【企画candy store】銀色の空
第二回candy storeの参加作品。お題は「キャンディ(飴/ドロップ)」です。
からん、と軽い音がして、あめの降る季節になったのだと気がついた。
スーパーの自動ドアが閉まるドアを背中に聞きながら、わたしは長ネギの飛び出したビニール袋を片手に空を見上げる。褪せたテント越しの空からは、色様々のあめがぱらぱらと降り出していた。
困ったことに、今日は傘を持ってきていない。湿った土の香りを嗅ぎながら、わたしは見事に信頼を裏切った天気予報を恨んだ。
四月の終わりから六月にかけてのこの時期、日本列島にはあめが降る。「雨」でもなければ「飴」でもない、「あめ」が。一ヶ月と少しの短い間だけ、日本中の雨はさまざまな種類の飴玉に変じるのだ。
バタースコッチ、ミルクキャンディ、フルーツドロップ。黒飴、のど飴にべっこう飴。地方によっては金平糖やサルミアッキが混ざるところまであるらしい。ちなみに、体に良い成分も悪い成分も特には発見されていない。そういう意味ではごく普通の「飴」だ。
ではこの季節は道路や家屋にあめの山が出来るのかと言えば、そんなことはない。
なんとなく口さみしくなったわたしは、空いている手を雨中に差し出す。けれど上手く受け止められず、一瞬形を留めたかに見えたあめは手のひらを濡らすだけだった。少し悔しくて、わたしはこっそり舌打ちする。
降下中はきらきらと硬質的な光を持つあめだが、不思議なことに、なにか障害物にぶつかると普通の雨粒と見分けがつかなくなってしまうのだ。スポンジのような柔らかいものでキャッチを試みても、よっぽど上手くやらなければ即座に砕けて水に還ってしまう。この事実が判明した時、各製菓会社は胸をなで下ろしたらしい。
刹那的な虹色のあめは、次々と砕けて世界を濡らしていく。冷たい風が足元を吹き抜け、わたしは控えめにくしゃみをした。
数十年前、初めてあめが降った時分には、それこそ上を下への大騒ぎだったらしい。天変地異だ、滅亡の前触れだと慄き、海外逃亡に走った人々も少なくなかったそうだ。けれどわたしが生まれる頃にはとっくに沈静化した事態だったし、特に不愉快だと感じた覚えもない。少しカラフルでおいしい雨、というくらいの認識だ。
とはいえ極東のこの時期にしか顕れない現象はやはり物珍しいらしく、初夏の風物詩を一目見ようと、五月は日本各所に外国人観光客の姿が増える。そこまでを含めて夏の訪れだと言うべきなのかもしれない。
店の出入りを邪魔しないよう、わたしは店頭脇の自販機に場所を移した。紙コップの販売機には数種類の温かい飲み物と、その倍以上を占める冷たい飲み物が並んでいる。わたしはもう一度、今度は大きなくしゃみをして、生き残りの温かい紅茶のボタンを押した。
自販機がせっせと仕事をしている間に、わたしは買い物袋を持ち直す。母に頼まれた買い物なので、やたら存在感のある長ネギの用途は知らない。それよりビニール袋が手首に食い込んだ痛みの方が気になった。
特においしくもない紅茶を取り出してひとくち啜る。通りあめだと油断していたのに、雨脚は弱まる気配を見せない。むしろ強くなっているようにさえ見える虹色をぼんやり眺めていると、地面ではじけたあめが安物のワンピースにぱらぱらとしみを作った。なんだか腹を立てる気力も失せて、わたしはだらんと肩を落とした。
スーパーから出てきた他の買い物客は、あるいは露骨に嫌そうな顔をし、あるいはしゃきっと傘を差して去っていく。わたしも中で安いビニール傘を買って、さっさと帰った方がいいのかもしれない。
カビの生えたような陰鬱な気分が、もやもやと体の内を侵食してくる。なんとなく晴れない気持ちのまま紙コップの紅茶をすすっているうちに、わたしはふと名案を思いついた。
いちかばちか、あめの中にそうっと手を差し入れる。受け止めたイチゴキャンディ、ハッカ飴、ソーダドロップは次々と水滴に転じ、手のひらには宝石じみた黄色だけがころんと残された。わたしはそれを紙コップの紅茶に浮かべて、ゆっくりと揺する。急な温度変化のためか、レモンドロップはぱきんと小さな音を立てた。ドロップの表面から溶け出した砂糖が、ゆるゆると透明な波紋を描く。ほのかに酸い香りを鼻孔いっぱいに吸い込んで、わたしはほうっと息をついた。
それで大して味が変わる訳ではないが、あめを浮かべた飲み物にはなんとなく心が和む。気分を良くしたわたしはぐいっと紙コップを空けた。少し皺の入った紙コップの底には、ひと回り小さくなったレモンドロップが寂しく転がっている。わたしはそれをころんと舌先につまみ入れた。夏の風を思わせる爽やかな香りを口内で弄びながら、額に手をかざして空を見上げる。相変わらず虹色のあめは降り続いているが、勢いは先程より少し弱まったように見えた。その中に強烈なオレンジ色を放つ光を見つけて、まぶしさに目をすがめる。
少し、嬉しかった。さまざまな色を放つあめの向こう、分厚い雲の奥に、太陽が少しだけ顔を出していた。