第一話 農村にて拾われる
クリスタリア皇国の領内にある農村――リベールというその村で、俺は数日前に行き倒れているところを拾われた。
なんでも森の中で見つかったとき、俺は素っ裸で倒れていたらしい。そんな得体も知れない人間を助けてくれたのは、薬草採りに来ていたシスナさんだった。
初めは頭痛がしてろくに動けなかったが、ようやく行動を起こせそうだというところまで良くなった。寝室のベッドの端に座り、身体が万全に動くか確かめる――どうやら大丈夫そうだ。
「っ……もう起きても大丈夫なの? アトル君」
「あ、はい。なんとかなりそうです」
行き倒れるまで自分が何をしていたか――定かじゃないが、魔王を倒そうと考えて村を出たところまでは覚えている。
だがこうなっているということは、魔王を倒すなんていうのはやはり難しく、どこかで魔物にやられてしまったのか――それとも。
頭痛がしている間に何か大事なことを思い出しかけた気がするのだが、それももう消えてしまった。俺が唯一身につけていたのは、鉄の腕輪――そこに書かれていた『アトル』というのが、自分の名前なのではないかと思う。それすら違っていたら、俺が誰なのかを示すありかは何もない。
「ここに来て二日目までは、本当に酷くうなされていたのよ。私も回復魔法が少し使えるから、それで気を鎮めようとしたんだけど……アトル君、魔法が効かない体質みたいで」
「えっ……そうなんですか?」
「ええ、私の魔法が未熟なだけかもしれないけど。でも元気になってくれて良かった」
そう言って微笑むシスナさん。俺の見た目は十代半ばくらいに見えるそうで、シスナさんは17歳――その雰囲気は、まだ会ったばかりで思うことではないかもしれないが、率直に言って慈愛に満ちている。
「まず、包帯を変えさせてもらうわね」
「あっ、もう大丈夫です。痛んだりはしないので」
そう遠慮しても、シスナさんは俺の服の前を開き、巻かれている包帯を解いていく。
俺の身体の何箇所かには、焼印のような痕がある。初めそれを見た人たちは、俺を逃げ出してきた奴隷と思ったらしいが――それでも介抱してくれたことに、感謝してやまない。
「……この模様、十字に見えるけれど。他のところの痕も、何かの模様みたいな……いえ、そんなことは関係ないわね。辛いことを思い出させるつもりはないの」
「いえ、その……何も覚えてないので。あまり悪いようには捉えないことにしようと思います」
そんなふうに答える俺が、シスナさんにどのように見えているのか――彼女は何かふるふるとしていたが、頭を振って、再び包帯を巻き直し始めた。
「っ……」
「ごめんなさい、痛かった?」
「い、いえ。こちらこそごめんなさい……」
「?」
シスナさんは俺に良くしてくれるが、一つ問題があった――それは距離感が近いことだ。
腕を取られた拍子に、当たってしまっている。俺の良心が試されているのかと思ってしまう、それほどに彼女は無防備だった。
「これでよし。ふふっ、なんだか大きい弟ができたみたい。アトル君の方が年上だったりは……しないわよね?」
「え、ええと……何とも言えませんが」
「そう……アトル君が自分のことを思い出せるように、私も協力する。困ったことがあったら何でも言って」
記憶喪失を治す方法が存在するなら、それを探す――どこで手がかりを得るのか、そもそもそんな方法が存在するのか。まるで雲をつかむような話だ。
それよりは、今自分はどんなことができるのか、それが知りたい。素人には簡単に任せてもらえないかもしれないが、何か仕事がしたかった。
「その……これからのことなんですが」
「身体が治っても、アトル君が好きなだけこの村にいていいのよ。私は少ししたら、帝都の学校に行かないといけないけれどね」
「帝都の学校……もしかして、魔法の勉強のために?」
「父がせっかく魔法の才能があるのならと、通わせてくれているの。今はお休みだから、こっちに帰ってきているのよ」
それで俺を見つけたというのは、奇跡的に思える――彼女が違う場所で薬草を探していたら、俺はここにいなかった。
「……シスナさんは、やっぱり俺の恩人です」
「えっ……どうしたの、急にかしこまって」
