第二十一話 勝利の報告/無自覚
屋敷に戻ってきていったん部屋に戻る――ここまで気配はずっと消したままだ。
「ふぅ……」
正式に編入するまでは、このやり方で結果的にも良かったのだろう。俺は殿下の模擬戦を見届け、その後の面倒事も避けることができた。ジョアンたちは幽霊にでも遭遇したと思っているだろうが、彼らの企てたことを考えるとそれは仕方がない。
ちょうど夕食の時間ということで、食堂に向かう。日が落ちたあとの廊下は明かりの数が少なく、薄暗い――これは対策をした方が、夜間の移動に不便がなくていいかもしれない。
食堂は十分に明るいが、蝋燭より安全な明かりを採用した方が良いかもしれない。こうして見ていると、屋敷の生活環境自体に改善できる点がいくつもありそうだ――記憶がない間、俺は住環境について考えるようなことがあったのだろうか。
「っ……ア、アトル。なんだ、なかなか来ないから、夕食を摂らない主義なのかと思ったぞ」
「すみません、ちょっと自室で休憩していました」
殿下は俺が来るのを、席に着かずに待っていたようだった――俺が席に着くなり、メイドが椅子を引いて、殿下は主人の席に着く。
「そうか、夕方のお昼寝か。分かるぞ、私もついうとうととすることはあるからな」
俺のことを待つ必要はないと言いかけたが、朝に会ったときと比べてみても、殿下の態度が目に見えて変わっている――学園であったことを考えればそうなっても自然ではあるが、とても明るい。
「そうですね、つい少しだけ……殿下、学園はいかがでしたか?」
俺が護衛についていることを知っているシュタルトさんも、知らないふりをしているが――俺からすると多少落ち着かなそうに見える。
「後でユナからも話を聞くかもしれないが……君に話していたことが、現実になった。学園で魔法の試合をして、私はそれに勝つことができたんだ」
「なんと……それは素晴らしい。おめでとうございます、殿下」
「う、うん……ありがとう。全て君の……おかげ、というかだな……」
「おめでとうございます、殿下。朝の訓練に参加されたのは、そういった理由もあったのですね」
夜の間に屋敷を抜け出し、そこで俺に魔法を教わった――というのは、シュタルトさんには秘密になっている。
朝の訓練で殿下は魔力を足に集中させることによる回避を身につけ、リンダとの戦いでそれを実践してみせた。殿下は一度見たものから学習する力が高く、戦いに慣れていなくても勝負度胸がある。
「これで当面の憂いは随分と軽くなった。君が学園に来てからも、情けないところは見せなくて済みそうだ」
「……いいんでしょうか? 突然俺が学園にやってきて、生徒の一員になるというのは」
「それに文句をつけそうな者たちと、試合で話をつけたんだ。君が学園に来ることに関しては、私が全て責任を持つ」
殿下は鋭い目でそう言い切る――しかし、俺と目が合うと、何かに気づいたような顔をする。
「い、いや……そうだな、私が来てもらう立場なのだから。恩を着せるような言い方になってしまったが、つまり……私は主人としての義務を果たす。護衛として君が必要なのだから、周囲にそれを納得させるだけだ」
「あ、ありがとうございます……ですが今までのことを考えると、護衛のために通うという意図は伏せておいた方がいいかもしれません」
「そうか……そういうことなら、やはり私の縁で一人編入すると、それだけの説明になるか。まあ、何とかしてみせよう」
一度話を区切り、俺たちは食事を始める。領内を走っているときに目立ったのは水田で、おそらくそこで取れた米と、牛肉を焼いて肉汁を使ったソースをかけたもの。そして、人参などの根菜が入ったスープが並んでいる。
殿下は少食のようで、俺と比べるとかなり量が少ない。まだ来たばかりの俺がこんな待遇を受けていいのだろうかと思いつつ、肉を口に運ぶ――柔らかく処理してあって、かなりの美味だった。
「これは……美味しいですね。塩がほどよく効いていて」
「うちのメイドたちは限られた食材でよくやってくれている。この辺りは塩が取れないので貴重品だが、なるべく切らさないように工夫しているんだ」
小さな領地において、手に入らない資源があるのは仕方ないことだが――もし、何か一つでも資源を領内で見つけられると、状況は大きく好転する。
「そうだ……殿下、昨日話していた森ですが、どうも何かが潜んでいるようです。魔物かは断定できないですが、その可能性が高いかと」
「っ……そうか。周辺の住民のことを考えると、早めに対策をした方がいいな……村長は、冒険者の力を借りてそのうち調査すると言っていたが」
「現状それができていないのなら、俺が調査を行ってもいいでしょうか?」
「……わかった。では、明日にでも行くことにしよう」
「……えっ?」
危険があるかもしれない調査に、殿下が同行するというのは俺の頭にない発想だった――それで思わず間が抜けた反応をしてしまう。
