。
無理だ、助けられない――。
……ネガティブな思考に陥っていた俺は、ソレに気付くのが遅れた。
ガシュウウウ!
「いてええええええ!?」
肩に信じられないほどの激痛が走る。
見ると俺の左肩に、忍び寄ってきていたのだろう半魚人が一匹、深く噛み付いている。
間近で見る半魚人は目が半ば鱗に埋もれるようにして存在しており、表面はぬめる粘液で包まれている。
こちらは樹上だと思って、迂闊にもコイツの接近を知ることが出来なかったのだ。
血が流れだしてくる。
――代わりに、知識が、流れこんでくる。
>>サハギン
水中を主な棲家とする。肉食。口内にある牙と、背部のヒレにある毒針によって獲物を仕留める。
集団での狩りを行い、気性は非常に獰猛。血の臭いにより興奮する……
[以下は□□□□の知識に蓄積する]
>>水生生物の生態について
この世界における水生生物は……
[以下は□□□□の知識に蓄積する]
――俺は、このモンスターを、理解した。
――俺は、この世界における水生生物を、理解した。
いつも以上に膨大な量で。感じたことのない速さで。知識が加速し理解が白熱する。
激流を彷彿とさせる知識の波が、俺の中に押し寄せる。
特にもサハギンの生体に関しての知識量の取込み方は、それまでの知識の流入の比ではない。
まるでサハギンをこの身に取り込んだかのよう。
サハギンのことであれば筋肉の動かし方一つ一つの動作さえ説明が可能。
ああ、知るということは素晴らしい。
理解が及ぶ。道理が通る。全知の一端への精通、罷り成る。
俺は理解する。知識量が一定に達し、俺というものの一端をも理解する。
俺は――。
俺は、この俺の身に宿った力を、理解した。
読んで下さりありがとうございます。
補足ですが、主人公の能力発動時の文章の末尾に付く「……」は以下略という意味で使っております。