「俺に何かできることはないですか? 記憶はすぐには戻らないし……戻るかも分からないけど、それでも何かで役に立てたらと思って……」
「うーん……そうね。うちの父はこの村の村長をしているんだけど、少し前に放棄された畑があって、そこの手入れに人が回らないって言っていたの。大変かもしれないけど、私と一緒に……」
「それ、ぜひ俺にやらせてください。昔いた村で、畑仕事の手伝いをしていた気がしますから、何かできそうな気がします」
「そ、そうなの……? アトル君、ちょっとだけ昔のことを覚えているのね」
シスナさんは驚いたようだったが、早速俺を仕事場に案内してくれるらしく、一度部屋を出ていった。
◆◇◆
村長の家を出て、森に向かう。俺が見つかった場所のある森の向こうに、かつて使われていた畑があるそうだ。
リベールでは自給自足で食料を賄っている。昔は村の必要分よりも多く農作物を作って、それを売ることも産業としていたとのことだ。
しかし、十年前までは『魔王』と魔物たちが各地を荒らしていて、この村も例外ではなかった。
「この辺りにも『将軍』と言われるような、強い魔物が攻めてきたことがあるの。村の人たちが組んだ自警団ではどうにもならなくて……」
魔物についての話を聞くと、何か胸にざわめくものがある。記憶を失う前の俺は、おそらく魔王を倒そうとしていた――魔王の配下である魔物も、もちろん倒すべき存在だ。
「まだ、魔物が姿を見せることはありますか?」
「昔と比べると少なくなったけれど、まだ時折、人里離れたところから出てきてしまうみたい。昨日も冒険者の人に依頼して、退治に出てもらっているわ」
話しながら歩くうちに、目的の場所に辿り着いた。
かつて大型の魔物が暴れまわったのか、畑だった土地が穴だらけになっている。大きな岩もゴロゴロとしていて、いくつも大木が折られたままになっていた。
「草も生え放題だし……刺されるといけないから、虫よけのオイルを塗っておいてね」
「ありがとうございます……あ、でも何か大丈夫みたいですね」
「え……? ほ、本当ね……アトル君は虫に刺されにくい体質なのかしら」
寄ってきていたヤブ蚊が、俺を避けるようにして離れていく。なぜそうなるのか分からないが、虫に嫌われる素養でもあるんだろうか。
それはそれで特に困らないので、作業を始めることにする。もはや畑の原型が残っていないので、使えるようにするには――まず、石や木を取り除く作業からだ。
「じゃあ、早速……」
「っ……ちょっと待って、素手で叩いたりしたら怪我をしてしまうから、岩は木の棒を使って運び出しましょう」
木の棒を使って、テコの原理で石を動かし、運び出す――それももちろん可能だが。
「この石は、壊しちゃってもいいんですよね」
「……壊す?」
「でもそうだな、確かに素手よりは何か道具があった方がいい。ハンマーとかはあったりしませんか?」
「え、ええ……でもこれは、もっと小さい岩を砕いたりするもので……」
シスナさんが腰に下げていたポーチから、小さな槌を取り出す。それを受け取った俺は、近くにある石の前に立った。
「無理はしないでね、そのハンマーじゃとても……」
無理だと言われても、俺にはそんな気は全くしなかった。集中し、ある一点を狙って槌を振りかぶる。
「――せいっ!」
ゴツッ、とハンマーが岩にぶつかる。シスナさんの方を振り返ると、彼女はどこか安堵したように笑っている。
「そ、そうよね。そのハンマーで、岩が砕けたりするわけは……」
――その時、俺の背後でピシッ、と音がして。
驚愕するシスナさんの視線の先で、砕けた岩がガラガラと崩れ去る。
「ど、どどどっ……」
「どうやって、というのは……大きな岩にも、急所のようなものは存在するんです。そこを狙って何度か叩きました」
「わ、私には、一回だけ叩いたようにしか……いったい、何回叩いたっていうの?」
「七回ですね」
「……えええっ……!?」
一振りで七回攻撃――いや、七回打撃が繰り出せるというのは、俺の中ではまだまだの数字だ。
もっと俺より上の存在が、何人もいると思える。しかしシスナさんの驚き方を見ていると、これでもそこそこ良い線なのだろうか。