「明日は学園が休みだから、ちょうどいい。いつもなら屋敷に引きこもっているからな、今はできるだけ身体を動かしたいというか……『身体強化』を教わったからかな」
「し、しかしですね、殿下。万一危険な魔物がいた場合……」
「村の長が冒険者を雇えていないのは、費用が高くつくからだろう。調査してみなければ何があるのか分からないし、これ以上先送りにしてもあの辺りの土地が利用できないままだ。他の未調査の場所についても、順に調べていく……そうだな、何人か兵にも同行してもらおう。それでどうだ?」
ただの思いつきではなく、周辺の事情を考えた末のことならば、俺としても反対はしない――のだが。
「調査隊のリーダーは君とする。私は君の指示に従って、何よりも安全を重視しよう」
「……それでは、私も同行いたしましょう。アトル殿、よろしいですか?」
仕方がないという様子のシュタルトさん――殿下には危険なことはさせられない、というのが本音だろう。しかし同時に、殿下が自分から行動を起こしたことに対して、嬉しく思っているようでもあった。
◆◇◆
夕食から一刻半ほど時間が経ったあと。屋敷の敷地内に作られた浴場に、エルシェリアスとユナの姿があった。
「殿下、今日は本当にお見事でした。私、見ていてもう興奮してしまって……」
「またその話か……さっきから五回くらいは聞いているぞ」
「す、すみません、あんまり嬉しかったもので……殿下があんなにお強いことを知ったら、クラスの人たちもびっくりすると思います」
「そうなりすぎても困るが、リンダは自由に立ち回りすぎていたからな。ジョアンについては……何かしてくるかと思ったが、意外に何もなかったな」
「あの方は、殿下とお近づきになるために、リンダさんと協力なさっていたようですから……これから、どうなるんでしょうか?」
「それは知らないが、私もこれ以上追い詰めようという気はないからな……」
ユナはエルシェリアスの髪についた泡を流し、背中を流し始める。この華奢な身体で、彼女はリンダと戦って勝ってみせた――それを思って、ユナは感極まりつつも必死に堪えていた。
「……ユナがいてくれて良かった。私は何も不平を言う資格なんてないほど恵まれていて、ただ逃げていただけなんだ。勝てない勝負はしたくない、情けない振る舞いをしていた」
「いえ……私と姉がここにいられるのは、全て殿下のお力によるものですから。それなのに私こそ、何もできなくて……アトル様が、全てを変えてくれたんです」
二人の言葉が途切れる。エルシェリアスは、後ろにいるユナをうかがう――エルシェリアスより背が高く、クラスでも目立つ容姿をしているユナだが、本人には自覚のないところがあった。
「……? いかがなさいましたか? エルシェ様」
「いや……ユナにはできるだけそのままでいてほしいが、それは私の我が儘かもしれないと思っただけだ」
「え……そ、それはどういう……あっ、いえっ、アトル様のことでしたら、私は……っ、ええと、素晴らしい方だと思っていますが……私のことは、姉の妹というくらいにしか思っていらっしゃらないかと……」
「……ふふっ。なんだそれは、ファナの妹としか認識されていないということか? アトルはそんなにいい加減ではないと思う」
「ああっ……そ、そうですよね。アトル様はお優しいですし……それに、姉が言っていましたが……」
「っ……ファナが何か……?」
エルシェリアスは、夢の中のようにも思えた出来事を思い出す――深夜に、ファナがアトルの胴囲を測っていた光景を。
その一部始終を見ていたわけではなかったために、エルシェリアスはファナとアトルの関係について、どれくらいのものなのかと想像を巡らせてしまいそうになり、そのたびに抑えていた。
「……鍛えあげられた、鋼のような身体をされていると。そのような方が、なぜただの村人を名乗っておられたのか……姉も、私もですが、気になってしまって……」
「そ、そうなのか……私は、その、見たことがないから分からないが……」
「私も姉から聞いただけなので、想像するだけしか……い、いえっ、姉が言う通りなら、着痩せする方なんだな、ということになるのかと……」
二人は顔を紅潮させて、さらに想像を巡らせかけて――お互いに頭を振る。
「そ、その話は今は置いておこう。アトルが強いのは分かっているし、今はそれで十分だ」
「は、はい……そうですね、そんなことばかり気にしていたら、アトル様に変に思われてしまいます」
「っ……そうだな……アトルの居心地が悪くなるようなことは、してはいけない」
エルシェリアスはユナの言葉が刺さるように感じたが、同意せざるを得なかった。ユナは桶で湯を汲み、エルシェリアスの肩からゆっくりとかけて泡を流していく。
「ありがとう、次は私が……どうした?」
「……殿下は私のことを褒めてくださいますが、やっぱり殿下こそご自覚なさっていないと思います」
「……何のことだ?」
エルシェリアスは不思議そうに首を傾げる。その仕草さえ人を魅了するとは言えず、ユナは主人の厚意に甘え、背中を流してもらうために髪を上げた。




