第二十七話 魔核の変化
翌朝、俺たちは再び森にやってきた――今度は兵士の七人、さらにトオハまでついてきている。
「フェルリスが行きたがるとはな……というより、アトルに懐いているのか?」
「ええと……何と言いますか。実は、屋敷の中で何度か見かけていまして」
「良い戦士は動物に好かれるからな。アトル殿ならば何の不思議もない」
マキアさんはそう言ってくれるが、トオハとは意思の疎通ができるので、同行したいと俺に声をかけてきたというのが本当のところだ。
皆から少し離れてついてきているトオハに近づくと、少しためらうような気配のあとで、声が聞こえてきた。
『……突然温泉に同行したいなどと、浮かれていると思われておいでですか?』
(いや、そんなことは……トオハがいた隠れ里にも、温泉に入る習慣があったとか?)
『さすが、鋭くていらっしゃいますね……山の獣はふつう、熱いお湯などには好んで近づかないのですが。私たちの一族はそうでもないのです』
(そうか。じゃあ、今日はゆっくり浸かってくれ)
『はい。ありがとうございます……私の近くにばかりいると、皆様が不思議に思われますので』
トオハの言う通り、先を行く皆がこちらの様子を見ている――どちらかというと、トオハの考えとは別の方向で関心を寄せられているようだ。
「アトルはもふもふが好きなのだろうか。私たちといるときより、自然な表情を見せているような……」
「もふもふが嫌いな人なんていません……っ、あっ、でも、フェルリスさんは獣人なんですよね。ということは、もふもふさせてもらうのは難しいですよね……」
「そもそも、あたしたちの前に出てきてくれないよね。アトル君ってなんかいい匂いとか出てる?」
「……ラティ、その言い方ではフェルリスにも、アトル殿にも失礼ではないか」
シュタルトさんがラティさんにそう言ってくれている横で、エルシェ様がこちらを見てくる――何というか、俺の方が照れてしまうような、そんな顔で。
(エルシェ様が今の話題で照れる理由って、何が……って、まさかそういうことか……?)
――ご、ごめんなさい……子供みたいにはしゃいで……。
夜の丘でエルシェ様が体勢を崩し、俺が受け止めたとき――あのとき、彼女は俺の胸に顔を埋めていた。
「ねえアトル君、あたしも嗅がせてもらっていい? なんちゃって」
「っ……ラティ、それをしていいのは、関係性がかなり深まっていなければ……っ」
「そ、そうですよね……ラティさん、大胆すぎます」
「えー? ファナ隊長だって、アトルの筋肉がすごいって……あっ、今のは無しね、アトル君」
ラティさんの天真爛漫な言動に、ファナさんが真っ赤になっていく――というか、兵の皆が全員黙ってしまった。
「……こっちを見るな、私は何も考えていないからな」
そしてエルシェ様にはなぜか怒られてしまう。ファナさんが同僚にそんな話をしていたとは――筋肉を見られているということなら、今後は意識して鍛えた方がいいのだろうか。
『……アトル様は着痩せされるほうなのですね』
(えっ……トオハもそういうことに興味が……?)
