第二十話 勝負の行方
訓練が終わり、つつがなく朝食も摂った。その後は解散となったが、殿下はちょいちょいと俺を手招きする。
「殿下、いかがされました?」
「……耐魔力の処理……だったか。それは上手くできているのか?」
「はい、全く問題ないかと思います」
「念の為によく見ておいてくれ。もし完全でなかったら……その、恥ずかしいからな」
確かに、模擬戦中に服が破れては戦うところではなくなる。まず正面から見て、それが終わると殿下はくるりと後ろを向いた。
「……どうだ?」
「後ろ側も問題ないかと」
「あ、あのっ……その、お尻を見て問題ないというのは、それ自体が問題大ありかとっ……!」
「っ……い、いや、違うんだユナ。そこを見ていたわけじゃなく、後ろから見た全体の話だから」
思い切り勘違いされてしまった――ユナの首から上が見る間に赤くなっていく。
「ユナ、早とちりをしてもだいたいは許すが……今のはいただけないな」
「ああっ……も、申し訳ありません、私、朝からお尻だなんて大声でっ……」
「……アトル殿、もし女性が多い館で何か思うところがあるようでしたら、私が相談に乗りましょうか」
勘違いは連鎖していく――真剣に俺を案じてくれているシュタルトさんに事情を説明すると、彼は俺が乱心したわけではないと分かり、胸に手を当てて安堵していた。
「……アトル、君のことだから問題はないと思うが、ちゃんと真摯に見ていただけだな?」
「は、はい、誓って雑念はございません」
そして殿下も少し気にしている――華奢な体型だと思っていたくらいなのだが、それもこの状況では言いにくくなってしまった。
◆◇◆
殿下とユナが学園に向かったあと、俺は少し後から魔法学園にやってきた。人目のないところで魔力で体を覆い、性質変化させて気配を絶つ。
校門を通って敷地内に入り、校舎に入る――殿下の教室に近づくと、何か言い争っているような声が聞こえてきた。
「――エルシェ様は、逃げてなんていません!」
ユナの声――教室の中を覗くと、リンダと取り巻きの生徒たちが、ユナと殿下の二人と向かい合っていた。
「それなら、ユナさんが模擬戦を受けてくれてもいいんだけれど。従者のあなたから星を取るのはこれまで遠慮していたのだけど、あなたの主が受けてくれないなら仕方がないものね」
「っ……そ、それは……」
「あなたも星は失いたくないんでしょう? でも、この学園では競争を良しとしている。模擬戦を申し込まれたら、ずっと断り続けることは望ましくない……そうよね、みんな」
「リンダ様のおっしゃる通りです!」
「こんなにまでリンダ様がお願いしているんだから、試合を受けてもいいじゃない。私たちの教室で星を十個集めた人が出たら、それは快挙なのよ」
星を集めることで何が起こるのか――そして、取られた場合はどうなるのか。まだ具体的には見えてこないが、幾ばくか想像はつく。
「……ユナ、いいんだ。今まで庇ってくれてありがとう」
「エルシェ様……」
「そうやって従者を連れてきているのに、エルシェ……あなたはどこの家の人なのかも明かさない。家の名前を隠しているのは、相応の理由があるんでしょう?」
今まで見てきて分かったことだが、殿下は自分の身分を明かすことができない。そこに付け入る挑発に、思わず胸が波打つ――しかし。
「リンダ……君の申し入れを受けよう。模擬戦を受けてやる」
「っ……本当に? 気が変わって撤回すると言っても遅いわよ?」
ここで殿下が受けると思っていなかったのだろう――リンダが動揺しながらも念を押してくる。
「模擬戦に負ければ、持っている星を全て渡す……それが決まりだったか」
「ふふっ……私のこれまでの試合を見ていないの? あなたは負けた時のことだけを考えていればいいのよ」
「……私が勝ったときは星は要らないが、二度と私たちに干渉しないでいてもらう」
「っ……人の話を聞かないのね。そんな生意気なことを言っていられるのも今日までよ。模擬戦は放課後、それまでに覚悟をしておくことね」
――そのとき、学園内にチャイムの音が響く。担当教官がやってきて、生徒たちは席に戻った。
(……何だ?)
