第六話 狼と魔女/騎士と村人
クリスタリア北辺の農村リベール。そこに通じる街道外れの森の中に、白金の体毛を持つ狼がいた。
狼は木陰で目を閉じていたが、何もなかった付近の地面に、忽然と黒い影が生じる。その中から姿を見せたのは、『円卓』の一員であるリフィアだった。
「……あなたならすぐに見つけると思ったけれど。随分と大人しくしているのね」
狼は立ち上がり――その姿を人型に変化させる。小柄な少女の姿に変わると、魔法によって裸身を覆う衣服が現れる。
「見つけたのならどうして教えてあげないの? ただの村人なんて無理だと言ってあげないと」
リフィアが問いかけると、人狼の少女――エイルは首を振り、さらりとした髪が揺れた。
「そんなことしてどうするの?」
「……そんなこと……?」
リフィアの身体を覆う魔力の量が増す。それに押されることなく、エイルはリフィアと向かい合う。
「クロスが地上に降りてから何をしたか、リフィアは分かってる?」
「それ……は……彼は記憶を無くしているし、円卓にいたころの力も失って……」
「私はそれでも見つけられたよ。私の眷属を、クロスが助けてくれたから」
エイルが答えると、リフィアの表情が曇る――威圧するような気は消えて、別の素顔が覗く。
「また、あの男は……誰にでも優しくして、自分のことさえ何も分かっていないくせに……っ」
「……でも、見ているのは面白いよ。クロス……今は他の名前を名乗ってるみたいだけど、私は彼のことを見ていることにしたの。眷属がいるから、近づかずに見ていられるし」
エイルが胸に手を当てて言う。リフィアは悔しさを顔に出すが、何かに気づいたようにふっと笑った。
「見ているだけで満足だと、そうやって自分を納得させているだけで、優位に立ったつもりですか?」
「……リフィアはどうするの? 彼の記憶を刺激しないように、他の姿に変わって接触するとか?」
「わ、私は……今のところはそんなつもりはありません。それより、情報を共有してくれませんか? エイル、あなたに会いに来たのはそれが理由です」
「ふぅん……」
焦れるリフィアを見ながら、エイルは金色の髪を一房手に取ると、くるくると手で弄ぶ。
「……リフィアは一番先に来てくれたから教えてあげる。あの子はもうちょっと落ち着いた方がいいから、情報を共有する代わりにリフィアが抑えておいて」
「それについてはディオンが対策を打っていると思います。今の彼女がクロスを見たら、周囲の人里まで巻き込んでしまいかねませんし」
「……私もそうしてもいいくらいの気持ちだけど、今は抑えてるだけだよ」
エイルの言葉に、リフィアは目を見開く――そして、ふっと微笑する。
「……あなたが怒っていないわけがありませんでしたね。あんなことがあっても落ち着いているように見えたもので、つい噛みついてしまいました」
「全部話してあげるのは私もしたくないから、少しだけね。クロスは今、『アトル』って呼ばれてるよ」
「っ……あの鉄環に書かれているという名前ですか? あれについてはクロスだって、誰のことか教えてくれなかったのに……っ」
「私もそれは分からないけど……それで、不老がなくなった反動で、『円卓』にいたころより若くなってる。地上に転移したときに意識を失っていたんだけど、女の人が見つけてくれて、家に連れていかれて弟みたいに可愛がられてたり……」
――ピシッ、と何かにヒビが入るような音がする。
リフィアの周囲の空気に黒い亀裂が走っている。それを見て、エイルの頬につぅ、と汗が伝った。
「……怒りすぎじゃない? リフィア、もう浮遊城に帰ったら?」
「……怒っていないですよ? 怒る理由なんてありませんし。ただ、相変わらずあの人は、無自覚にそういうことをしているんだと思うと……いえ、違いますね。むしろ彼を拾ってしまう人の方にも問題が……」
「拾われてなかったら、裸のままで森の中で寝てることになったけど……それはいいの?」
裸という言葉に、リフィアは顔を赤くする――それを見てエイルもかすかに頬を赤らめる。
