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トワイル


『トワイル』


僕の住む街は、そう名付けられている。




この世界には『環境』という概念が存在する。


『環境』が最も良いとされる安全圏__『キニツァヤナ』を中心として、この世界は形作られている。

中心地から離れれば離れるほど、空から降る光は弱まり、空気は淀んでいく。


この世界の人間は『環境』により地域分けをし、中心に当たる部分から、


安全圏『キニツァヤナ』


周辺都市群『ペリソル』


外縁都市群『ファリム』


とそれぞれの地域を呼んでいる。



僕たちの住む街は、この中で『ファリム』にあたる。


外縁都市群の中でも、更に『外側』に位置するこの街には、『環境』はほとんど届かない。



しかし、僕たちはこの街で生きている。





部屋を出て廊下に入ると、朝食の良い匂いが辺りを漂い満たす。

クルル、と小さくお腹が鳴った。



台所に着くと、今日は二人分の朝食が並んでいた。


塩漬けされた内地種『パストラ』の肉を水で戻し焼いたものを葉野菜と合わせ、温めたパンに挟んだサンドイッチ


外縁種『アッシュカプラ』の乳から作ったヨーグルト


保存の効く、乾燥茶葉を使用した紅茶



どれも、ファリムでは比較的良く食べられているものだ。

ファリムの『環境』では動植物の生育が難しく、基本的にペリソルまでの地域で生産されたものが加工されて街に届けられる。




僕は匂いに寄せられてテーブルについた。

向かいには、朝食を前にニコニコしている母が座っている。



「今日は元気そうで良かったよ、母さん」


いつもこの時間は、母は飲み物だけのことが多いから珍しい。


「さ、早く食べちゃいましょ」



嬉しそうに僕を急かす母を見て、少し安心した。





母は、僕が生まれる前から体が弱かったそうだ。


原因は全く分からない。

というより、原因を『思い出せない』と言った方が正しいか。



母の覚えている最初の記憶は、ファリムよりも更に外側の『環境外』__『ノクサ』で倒れているのを、父に助けてもらった所らしい。


どうしてそこに倒れていたのか、自分はどこから来たのか。

その辺りのことについては何も思い出せず、ただ自分の名前が『ヘレナ』であるということだけが記憶に残っていたそうだ。



父は母と共にペリソルやファリムの別の街に赴き、方々を尋ね歩いたが、母の事を知っている人は誰もいなかった。


結局、父が活動拠点としていたこの街トワイルで生活を始め、やがて父と結婚して僕が生まれた。



『父がいなくなった』今でも、旅をした時の話やその当時の生活などをよく母から聞く。


__半ば惚気のような話を。





「ごちそうさまでした」


「はい、ごちそうさま」


僕たちは二人で手を合わせた。

生物の循環に感謝する、日常に浸透した小さな、しかし大事な『儀式』だ。


僕は立ち上がり、二人分の食器を持って洗い台に向かった。

水で汚れをよく落とし、綺麗に拭いてから横に並べる。

使い終わった洗い場もよく拭き、拭いた布をよく絞って広げて干した。



ファリムでは空気の淀みによって、湿気が溜まりやすくなっているため、食器を放置しているとすぐにカビや錆が出てしまう。


食事が終わったら洗って、水気を取る。

ここまでが、ファリムの『食事』だ。



母は椅子に座ったままこちらを向き、

「ありがとね」

と言いながら顔の前で手を合わせた。



「美味しかったよ。ありがとう」


お互いの行いに感謝をする。

これも大事な、小さな『儀式』のひとつだ。





「じゃあ、そろそろ行ってくるね」


僕は机に置いたペンダントを手に取り、首に掛ける。

埋め込まれた小さな結晶の中で、砂のようなものが微かに揺れながら淡い光を溢した。



「今日は『ノクサ』の巡回よね?