リンダは席に戻るとき、ジョアンの横を通り過ぎた――俺には、二人が目配せをしたように見えた。
殿下が模擬戦を無事に終えるまで、見届けなくてはならなくなった。担当教官が点呼を取り、朝の申し送りが始まる――殿下は最後列の席に座り、隣に座ったユナを気遣っているようだった。
◆◇◆
クリスタリア皇国魔法学園は、一つの学年が金級・銀級・銅級の三つのクラスに分かれている。それぞれのクラスには、一般試験で入学する者が若干数いる。
入学時の試験で優秀な者、一部の貴族家の子女は金級に属する。殿下の素性を知っているのは学園長とその近辺の人物だけで、表向きは一般試験を通過した生徒として扱われている。
一般試験を通過した場合は、通常は学園の敷地内にある寮に入る――殿下が特別な待遇を受けていると周囲から見られているのは、そこに起因している。
リンダたちからは必要のない疑いをかけられ、ジョアンのように殿下に近づく者もいる。その状況で学園に通い続けるのは、殿下にとって気が進まなかっただろう。
書庫でユナと話していたときにも、殿下は胸の内にある思いを明かしていた。理不尽な状況――彼女は決して、それに屈したりはしなかった。
模擬戦に勝てばおそらく状況は好転する。しかし、勝てなければ――その時は。
限られた時間で、できたことは多くない。だが、絶対に勝てないとは思わない。俺は殿下が魔法を使う姿を見て、それほどの可能性を感じさせられていた。
◆◇◆
放課後。殿下はユナと一緒に、模擬戦が行われる場所に向かう――学園に隣接している試合場だ。
観客席はあるが、見ているのはリンダの取り巻き三人とユナだけだ。審判はどうするのか――それは、魔力を集中させて目を凝らすと答えが分かった。
(精霊がいる……人間が審判をするわけじゃないのか)
やがて、試合場にリンダと殿下の二人が姿を見せ、舞台に上がる。リンダと殿下は、模擬戦に用いるものということか指輪型の法具をつけている――それを二人が掲げてみせる。
『――これより、模擬戦を開始します。模擬戦の勝敗は、法具によって展開する結界が受けた魔法の威力を比較することで決します』
精霊の声が聞こえてくる――殿下とリンダは、向かい合った状態でその声に耳を傾けている。
『結界の維持ができなくなった場合は、その時点で敗北とみなします。また、結界を貫通するような魔法については使用を禁じます』
「……ルールの説明は以上のようですね。それでは、始めましょうか……風よ、我が敵を撃て。『風撃球』……!」
リンダの詠唱と共に、彼女の前方に風が渦巻き、球体に変わる。
「エルシェ、あなたは魔法の実技において致命的な部分がある……それは、平均的な魔法の発動速度よりもずっと遅いという……こと……?」
威勢の良いリンダの言葉は、途中で勢いを失う。彼女の取り巻きたちも、そしてユナも、目の前の光景に驚いていた。
「――『魔力よ、我が意志のもとに自在となれ』!」
魔力の器から、殿下の力が引き出される――制服に織り込んだ耐魔力の術式回路が発光する。
「な、何を……何の魔法を使ったの、エルシェッ……!」
「ひ、卑怯よ、そんな、私たちが知らない魔法を……っ」
リンダと取り巻きの一人が声を上げる――それを見て、殿下は眼鏡のつるに触れながら不敵に笑ってみせた。
「私も君が使う風の魔法を見たことがなかった。模擬戦ではそんな魔法を使うんだな」
「くっ……いつもいつも、あなたのその態度が気に食わないのよっ……!」
リンダが放った風の球は三つに分かれて、殿下の逃げ場を塞いで襲いかかる。
「これがあなたにかわせるっ……!?」
「――光よ、我を守る壁となれ。『光の壁』!」
殿下が何度も練習していた防御魔法――しかしそれを見たリンダは、勝ちを確信したように笑っていた。
「そんな壁一つで、私の魔法を防げるとでもっ……」
前方に展開した光の壁が、風の魔法とせめぎ合う――その間に、二つの風の球は、殿下の法具が形成する結界に命中し、削り切る。リンダの中では、そこまでの光景が見えていただろう。