「……普通はそんなふうに岩を叩いても砕けないし、一瞬で何回も叩くなんてことはできないの」
「そう……なんですか?」
「それが当たり前のはず……はずなんだけど……私が知らないだけで、世界は広かったっていうことなの……?」
「俺が記憶を無くしてることにも、関係あるのかもしれませんが……思い出せないものは、仕方がないので。とりあえず、石を全部砕きますね」
「……さっきから何か変なような……そ、そう、『岩』じゃなくて『石』って……あぁっ……!」
「せいっ!」
シスナさんが声を上げるが、俺はさっきより大きな石――シスナさんが言うところの岩に向けて槌を振り下ろしていた。破片が飛び散らないように注意して叩くと、岩に亀裂が入り、さっきより静かに崩れる。
「では、続けてやっていきますね」
「え、ええ……ごめんなさい、私、腰が抜けて……」
「っ……だ、大丈夫ですか? ここは俺に任せて休んでいてください」
倒れそうなシスナさんを抱え上げて、近くの木陰に運ぶ。
「……もう言葉も出ないけど……すごく力があるのね、アトルく……いえ、アトルさん……?」
「どうして急に敬語に……俺はただのアトルですよ。記憶がないので、本当にその名前なのかは分からないですが」
シスナさんはしばらく黙って俺を見ていたが――そのうちに、ふっと力の抜けた笑顔になる。
「本当に不思議な人ね……あなたは。私も回復魔法が使えるから、少し休んだら手伝うわね」
「はい、お願いします。他の道具も借りていいですか?」
「っ……ハンマーだけじゃなくて、他のものも同じように使えたりは……しないわよね?」
恐る恐るという聞き方をされて、俺は頬をかいて苦笑する。
「えぇっ……お、斧も……そんなこと、できるわけ……っ」
「――せいっ!」
シスナさんの持ってきていた手斧を、俺は折れた木に向けて振り下ろす――今度は薪として使えるように、何度か振り下ろして形を整えた。
「……こんなものかな」
俺は斧を鞘に収めようとして――剣を使っているわけではないと思い出した。もちろん鞘もない。
「ははは……何やってんだろう、俺」
気恥ずかしくなって振り返る。すると、シスナさんはさっきよりも驚いている――やったこと自体は同じように、木に対して『七回攻撃』を三回放っただけなのだが。
「そんな小さな斧で、あの大木の切り株を、きれいに形を揃えて……一瞬で……っ」
「あの伐り方で良かったですか?」
「どうやって処分をするかが難しいと思っていたから……もし燃料の薪に使えたりしたら、すごく助かるのだけど……そ、そうじゃなくて。ああっ、アトルさんっ……!」
もはや悲鳴のような声を出しているシスナさん――だが、まだ整地作業は始まったばかりだ。
木の切り株もなくなったあとは、生い茂っている草を鎌を使って刈り取る。
「――はぁっ!」
鎌の方が手に馴染む――剣で薙ぎ払うようにして草を刈り取っていく。やはり『七回』振った範囲の草全てが刈り取られて、脇に草の山が積み上がった。
「すみません、剣を振るみたいなやり方で……何か、これがしっくり来るので」
「……もう声も出ないというか……アトル君、この村に来るまで何をしていたの……?」
「そんなに変わったことはしてない……と思うんですが。ただ、魔王を倒そうとしていたような気はしてます」
「魔王……そうね、魔王を倒そうっていう人なら、そんなことができても不思議は……ま、魔王……!?」
「それは上手く行かなかったんだと思います。それに、俺が倒せなくても、もう魔王は出たりしないんですよね」
「……魔王が出現しなくなったのは、十年くらい前からだけど……アトル君には、そんなに大きな目標があったのね」
もし魔王が今も出るようなら、倒さなくては――という思いはあるが。もう、世界は平和になったのだろう。
こうして畑を使えるようにするのも大事なことだ。しかし次にクワを手に持ったところで、シスナさんは両手で顔を覆っていた――どうやら俺のすることが彼女にとって衝撃的らしいと分かってきたのは、ひととおりクワを使って荒れ地を耕し終えたあとだった。
※次回の更新は明日のお昼頃の予定です。