「裸とかは、その、そういった事態であれば気にすることでは……いえ、彼が若返っているのなら、そういうのは問題があるかもしれませんね。元の姿でも裸は、しかるべき場所でのみ見せるものですが……」
「……リフィアは……」
「は、はい?」
エイルはじっとリフィアを見ていたが、獣耳をぺたりと下げて、ふぅ、と息をつく。
「ううん、何でも。冷静でいてくれるなら、もう少し詳しく話してあげる」
「私はいつでも冷静です」
自信とともに答えるリフィアだが、エイルはこの先を話したときに彼女がどうなるか、ありありと想像できていた。
「――魔力を……知り合ったばかりの人間の身体に入れた……?」
「人助けをして、大したことはしてないという顔で……あの人はまた……っ」
「手合わせで怪我を……それで抱きしめられ……抱き……そ、そんなこと、私がいない間に……っ!」
大きな声を出しかけたリフィアだが、エイルに人差し指を当てられ、声を封じられる。
「……どうするの? これから」
「んっ……わ、分かっています、もう大声は出しません。そうですね……少しだけ泳がせてあげることにします。彼に思うところはありますが、現状で今の彼を責めることはできないという判断です」
「それがいいよね。記憶が戻るような直接的な働きかけをしたら、私たちもただじゃすまないから。やり方は考えないと」
「……私は私で、今後のことを考えることにします。エイルの方も動きがあったら教えてください」
「うん。またね、リフィア」
地面に黒い影が生まれ、リフィアはその中に吸い込まれるように姿を消す。それを見送ったエイルは、ふたたび狼の姿に戻る。
『……見ていて飽きないから、私は楽しいけど』
エイルの視線の先には、リベールの村がある。森の中から白い狼たちが現れて、エイルに従うように彼女を囲む――聖獣フェルリスだけでなく、それらの狼もまたエイルの眷属の一員だった。
◆◇◆
訓練所での手合わせを終えたあとは、シスナさんの家で昼食を摂ることになった。
昼食を作ってくれたのはシスナさんの母のミトナさんだ。この母にしてこの娘あり、というくらいに雰囲気が似ている。
「まあ、騎士様とアトル君が手合わせを……それで大変なことになっているんですね」
シスナさんが回復魔法で治療はしたが、シュタルトさんの身体には包帯が巻かれている――俺が打った箇所がまだ少し痛むようだ。
「い、いえ。これはアトル殿に、くれぐれも手加減なきようとお願いした結果ですので。ひとえに私が未熟であったということです」
「いや、そんなことは……」
未熟とまで言うことはないと思ったが、シュタルトさんが俺を見て首を振る。なんというか、本当に自分に対して厳格な人だ。
「このポタージュはとても美味しいですね。胸に沁みるような味で……」
「それはアトル君が作ったのよ。アトル君が料理をすると、同じ食材でも全然仕上がりが違うというか……」
「俺ができそうな料理はそんなに多くないですが、お気に召してもらえて良かったです」
「アトル君は本当になんでもできちゃうんだから……私はいつも、驚かされてばかりなんです」
シスナさんがそう言って笑う。隣に座っていてそんなふうに褒められると、こちらは照れるほかない。
「……剣だけでなく魔法にも優れ、そして他の技術にも通じている。アトル殿はどこでそのようなことを学ばれたのですか?」
「それは……すみません、俺は行き倒れていたところをシスナさんに助けてもらって。そうなる前の記憶がないんです」
「記憶が……も、申し訳ありません。そのように仰っていらっしゃいましたね……」
「記憶はなくても、身体は覚えてるみたいで。何でもできるわけじゃないと思いますが、今のところは色々とやらせてもらってます」
「そんな言い方をするけど、もうアトル君はリベールの英雄のようなものというか……夫もいつも言っているの、アトル君のおかげでこの村は前に進めるって」
そんなことを言われていたのか――荒れた畑を耕したことで、そこまで感謝されるとは思っていなかった。
「……私は、アトル殿と手合わせをすることができて良かった。ここに来られたことに感謝します」
「……シュタルトさん」