「――『光よ』っ!」
光の壁を回り込んだ風の球に向けて、殿下が両手を向け、詠唱する――発動句のみの簡易詠唱。
ただ明かりを作るために使われる魔法。殿下はそれを自分の魔力を放つために使った。
殿下の魔力によって風の球が相殺される。魔力の放出と同時に、耐魔力を施していない部分――殿下の髪に結ばれていたリボンが解ける。
愕然としていたリンダは、それでも戦意を失ってはいなかった。もう一度右手をかざし、殿下に向けて魔法を放とうとする。
「それくらいのことで、勝ったと思わないことね……っ、『風撃』――」
殿下がわずかに重心を低くする。瞬間、彼女が見せた表情にぞくりとさせられる。
魔法を放つことに集中していたリンダには、想像もできなかっただろう。詰められるはずのない距離を、殿下は足に魔力を集中させ、駆け抜けてみせた。
「――私はぁぁぁっ!!」
負けるわけにはいかない、その想いが叫びに変わる。しかしリンダが振り向く前に、殿下は魔力の集中を終えていた。
「――『光よ』!」
攻撃魔法ではない、ただ魔力をぶつけるだけ。しかし、殿下の魔力量であればそれは十分な威力を発揮する。
「きゃぁぁっ……!!」
まだ、器のごく一部しか使っていない。それでもリンダの結界は消し飛び、彼女はその場に倒れ込む。
『――法具結界の消失を確認。勝者、エルシェ』
精霊が模擬戦の終わりを告げる。完全な静寂が訪れ――そして。
「エルシェ様っ……!!」
「リ、リンダ様……嘘、リンダ様が負けるなんて……っ」
「そ、そうよ……さっきの魔法は何? あんな魔法を使うのは……っ」
「模擬戦で使ってはいけない魔法があるのか? 私は寡聞にして知らないが……」
「くっ……ぅぅ……お、覚えてなさいっ……」
返す言葉もなく、取り巻きたちはリンダを担いで連れていく――ユナは感極まって殿下に抱きついていたが、しばらくして自分がしていることに気づき、慌てて少し離れる。
「す、すみません私、嬉しくて……エルシェ様、本当にお強かったです」
「いや……私もこれほど上手く行くとは思わなかった。全て、アトルのおかげだ」
「はい……お家に帰ったら、アトル様もきっと喜ばれます」
ユナは泣いているようで、殿下が彼女の目元を拭っている。そうして笑い合う二人を見て、俺はその場を離れることにする。
――まだ一つ、やっておかなければならないことがある。試合場の外に出ると、リンダたちと入れ替わりでジョアンと男子生徒二人がやってくるところだった。
「よ、よろしいのですか、ジョアン様。エルシェが勝ったなら、その結果は絶対では……」
「それでは困るだろう、エルシェが星を多く持ってしまっては。だから『お願い』をしておくだけだ……この試合を無効にしてくれとな。エルシェがそうしてくれるのなら問題はないだろう」
殿下たちが模擬戦で消耗しているところに、脅しをかける――それを思いついても、本当に実行してしまうことに、怒りを通り越して呆れてしまう。
『お前たち。ここから先に進めば、どうなるか分かっているのか?』
「「「ひぃっ……!!」」」
姿が見えない状態で、声を響かせる――元の俺とは似つかわしくない、地の底から響くような声だ。
「だ、誰だ……僕の邪魔をしようとは、そんな狼藉が許されると思っているのか!」
『――許さなければ何だと言うんだ?』
気配を隠していても、抑えきれていなかった。殺気にあてられたジョアンたちはその場にへたり込み、がちがちと歯を鳴らしている。
「ぼ、僕は……こ、こんなところで死ぬわけには……」
『ここから立ち去れ。二度は言わない』
「……うわぁぁぁぁぁっ……!!」
ジョアンたちが走り去っていく。それを見送ったあと、俺は近くの物陰で気配の隠蔽を解いた。
「……おめでとうございます、殿下」
後で改めて伝えるつもりだったが、思わず口にしていた。辺りが夕焼けに染まる中で、試合場から殿下たちが出てくる――何事かを話し、笑い合いながら。