『その質問については黙秘いたします』
黙秘されてしまった――しかし、トオハが元気そうで良かったというべきか。
「ん……? アトル、あれは……」
洞窟のある森に入ると、火蜥蜴の姿が見える。こちらを攻撃してくることもなく、昨日は体表が赤く発光していたが、今は青色に変わっていた。
「これは……おそらく、『魔核』を浄化したことによるものですね。魔素の影響がなくなって、攻撃的な状態ではなくなったのかと」
「ふむ……みだりに火を吹いたりしないのなら放っておいてもいいか。森を切り開くという話もあったが、生き物がいるのなら自然のままが良いかもしれないな」
「エルシェ様……それってとっても素敵だと思いますっ!」
「っ……ユナ、もう子供じゃないんだから、そうやって抱きつくのは……うぅ、暑い」
エルシェ様はそう言いつつも、ユナに抱きつかれたままで歩いていく。後ろからついていくシュタルトさんは暖かく見守っている――俺より少し年上なだけだと思うが、その達観した姿には見習いたいものがある。
「アトル殿、どうされました?」
「いえ、何でも……ああ、そろそろ俺が先行した方がいいですね。洞窟の内部は……」
暗闇――であるはずなのだが。俺たちは洞窟の入口で、今までと様子が違うことに気づく。
「洞窟の中が明るくなって……アトル、これは……」
エルシェ様が指差す先――昨日は何もなかったはずの壁に、発光している部分がある。
「洞窟内の環境が変化している……エルシェ様、やはり俺が先行します。悪い変化ではないと思いますが、おそらくこれも魔核を浄化したことによる影響です」
「魔核が成長して作られるものが魔窟……ですが、魔核を浄化した際に、魔窟はいったいどう変化するのか……その答えが、今目の前にあるということですね」
シュタルトさんの言う通りだ――魔窟はもはや魔窟ではない。そして浄化された魔核もまた、別の名前で呼ぶべきものだと言えるだろう。
俺はなぜ、魔核を封じる方法を知っているのか。シュタルトさんは、魔王が魔核を作り出すと言っていた――魔王を倒そうとしていた俺は、魔核に対抗する知識を求めて、身につけていたということなのか。
俺は魔王を倒せなかった。魔核を封じる方法を知っていても、魔核を作り出した者には力が及ばない。そうだとしても、自分が思っているよりも、俺は魔王に近づけていたということなのか。
自然と足が早まる。魔核に何か変化が起きているなら、それを確かめたい――しかし。
青い領域の中に封じられた魔核の姿が見え始めたとき。周囲の風景が変化していく――洞窟の中にいた俺は、いつの間にか真っ白な空間の中に立っていた。
どこかに転移させられたわけでもなく、まやかしを見せられているわけでもない。
白い空間に溶け込むような、少女がいる。髪の色も肌も白く、人形のように無機質で、その場に仰向けに倒れたままで俺を見ていた。
「……君は、あの魔核の中にいた……いや。あの魔核の精神体か」
少女は何も答えない。ゆっくりと身体を起こすと、俺の前まで歩いてくる。
「俺は……魔核を浄化する方法を知っていた。けれど、なぜ知っていたのかは分からない……記憶がないんだ」
少女は俺の言葉を聞いているのか、そうでないのか――無言のままで手を伸ばしてくる。その手に敵意は感じられず、胸のあたりに触れてくる。
『……私もまた、なぜこうなっているのかを理解していない。外敵であるあなたを排除することができず、地脈とも切り離され、私は機能を維持できなくなり、死ぬはずだった』
「けれど君は死んでいない。俺は、君を死なせたくなかったんだろうな。記憶がない間の俺がそう望んだから、こうなっている……ということだと思う」
『……封印が緩めば、私はまた人間に敵対するかもしれない。今からでも私を破壊するべき』
「いや、そうはならない。俺の目が黒いうちは」
迷わずに答える俺を見て、少女はしばらく瞬きだけをしていたが――そのうちに、ほんの少しだけ表情を変える。
『私は負けたのだから、あなたに命令する権利はない』
「……そうか。洞窟の中を明るくしたのは、君がやってくれたのか?」
『この洞窟は私の支配下に置かれている。そしてあなたが今いるのは、私を制御するための領域……その使用権を、あなたに与える』
――少女がそう言った直後、目に映るものが切り替わる。
眼前にあるのは、青く輝く巨大な水晶――機能は浮かび上がっていた人の姿が、今は見えなくなっている。
「アトル、聞こえるか? アトルッ……!」
「ん……エ、エルシェ様。すみません、俺、今……」
目の前にいたのはエルシェ様――俺に必死に呼びかけていた彼女は、目を潤ませて安堵の息をつく。
「ああ、良かった……急に上の空になって、全然こちらに気づかなくて……あまり驚かせないでくれ」
