郷愁
「カイ、さっきの光の話だけど」
周囲の警戒を解いたケルンは、僕に声を掛けた。
すっかり忘れていた。
ケルンが警戒を解いたから、少なくとも敵では無いのだろう。
「すいません、忘れてました。
それで、あれって__」
「『残光』の可能性がある。
流石に浅層だし無いとは思うけど、光った方向へ行くのはやめよう」
ケルンは、あっちの方だったよね、と光った方向を指しながら僕たちへそう言った。
『残光』は、主に忘骨探索者が見る光だ。
僕たちには本来、見えるはずがない。
仮に僕たちに残光が見えたとしても、ケルンの言う通り近付く事は絶対にしてはならない。
残光は、僕たちの理解にとって『死』そのものだから。
『残光に触れれば消失する』
それは誰しも知っている常識だが、実は一部の探索者は知らない事実がまだある。
残光に近付き、そして接触を拒んだ者は『忘骨に壊される』という事実だ。
トワイルには幸いと言うべきか、そのような人はいない。
__街からいなくなった者を除いては。
接触を拒んだ者は二つの道を辿る。
忘骨に再起不能な程に身体を壊される者。
逆に忘骨と『過適合』し、異形となり人間性を失う者。
この内、人間性を失った者は皆、ノクサの奥に消えていったらしい。
どちらにせよ、探索者としての生命はそこで絶たれる。
『残光の気配を感じたら絶対に近付かない』
これは、ケルンとイヴェットが僕たちに何度も伝えてくれた、大事な教えだ。
…イヴェットに関しては、
「残光にちょっかいかけりゃ、お前らのバカももしかして治るかもなー」
なんて言ったりもしていたが。
「…そうですよね。分かりました」
触れなければ、近付かなければ、残光はこちらに対し危害を加えない。
では、何故父は残光に触れたのか。
そう考えた時もあったが、考えても仕方ないことだ。
僕たちは光とは違う方向に足を向け、歩みを始め__
……カイ、か?
僕は光の方向に走り出していた。
何故かは分からない。
いや、理由は分かっていた。
「カイ!!」
後ろから珍しく、声を荒げたケルンの声が聞こえた。
僕には既に聞こえていなかった。
僕の先の方で、また光が瞬いた。
先程よりもハッキリと、揺らめくような光が僕を呼んだ。
「__『父さん』!!」
僕は、ノクサでは出してはならない大声を出していた。
いや、声を発していなかったかもしれない。
分からない。
僕はもう、どうやって自分の身体を制御するかすら、何も分かっていなかった。
いや、全て分かっていたかもしれない。
「___!!」
リアナの声だったかもしれない。
もう、何もわからなかった。
僕は、辿り着いた。
目の前には、ハッキリと揺らめく光が浮かんでいるのが見えた。
僕は、その光に手を伸ばし__触れる。
強烈な光が、僕を包んだ。
「…うっ…」
いつの間にか倒れていた僕は、目を開けようとしてすぐに目を覆った。
生まれてこれまで経験した事のない程の眩しい光が目に飛び込んできた為、しばらくの間目が開けられなかった。
少しずつ、光に目を慣らす。
周りの様子が、段々と見えてくる。
そうして完全に見えるようになった頃、僕の目には理解できないものしか映し出されていなかった。
空が、青い。
青い空に、一際眩しいものが浮かんでいる。
地面には草が生い茂っている。
ノクサでも、ファリムですらあり得ない光景だ。
僕の目の前には、茶色い植物のようなものがそびえ立っている。
頂点には何やら草の塊のようなものが茂っている。
これは、知っている。
『木』というものだ。
辺り一面から『生命』の匂いがする。
土からも、木からも、空からも。
僕の頭は目の前の現実を前にして、ようやく少しずつ動き出した。
「ここは、どこだ?
リアナは?ケルンは?
トワイル…みんなは?」
理解の出来ない頭が、ようやく活動を開始したその時__
「カイ…?」
声がした。
僕の横の方から。
懐かしい声。
五年ぶりの声。
父の、声。
「父…さん…?」
理解出来ないものがまた一つ増えた。
何故消失扱いだった父がここにいる?
どうして、このよく分からない世界にいる?