…気をつけてね」


『ノクサ』がどんな場所かを知っている母は、やはり僕がそこへ向かうことを良しとはしない。


僕も危険な事は承知している。

だが父も歩んだ道だ。


この街を守るために、家族を守るために、

今日も僕は『探索者』として活動する。




外套を羽織り戸口へ向かう僕を母が見送る。


「元気で、帰ってくるのよ」


いつもより、はっきりとした声。

それでいて、とても優しい声。


「うん、いってきます」


その声音に少し背中を押されるように、僕は外へと出た。



今日はきっと、いい一日になる。



---



僕の家族は三人だ。


父、ハロルド。

母、ヘレナ。

そして僕、カイ。


ただし、父はもういない。


探索者組合の探索者記録には、

『ノクサ深層で『残光』に接触、その後消失』

と、それだけ書いてあった。



父は、探索者の中で最上位__『忘骨』階級の探索者だったので、父を知る人は多かった。


それでも、父のその後の行方を知るものはおらず、確かにこの世界に父はいないのだ、と実感した。



---



外へ出ると、『中層』に朝が広がっていく最中だった。


買い物に出かける人や、二階の窓に布団を出す人が見えた。

僕と同じ探索者の姿もチラホラ見える。

ここに見えない人でまだ寝ている人もたくさんいるだろう。


天上に光のないこの街では、時間の概念はあるが行動はまちまちだ。

皆それぞれ、思い思いの『朝』を迎えている。



「今日の待ち合わせは、組合横の掲示板前だったよな…」


『外層』へ向けて歩く僕の独り言も、『中層』の朝の広がりに溶けて消えていった。




ファリムにある街は、全て決まった形をしている。


全ての街は、三つの『生命装置』__


空気を生み出す『呼吸炉(こきゅうろ)

電気を供給する『灯明炉(とうめいろ)

水を蓄え循環する『命水槽(めいすいそう)


これらを守る事を念頭に置き、建設されている。


どれか一つでも停止すれば、街は死ぬ。

そのため、厳重な警備が必須だ。



更に外敵からの脅威を防ぐため、装置を中心に置き都市を三つの『層』にしている。


『内層』は装置の管理、警備を行う施設の区域


『中層』は人々が行う生活区域


そして僕が今向かっている『外層』は、探索者組合やその他商業施設が並ぶ区域となっている。




外層へ入ると、街は既に賑わっていた。


店の軒先に吊るした保存肉の匂いと、虫を除ける為の油灯の薄い煙が合わさり、中層とは違う独特の空気を醸している。


立ち並ぶ店の呼び込みが、外層の中に入るにつれ段々と音量を上げてゆく。



僕は外層の大通りを抜け、一本外れた道へ入った。


道に入って、角から三番目にある小さな店。

僕の『もう一つの家族』が働く場所が、そこにある。



「ベリスさん、おはよう」

僕は店の中で働く男に声をかけた。


「ん?…おう!カイじゃねえか!」

振り返ったベリスは僕を見つけ大きな声で名前を呼んだ。


彼はこの雑貨店『トゥリアテセラ』の店主をしている男、ベリスだ。

父がいなくなった僕の、もう一人の父親のような存在。


「あら、カイちゃん。おはようねぇ」


今、店の奥から出てきた女性がベリスの妻、アリシアだ。

付き合いが長い事が災いし、未だにちゃん付けで呼ばれている。


母は今でも生きているが、この人も僕のもう一人の母親のような存在だ。


「おはよう、アリシアさん。

…あれ?二人は?」


その言葉を聞いた瞬間、ベリスはおもむろに商品棚の整理を始めた。

僕からは、ちょうど顔が見えない位置の棚を。


「…ベリスさん?」


ベリスは顔を見せない。


「二人とも、もう行っちゃったのよぉ」

ベリスの代わりにアリシアが答える。


「二人ともって…エイベルも?」


僕の言葉を聞き、少し考えた後にベリスがこちらを向いた。

少し困ったような顔をしている。


「…見送りに行くって言うから、俺たちも強くは言えなくてな、すまん」


先ほどの元気な声は違い、少しバツの悪そうな声でベリスは答えた。



多分、エイベルは僕たちに着いて行こうとしている。いや、間違いないだろう。


普段の巡回の日なら問題ない。

だが、今日の巡回はいつもとは違う。



「アリシアさんも元探索者なら、分かってるじゃないですか…」


「カイちゃんが、ちゃーんと説得してくれるでしょう?」

逆に呑気なアリシアは、特に気にしていない様子だ。


ベリスも悪いな、と言いながらも、開き直ったような笑顔を僕に向けた。



「まあ、なんだ」

ベリスが無造作に乾燥果実を投げて寄越した。


「すまんなカイ。そういうわけだから、よろしくな」

「よろしくねぇ〜」

そう言って二人は、そそくさと仕事に戻っていった。



「はぁ…」


エイベルは言い出したら聞かないところがある。説得はなかなか骨が折れるかもしれない。


それに__


「アイツ、怒ってるだろうな…」


二人が言い合っている様子が脳裏に浮かんだ。

似たもの同士だから、どちらも折れる事なく平行線を辿っているに違いない。


「はぁ…」


僕は思わず、二度目のため息をついた。



集合場所までそこまで遠くはない。


でも、今日の僕の鉛の足には、少しだけ遠く感じた。

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