「アトル殿、魔核の様子が変わっているようですが……」
「それは……おそらく大丈夫です。いや、確実にと言った方がいいですね」
「……どういうことだ?」
「魔核を浄化すると、こういうことができるようになります」
辺りをもう少し明るくしてもらうように念じてみる――すると、洞窟内の光量が増す。見回してみると、岩壁の発光している部分が増えていた。
「凄い……アトル様が洞窟を明るくしていたんですか?」
「いや、この魔核を制御できるようになったというか……浄化するとそれができるようになるみたいで」
「そ、そうなのか……最初からそうだったが、アトルはどんどん人間離れしていくな……」
「俺は大したことはしていません、魔核を介して洞窟の環境を変えてもらっているだけですから」
「話を聞いていてもまったく意味は分からないが……アトル殿のおかげで、この洞窟内が安全であるということは分かった」
「あたしもそれくらいしか分かんないけど……アトル君て、本当に何者……? あたしたちって、もしかしてとんでもない人に教わってたの?」
「俺はただの村人ですが……とりあえず到着したので、温泉のことを調べてみましょうか」
魔核がある場所からさらに進むと、温泉が見えてくる――改めて見るとかなり広い。周辺を調べてみるにも思った以上に歩くことになりそうだ。
「水中に生息している生き物はいない……火蜥蜴は外に出ていたし、湯とはいえ水には入りたがらない。泉質についても大丈夫そうですね」
少し掬って舐めてみるが、毒性などはないようだ。温度は屋敷の風呂よりは少し熱いくらいか。
そしてもし温度が高ければ、すぐに調節することができる――洞窟内の環境を制御できるというのはそういうことだ。
「あっ……見てください、あっちにもう一つ温泉が……あれ?」
ファナさんが声を上げて、ある方向を指差す――湯気の立つ温泉の他に、もうひとつ水場がある。そちらの方は透明な地下水が溜まっていた。
「温泉の他に、冷たい水の池もある……これならのぼせそうになっても冷ませますね」
「それはいいが……ユナ、冷たい水を急に浴びると身体が驚くから、ゆっくりするんだぞ」
「かしこまりました、エルシェ様」
「それでは、私たちはあちらの岩陰で……アトル殿、シュタルト殿、行ってまいります」
「アトルがもし入るのなら……すまないが、ぐるりと回り込んで、向こう側で入ってもらえるか。そうすれば、湯気があるので問題はないからな」
「了解しました。でも、俺は……」
エルシェ様は最後まで聞かずに、皆と連れ立って岩陰に向かう――そして、楽しそうに話す声が聞こえてくる。
「……エルシェ様、まるで絵画から出てきたような……」
「こんなに華奢なのに、あたしより……あー、駄目。そんな恐れ多いこと……」
「最近は前よりも運動できているから、少しは引き締まった気がするな。皆と比べたら全然だが……」
「お褒めのお言葉を頂けて光栄です。身体を鍛えることも私たちの務めですので」
「私ももっと鍛えないとですね。油断すると二の腕がぷにっとしちゃって……」
こういう会話を聞いていてもいいものなのか――温泉の水音にでも意識を傾けるべきだろうか。
「……アトル殿、殿下も勧められていたことですし、温泉に入られてはいかがですか? 見張りは私がしておりますので」
「さっきも言った通り、洞窟内は魔核を介して制御できるので危険はありません。ですので、見張りの必要も無いってことですね」
「なるほど……」
「良かったらシュタルトさんも一緒に入りませんか? せっかくここまで来ましたし」
シュタルトさんは少し考える間を置く――そして。
「分かりました。アトル殿にそうおっしゃっていただけるのなら」
俺たちは連れ立って、エルシェ様たちとは対岸というのか――広い温泉の向かい側に歩いていき、ちょうど目隠しになる岩陰で装備を外す。
「では、アトル殿は岩のそちら側でお着替えください。私はこちら側で着替えます」
同性同士でも着替えを見られるのは落ち着かないということなら、それは尊重するべきだ。シュタルトさんの提案に従い、服を脱ぎ始める。
「シュタルトさん、先に入りますね」
「はい、私はまだ少し時間がかかりますので……」
彼の方がしっかりと武装しているので、着替えにも時間がかかるということだろう。俺は湯に魔力を通し、球体状にして浮かべると、それを肩から浴びる――そうしてから湯に浸かる。
「……沁みるな……」
肩まで浸かると、思わずそんな感想が出る。やはり温泉はひと味違う――エルシェ様やユナ、兵士の皆が疲れを取るには良いかと思っていたが、俺自身にもこれは効くと言わざるをえない。
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