【企画candy store】裏表ラバーズ
第五回candy storeの参加作品。お題は「みたらし団子」です。
優馬はたぶん、わたしのことをあんまり好きじゃない。だから振る機会をあげようと思った。
京都の夏は噂以上にきつい。サウナみたいな蒸し暑さの上、きつい日差しがじりじりと首筋を焦がしてくる。前を歩く優馬の顔は見えないけれど、きっとげんなりしているに違いない。わたしは意地悪く言った。
「この時間ってめちゃくちゃ暑いよね。足も痛くなってきたし、軽く帰りたいかも。っていうか大して見るものもなくない?」
優馬の返事はない。わたしが不平を口にする時、彼はいつも聞こえないふりをする。宥めもしないし、叱ることもない。たとえそれがどんなに理不尽な文句でもだ。そんなのは優しさじゃないと、わたしは知っている。優馬はわたしに興味がないだけだ。
それならさっさと振らせてあげよう。わたしはこっそりと口端を釣り上げた。
旅行先での喧嘩は、別れ話に直結しやすいらしい。どこの統計かは知らないけれど、これはチャンスだと思うべきだろう。せっかくの旅先で揉めれば、さすがの優馬も踏み切れるはずだ。いらだって言葉を荒げ、お別れを告げればいい。わたしはことさらに粘っこい声を作った。
「ねえ、聞いてるの?」
「……伊織」
きた。渡月橋を渡り終えようかというところで、優馬は静かに振り向いた。逆光で表情はよく分からないけれど、不愉快そうな表情をしているのは間違いないだろう。わたしはほくそ笑みたいのを我慢し、わざとらしく首をかしげてみせた。
「次に何か文句を言ったら置いて行く」
ああ、優馬を怒らせちゃった。
胸がちくちくと痛んだけれど、わたしの目的には適っている。わたしは露骨に傷ついた顔を装い、わずかに歩調を早めた優馬を追った。
渡月橋を越えてしばらく行くと、嵯峨野の竹林に差し掛かる。森森と生い茂る竹が翳りを落とす、静かな小道だ。軽く目を閉じると、さわさわと風の渡る音が聞こえる。わたしと優馬は黙ったまま、重い空気から逃避するかのように歩き続けた。
皮肉だけれど、ここを抜けると縁結びで有名な神社がある。元はといえば、今日の目的もそこだった。野宮神社に行って、ふたりで一緒のお守りを買おう。帰りには京都っぽい甘いものでも食べて、手をつないで帰ろう。最初はそんな約束だったのだ。そのとき既に、わたしの心は優馬に与えるチャンスのことでいっぱいだったけれど。
誤解しないで欲しい。わたしは優馬のことがとても好きだ。振りたくないし、振られたくもない。だからこそ、いつまでも彼の曖昧さに甘えていたくなかった。関心がないわたしと一緒に時間を浪費するよりも、もっと素敵な人を選べばいいと思った。
わたしは面倒くさい女だ。そう自覚している。自分から離れるのが怖い臆病者で、その役割を相手に押しつけようとする卑怯者だ。
気温の高い時間帯であるにも関わらず、陽光を遮られた竹林内は涼しい。辺りに満ち満ちた清浄な竹の匂いがどろどろした感情を拭い去ってくれるような、そんな錯覚を覚える。
今ならまだ、間に合うかも知れない。そんな想いに駆られ、わたしは後ろからそっと優馬の手に触れようとした。けれど優馬は気づかず、伸ばした手はむなしく行き場をなくしてしまう。一歩一歩と遠ざかっていく優馬を前に、わたしはつい立ち止まった。今日のために整えた爪が、手のひらにきりきりと食い込む。
わたしの手を引いてくれないのなら、いっそ淡い希望にとどめを刺して欲しかった。嫌いだと、はっきりそう告げて欲しかった。それなのに、優馬はわたしが立ち止まったことにも気づいてない。どこで鳴いているのか、しんしんと虫の声がする。そのどこか寂しげな音色が、硬化した胸に突き刺さるようだった。
「優馬あ」
えぐるような痛みに耐えかねて、わたしは今にも消え入りそうな声で彼の名前を呼んだ。優馬が驚いた顔で振り返り、両手を握りしめたわたしの元へと駆け寄ってくる。わたしはすぐさま彼に抱きつき、顔を胸元に押しつけた。そばを通りかかったひとの視線を感じたけれど、さっきのつらさに比べたらなんでもない。じんわりと優馬の体温が伝わり、それが泣きたいくらい嬉しかった。わたしは涙混じりの声で繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい」
「おい、どうしたいきなり」
優馬は明らかに困惑していた。わたしの顔を両手ではさみ、どうにかしてそちらを向かせようとする。わたしがそれを拒むと、優馬はやがて諦めたようにため息した。
「伊織」
このときが来てしまったと、わたしは怯えて抱きつく力を強めた。別れたくない。嫌われたくない。どうかわたしを振らないで。自分勝手な想いがあふれ、涙がじわじわと零れ出す。
すると優馬は、そっとわたしの頭に手を置いた。不器用に髪を撫でる手つきは優しい。
「店の名前は忘れたけど、ほら、ここに来る途中にあっただろ。なんか有名なお茶の店。帰りにあそこ寄ろうか」
わたしは一瞬思考を止めて、それからおずおずと優馬を見た。優馬は困った顔で笑っている。わたしは彼に抱きついたまま、ふるふると首を振った。
「……なんでいきなり」
「なんでって」
優馬はとても怪訝な顔をした。不意に虫の声が静まり、お互いの声しか聞こえなくなる。
「お前があそこのみたらし団子食べたいって言ったんだろ」
わたしは呆然として、しばらく黙り込んでしまった。確かにそんな話をしたことがあるかもしれない。けれどそれはずっと前の話で、自分でもそんなことは忘れてしまっていた。
「……あのさ、もしかして京都行こうって言ったの」
「伊織のためだろ、普通に。ほら行くぞ」
優馬は無理やりわたしを離れさせると、照れたように右手を差し出す。わたしはその意味をちょっと考え、そろそろと応じた。わたしと優馬は指先だけを折り曲げ、不器用に手をつなぐ。
野宮神社に行って、ふたりで一緒のお守りを買おう。帰りには京都っぽい甘いものでも食べて、手をつないで帰ろう。
わたしと優馬は、ゆっくりと竹林を抜けて行った。