第三話 書庫の少女
皇国北部の農村リベール周辺で、聖獣を運ぶ一団が盗賊に襲撃される事件が起きて数日後。
クリスタリア帝都の膝下にある魔法学園――その書庫で、少女が本を読んでいる。銀色の長い髪を二つに結び、レンズの厚い眼鏡を身につけている。
歳の頃は十代の前半で、横顔にはまだあどけなさが残っている。ページを開き、文章を追いながら、その瞳が輝きを増す――それは憧れや興味、そして好奇心のあらわれだった。
「……こんなに強い存在が世界に存在しているなんて。やっぱり、ただのおとぎ話か……けれど……」
少女は呟き、本を閉じる。それでも抑えきれずに、もう一度本を開こうとしたその時だった。
書庫の扉が開き、鎧姿の騎士が入ってきる。少女よりも少し年上の、亜麻色の髪をした人物である。
「……殿下、今日もこちらにいらっしゃいましたか」
凛とした声が室内に響く。読書に集中していた少女が反応し、前のめりになっていた姿勢を正した。
「私は『本の虫』だからね。君たちばかりに動いてもらうのは申し訳ないと思っているよ」
「いえ、そのようなことは……エルシェリアス様、ご報告があって参りました」
騎士は座っている少女に向けて膝を突き、頭を垂れる。エルシェリアスと呼ばれた少女は、眼鏡を外して机に置くと、興味深そうな顔をする。
「……シュタルト、『聖獣』は無事に保護できたようだね」
「っ……なぜそれを……」
「君の顔を見ればわかるよ。君は動物が好きだからね……『フェルリス』に何かあったら、もっと深刻な顔をしているはずだ」
「……お戯れを」
不服そうに否定するシュタルトを見て、エルシェリアスは膝を組み、頬杖を突く。
しかし、その目がかすかに見開かれる。シュタルトの様子は、エルシェリアスが想定したものとは違っていた。
「……どうやら、思ってもみないことが起きたみたいだね」
「は、はい。『フェルリス』の保護は成功しましたが、護送中にリベールで賊に襲われるという事態が起きました。ですが……」
シュタルトは動揺を隠せなくなり、その顔は赤らんでいる。エルシェリアスは急ぐ気持ちを抑えながら、言葉の続きを待った。
「……ただの、村人と名乗る人物が……たった一人で賊を撃退し、聖獣を護送していた兵たちを救ったということです」
「……ただの……村人?」
エルシェリアスが繰り返すと、シュタルトはただ頷く。
「……リベールで、優秀な武人を輩出しているという話は無かったと思うけれど。その村人は、なぜそんな武力を持っているのかな」
「それは……わかりません。ただ、彼の戦いぶりを見ていた者は、一瞬で全てが終わっていたと言っています。盗賊にも腕に覚えのある者はいたようですが、それも含めて相手にならず、一振りで六人を倒し、指先で短刀を止め、素手で賊の首領を吹き飛ばしたと……」
話しているうちに、シュタルトの言葉は熱量を増していた。人づてに伝えられたとはいえ、その内容は常軌を逸していて、帝都の劇場で演じられるような英雄譚に等しいものがあったからだ。
「そしてその村人は魔法さえ使いこなし、傷を負った兵たちを癒やしたそうです」
「……何でもありかな? いや、そうか……その村人がやったことの一部は、魔力による身体強化で説明ができなくはない。それでも凄まじい使い手ということにはなるか。そんな人物が、村人として世に出ないままでいるなんてね」
「はい……私も、一度手合わせを願いたいものですが」
「君は勇敢で、武力に対する向上心もある……だけど友人として言わせてもらうと、その話が本当なら手合わせはすすめられない」
「私の心が折れることを心配なさっているのですか? そのようなことは決してありません」
堂々と答えるシュタルト――エルシェリアスは興味深そうにそれを見ていたが、その顔が何かを企んでいるものに変わった。
「い、いかがなさいましたか……?」
「『フェルリス』については、会ってみてからだけど……それ以上に興味深い話が入ってきたからね。どうしたものかと思っているんだ」
「……そう仰られますが、すでにお気持ちは固まっているのでは?」
「うん。シュタルト、君にはリベールに行ってもらうよ。私もついていきたいけれど、今ここから離れると監視の目が厳しい」
「やはりそれを考えると、私もここに留まる以外には……」
シュタルトが言いかけたところで、エルシェリアスは席を立ち、書庫の窓際に近づく。
銀色の髪を持つ皇女は、跪いているシュタルトに向けて手を差し伸べ、そして笑った。
「鳥籠の中にいるだけでは退屈だからね。これは必要な賭けだと思う……君がリベールに行くことに、大きな意味があると私は思う。シュタルト、私の騎士。そして友人である君に、私の意思を託そう」
「……エルシェリアス様」
「その村人を、可能ならばここに連れてくること。ファナや皆を助けてくれたことに対する御礼をしたい……というだけでは難しいか。私の置かれた状況についても、話をしていい」
「っ……よろしいのですか?」
「これは賭けだと言っただろう。私も君が話すのを聞いていて、正直を言って胸が躍ったんだ。そんな英雄がただの一般人だと自称していたら、放っておくのは勿体ない」
「……もう一つ付け加えますと、その村人が使っていた武器はクワだそうです。農作業用の、ただのクワに見えたと」
エルシェリアスは目を見開く――しかし、それから声を上げて笑い始める。
「ただのクワか……そうか、本当の武人は武器を選ばないというのか。どれだけ本を読んでもこの世には知らないことだらけだ。やはり死ぬならばもっと先がいい」
「……決してそのようなことはさせません。私が戻るまで、ファナたちを頼り、どうかご無理をなさいませんように」
「シュタルト、君もだよ。その鎧を着て髪を結んでいると、相手は君のことに気づかないかもしれないけれど。手合わせをしたら、どうなるかは分からないからね」
「い、いえ……そのようなことは。私は騎士となるときに、そのような意識は持たぬことにしたのです」
シュタルトは立ち上がり、皇女の前までやってくる。そして胸に手を当てて言った。
「それでは、私は早速出立させていただきます。我が主……いえ、私の親友、エルシェ。どうか無事で」
「うん、ありがとう。今度は鎧を着ていないときに、昔みたいにお茶を飲もう」
シュタルトは目を潤ませたが、それを振り切るように書庫を出ていく。
友人を見送ったエルシェリアスは、窓の外に視線を送る。その方角は北――リベールのある方向。
「……本当に、英雄みたいじゃないか。私たちの国を救ってくれた英雄も、最初はただの村人だったというから……なんて。ちょっと夢見がちが過ぎるかな」
エルシェリアスは独りごちて、書庫を後にする。誰もいなくなった部屋の中で、机の上に置かれたままになっているのは――『魔王と英雄が去りし後』と題された、手製の書物だった。
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