1話 家に帰るとドアから手が生えていました。
家に帰るとドアから手が生えていました。
唐突ですが自己紹介をしようと思います。
俺は天原冬弥。18歳です。
身長は170センチとちょっと。体型は太りすぎず痩せすぎず。まあ普通。
家族構成は両親と俺、それと4つ下の妹の4人。
俺自身のイケメン度は妹に言わせると「アニキの顔?黙ってるとそれなり。喋ってると馬鹿」だそうです。
それって面の良さ関係なくね……?と思わなくもありません。
そんな俺はこの春、特にめでたくもなく浪人となった健全な男子です。
浪人になった原因は、持ち前の方向音痴が遺憾なく発揮された結果、試験会場に辿りつけなかったというステキな理由です。
この受験生なら一度は危惧するものの絶対に嵌らない罠っぽい何かにかかってしまったが為、
妹からはニート呼ばわりされるようになりました。
過ぎた事は仕方ないので、今はコンビニのアルバイトをしています。
ニート呼ばわりされるのも嫌だったことですし。
以上、簡単にですが自己紹介でした。
……いやすんません。ちょっと状況把握する必要があったんです。
何せ意味が分からないことが起こってるんです。
――時は10秒くらい前まで遡る……。
「あー、今日も疲れた……。適当に勉強して寝よっかなあ……」
コンビニのバイトを終え、帰宅した俺は重い足を引きずり階段を登っていく。
早朝から昼までのシフトだったので、眠気が今になって襲いかかってくる。
2階に位置する自室まで辿り着くまでが非常にだるい。
「よし寝よう。うん寝ましょう」
浪人生と言う立場は家庭内でも微妙なものの、この時間の自宅には俺以外だれもいない。
両親は共働きだし、妹は今頃学校だ。
ここで寝ても誰に咎められるわけでもない。
決意した俺はベッドに飛び込むべく自室のドアを開こうと――。
むにゅ。
ドアノブに手をかけたはずの左手が、何か暖かくて柔らかい感覚に包まれる。
かすかに湿った感覚もある。
「えっ……?」
びっくりして手元を見やる。
ドアノブをひねるべき場所には確かに俺の左手があった。
ただし、握っているのはドアノブでなく、ほっそりとした女性のものと思われる白い手だったが。
ドアノブが有るべき場所から、手首より先と思われる誰かの手が生えていた。
そして俺はその手とがっちり握手をしていた。
「…………!?…………!!?」
人間、驚き過ぎると声も出ず、むしろ現実逃避を始めるのだと初めて知った。
そして現実逃避から帰ってくると必死になるということも合わせて知った。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアス!!離せえええええええええええ!!」
自分でもビビるような悲鳴を上げつつ手を離そうとしたのだが、ドアノブ手(仮)はガッシと俺の手を握って離さない。
全力で後ろに体重を掛け、倒れこむようにして逃げようとするも、ドアノブ手(仮)はその細指からは想像の出来ない握力で以て俺の手をロックしている。
なにこれ超怖い、ホラーですか!なんかの妖怪ですか!どうなるの俺!
――ズ……ズズ……。
妙な音までしてきた。
半ば恐慌に陥りつつ、ドアノブ手(仮)を見ると、変な擬音を伴いつつドアに沈み込んでいく最中だった。
勿論、俺の手を掴んだまま。
「何処に連れてく気ですかあああああああああああ!!」
言う間にもドアノブ手(仮)はどんどんドアへと潜っていこうとする。
ガチ心霊体験だコレ、などと思う無駄に冷静な部分を意識的に思考の隅に追いやり、俺は全力で抵抗を試みる。
壁に足を掛け、空いていた右手で連れ去られつつある我が左手を握り締め、飲み込まれまいと懸命に堪える。
しかしドアノブ手(仮)も諦めずにこちらを引きこみ続ける。
「ぐぬおー!ぐぬおおおー!」
力と力が拮抗する。
どうやらドアノブ手(仮)もそれ以上強い力で引き込むことは出来無いらしく、膠着状態になった。
しかし依然として油断は出来ない。
このホラーな状況から逃れる術を考えねばなるまい。
こういったときの対処法と焦る頭で考え、咄嗟に俺は思いついた。
「観自在菩薩……!色即是空空即是色……!」
お経。確か般若心経だったとは思うが、なんとなく覚えている部分だけを何度も唱える。
古今東西、化物の類は有難いお経に弱い、はず。っていうか弱点であってくださいお願いします。
「ぎゃーていぎゃーてい……はら?ぎゃーてー……!」
藁にも縋る思いでお経を唱え続ける。
永遠にも思える時間が流れる。実際には数十秒の出来事なのだろうが。
と。
パッ、とドアノブ手(仮)が唐突に俺の手を離した。
「うおっーッ!?」
突然離されたため、俺は強く尻餅をつく格好で転んでしまった。
臀部が凄く痛いが、俺としてはそれどころではなかった。
「ハ……ハハ……助かった……」
全身から力が抜ける。一刻はドアに引きずり込まれるかと思ったが、俺は助かった。助かったんだ!
ここに至って初めて気づいたが、ドアノブ手(仮)とドアの境には黒い靄のような物が立ち込めている。
どうやらあの黒い靄から生えていたようだ。
ドアノブ手(仮)を伺うと、何処か諦めた(ように見える)雰囲気を纏ってズブズブとドアに消えていく。
どうやら俺はドアノブ手(仮)との戦いに勝利したらしい。
やがてドアノブ手(仮)が殆どドアに沈み、見えなくなるのを俺は転んだまま見つめていた。
腰が抜けて動けなかったというほうが正確なのだが。
――この時、這ってでもこの場から逃げ出していれば、俺の人生は狂わなかっただろうに。
ドアノブ手(仮)があと爪ひとつ分で完全に消える、というところまで来たところで、沈むのをやめた。
なんか無性に嫌な予感がする。
俺とドアノブ手(仮)の間に沈黙が下りる。ドアノブ手(仮)は最初から喋っていないが。
そして。
無闇に動くと相手を刺激してしまう、とか野生動物に対する心得みたいなモノを思い出していた俺は、反応が遅れた。
ドアノブ手(仮)が急激に成長したように見えた。此方に向かってぐんぐんと。
「何ですとおおおおお!?」
ドアノブ手(仮)がドアノブ腕(両腕)に進化して俺の足を掴んできたのだ。
先程は手首の先程度だったというのに、今度は肘上程度までがドアから生えてきた。
それも両手だ。
「ちょ、それ、卑怯ー!!」
本気過ぎるでしょうドアノブ腕(両腕)さん!
しかもどうやら先ほどより力が込められているらしく、爪が食い込む勢いで握られている。
今度こそ抵抗できずに俺はドアへと飲み込まれていく。
「ぐおおー!!」
つま先が黒い靄に触れる。
特に痛みなどは感じなかったが、ぬるま湯に使ったかのような温い感覚があった。
ぐにょり。
足首までが靄に飲み込まれた。
お湯に浸した食パンを踏んづけた感覚といえばいいのだろうか、不快な感触がする。
そこでドアノブ腕(両腕)の引っ張り込もうとする力が一気に強くなった。
見る見るうちに俺の体が侵食されていく。
もう顎下までがドアに沈んでいる。
「誰か、誰か助け……」
こうして、抵抗虚しく、容赦のないドアノブ腕(両腕)によって俺はドアの中へと引きずり込まれたのだった。
意識はここで一旦途切れている。
読んでいただきありがとうございます。
こちらの小説は不定期更新です。
作者のゆるいペースで更新されていきます。
どうぞよろしくお願いします。