そんな事、どうでも良かった。
「父さん!!」
僕は父の元へ走った。
父も僕の方へ寄った。
僕は、父の胸に飛び込んだ。
「父さん!!どこにいたんだよ!!」
いつから泣いていたのか分からない。
気付いたら、僕の顔は涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになっていた。
「母さんも…僕も…みんなも、探してたんだよ」
言葉は出たが、多分伝わっていないだろう。
ぐちゃぐちゃになった声で喚き散らしているようにしか、聞こえていなかったかもしれない。
それでも、しっかり噛み締めるように僕の話を聞き、ハロルドは口を開いた。
「…すまんな、本当にすまん。
もう、五年だもんな。
…カイ。本当に__大きく、なったな」
ひたすらに感情を抑えた声で、ハロルドはゆっくりと僕にそう言った。
分かってる。感情を抑えなければ、きっと僕と同じぐちゃぐちゃな顔になっていたんだろう。
「ヘレナは、無事か?」
「身体は相変わらずかな…
でも、今日は一緒に朝食を食べたよ」
「そうか…そうか、よかった…」
そこまで話し少しだけ溢れ出た涙を、ハロルドはそっと拭った。
少しだけ落ち着いた僕は、僕たちのいる『よく分からない場所』について、父に聞いた。
「父さん…ここは、どこなの?」
「ああ、ここは__」
ガサッ、と音がした。
父は僕を抱いて飛び退き、剣を抜いた。
「すまん、カイ。少し待っててくれ」
父はそう言うと、
「『リィンベル』、力を貸してくれ__」
『隔絶せよ』
『魔法』を使用した。
僕の周りに光の膜が形成され始める。
これは、間違いなく父の魔法だ。
探索者として活動する父をほとんど見る事は無かったが、この魔法が使えた事だけは覚えている。
「これはこれはぁ、さては感動の再会中でしたかなぁ?」
どこからともなく、非常に耳障りな声をした白い外套を着た男が現れた。
胸のあたりの紋章のようなものが、光を反射して煌めいている。
「ああ、お前の野暮のせいで中断する羽目になったがな」
「これは失敬。
ですが大丈夫ですよぉ__
これから、向こうでいくらでも話せますからねぇ」
『闇より来たれ』
男の口から魔法のような言葉が出た。
今、男が使用した魔法によるものだろう。
地面に闇が現れ、中から異形が現れた。
人間を一度くしゃくしゃに丸めて広げたような姿。
パーツが正しい範囲にあるだけの、生きているはずのない『生物』だった。
「闇の化け物は、初めてですかねぇ?」
男は、ケラケラと笑いながら僕たちを煽った。
「…っお前…!」
出現した異形を見て、ハロルドの顔に怒りが表れた。
明らかに『何かに対して』怒っている。
「あらぁ?何を怒っているのですかねぇ?
醜い人形は、気に入りませんでしたかぁ?」
男は相変わらず笑みを絶やさない。
挑発なのか、嘲笑なのか、僕には分からなかった。
「アナタの相手は『これ』で十分でしょう。
では、私はこれにてぇ__」
『扉を開けよ』
男はひとしきり笑った後、またしても魔法のような言葉を発し、煙のように消えてしまった。
後には僕たちと、異形だけが残された。
異形は発声器官を失っているのか、唸り声のような音を鳴らしている。
激しい殺気を周囲に撒き散らしているが、何故か僕たちを襲ってはこない。
「__くそ…」
少し考えていたハロルドは、覚悟を決めたように剣を下ろした。
「…カイ、すまんが見ないでくれるか」
父はそれだけ言った。
僕はすぐに後ろを向いた。
父の邪魔をしないように。
「…ありがとう」
父は僕にそう言い、更に異形に対し、
「…すまない」
と告げ、
『射殺せ』
僕の知らない魔法を唱えた。
「…もう大丈夫だ、ありがとな」
父の声に振り返ると、そこにはもう異形の姿は無かった。
先程の魔法で何かをしたのだろう。
「それで、さっきの話だが__」
父が話を戻そうとした時だった。
カチ、と音がした。
何の音かと思った瞬間、
地面から無数の『闇の手』が僕を掴んだ。
「カイ!!」
ハロルドは僕から手を引き剥がそうと、僕の身体を掴もうとして__すり抜けた。
「父さん!!」
僕は意識が遠くなるのを感じた。
青い空が、
一際眩しい光の塊が、
父が、遠くなっていく。
「カイ!会えて本当に嬉しかった!」
遠くなっていく父が僕に精一杯声を投げかけている。
「父さん!待って!」
僕の声は、もう届いていなかった。僕の言葉にはもう、父は反応していない。
父は見えなくなっていく僕を、それでもはっきりと凝視しながら続けた。
「__ヘレナには伝えないでくれ!頼む!」
思わず、聞き間違いかと思った。
あんなに父の事を思っている母に、生きている事実を伝えてはいけない?
何の思いがあってそう言っているのか、全く分からなかった。
「何で__」
もう既に父は見えていない。僕の意識も遠くなってきた。
でも、向こうからの気持ちは何故か伝わった。
辛くなるだけだから__
闇に沈むこの時の僕には、
まだそれは理解出来ない言葉だった。