シュタルトさんはなぜこの村に来たのか。盗賊を倒した俺に会いに来た――というような話だったが、目的はそれだけだったのだろうか。
それからシュタルトさんは、シスナさんやお母さんと言葉を交わしながら、笑顔を見せていた。俺に対しても――だがその笑顔は、俺には明るいものには見えなかった。
◆◇◆
その日の夜――村長の家に泊まることになったシュタルトさんだが、客室からいなくなっているとのことで、俺は探しに出ることにした。
彼の白い馬は馬屋にいたので、村を出ていったりはしていない。わずかな魔力の痕跡を辿る――すると、シュタルトさんは村外れの森に向かっていた。
「……ふっ!」
シュタルトさんが剣を振っている。無心で何度も繰り返す――俺はその姿を、しばらくただ見ていた。
「っ……」
やがてシュタルトさんは剣を持つ手をだらりと下げる。まだ怪我が完全に癒えていないのだ。
「――シュタルトさん」
名前を呼ぶと、シュタルトさんはゆっくりこちらを向いた。泣いてはいない――だがその顔は、泣き出しそうなほどに辛そうなものだった。
「……私は……自分でも気が付かない間に、驕っていた。あなたという人物の強さを話に聞いていながら、皇女殿下の騎士である私は、あなたを試す立場なのだと……どうしてそのように思い上がれたのか……あまりにも愚かでした」
悩んでいることは分かっていた。ここまで思い詰めているのなら、すぐにでも彼の話を聞くべきだった。
「俺を試す……それは、なぜですか?」
「……皇女殿下を守ることができる力が必要なのです。あの方は自分の道を選ぶことさえできないまま、本来の輝きを放つことができずにいる。いつ自分を狙う刃が訪れるかと怯えながら」
「皇女……エルシェリアス殿下が、命を狙われている……?」
それを部外者の俺に話すことにも危険がある――それでも、シュタルトさんは話した。
「あなたはこの村で、多くの人に慕われている。短い時間、村の人たちの話を聞いただけでも分かりました。そんな人物を、私は安易に王都に連れていけると思っていた。自分が、恥ずかしい……」
「俺のほうこそ、村の人や……シスナさんに助けてもらわなかったら、どうなっていたか。恩を返したくて、何でもやるという気持ちでした。それで喜んでもらえたのなら、それだけで十分で……」
「……あなたは本当に……それほどの強さを持ちながら、なぜ……」
「自分が強いというのは、俺にはあまり実感がないんです。剣は使えるし、魔力の扱いも分かる。でも強いというのは、それが全てじゃない。剣も魔力も、限界はどこまでだって……」
そう言っていて、俺は思う――本当にそうなのだろうかと。
俺は魔王を倒そうとしていた。けれどそれを成していないのなら、限界はやはりあって、俺はそれを超えられなかった――そう考えるほかはない。
だが俺が迷ったあいだに、シュタルトさんはこちらに歩いてきていて、俺の手を取っていた。
「私も……今の自分では全く足りていない。限界を超えたい……そのためにはどうすれば良いのか、どうか、私に教えてください……!」
何年も厳しい修練を積んで、実戦経験を重ねて――それは俺に会う前から、シュタルトさんが今までずっとやってきたことだろう。
シュタルトさんが求めているのは、『今このときに』強くなること。強くなるには時間がかかるという回答は意味をなさない――それならば。
「分かりました。これから時間をかけて強くなることは前提で、今すぐにできることが一つあります」
「っ……もしできるのなら、私はどのようなことでもするつもりです。覚悟はできています……!」
俺は頷きを返す。剣と魔法を使うシュタルトさんが強くなるには、いずれの力を伸ばしても効果はある――だが、すぐに目に見えて変わるのは魔法のほうだ。
「では、家に戻りましょう。シュタルトさん、もう夜も遅いので明日にしますか?」
「い、いえ。可能であればすぐに……このような気持ちを抱えたままで、眠りにつくことは難しく……」
そういうことなら明日の朝と言わず、今夜中に行ったほうがいいだろう。このやり方で、シュタルトさんがどれだけ伸びるか――それについては保証はできないが、期待するしかない。




