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第十八話 教え子/手合わせ

 館へと戻ることになったが、殿下は途中からそわそわとし始める――俺の上着を羽織っているとはいえ、服が破れている状態では落ち着かないだろう。


「アトル、君は少し後に帰ってくるといい。一緒に戻ってきてもいいが、もし誰かに見られると……その、説明が大変というか……」

「は、はい……お気遣いありがとうございます、殿下」

「……君はみんなに信頼されているし、変な疑いはかからないと思うが。君の言うとおりにしたら、結果的に服が……あれはいつもそうなるのか? それだと模擬戦で使えない気がするのだが」

「殿下に慣れていただくか、身につける服にあらかじめ耐魔力の処理をするかですね」


 そう俺が提案すると、殿下は興味深そうに眼鏡の位置を直す。


「耐魔力の処理……君ならそれも、自分でできてしまいそうだな」

「殿下、そういったことにご興味が?」

「興味というか……物に魔法をかけるというのは、神秘的だと思う。そんなふわふわしたことを、と笑われそうだが」

「いえ、探求という行為は素晴らしいものだと思います……と、記憶がない俺が言うのも何なんですが」

「ふふっ……今は忘れてしまっているだけで、君は魔法について研究していたのかもな。学園の教官よりも知識が広いように見える」


 それは実際に、教官がどんなことを教えているかを見ないと分からないが――殿下の魔力容量が非常に大きいということは、おそらくこれまで学園では見過ごされている。


「……くしゅっ」

「っ……で、殿下、お風邪を召されてはいけません、すぐに回復を……っ」

「最近は少し暑くなってきたが、夜になると少し冷えるな……でも、それほどのことは……ア、アトル?」

「さきほど魔力制御の術式を使ったときに、瞬間的に暴走が起きかけていました。それを抑え込むことができたので、当面は問題ないですが……」

「……暴走で魔力を使ってしまったので、君に魔力を分けてもらうと回復するということか。風邪も引きにくくなると……でもそうすると、やっぱり君の力を私の力にすることになってしまう。それはだめだ」

「……殿下」

「しかし……模擬戦を切り抜けることができたら。そのときは、君がさっき言っていたように、試してみてもいいかもしれない。その……器を魔力で満たす、というのを」


 魔力制御の術式を使う場合と、器を満たすやり方では全く変わってくる――後者を試してみたいというなら、俺にも相応の覚悟が必要だが。あの魔力を吸われる感覚からすると、俺が万全のときでも殿下の魔力容量を満たしきれるか分からない。


「……何事も試してみたいと思ったんだ。君が教えてくれることは、いちいち面白そうだからな」

「いちいち……」

「言い方が悪かったか……それならば。君の魔法に対する知識を聞くと、もっと魔法のことが知りたくなる。これまでは、基礎の魔法を安全な範囲で教えてもらうだけだったからな」

「すみません、ちょっと冒険をしてしまっていましたね……一気に色々と言ってしまって」

「私は一度聞いたことはちゃんと覚えているから、今日のことも忘れたりはしない。手のかからない教え子ということだな」

「は、はい……じゃなくて……教え子?」


 つい流してしまいそうになったが、殿下は俺の反応を見てくすくすと笑っている――悪戯が成功したという顔だ。


「……では、また明日ということになるか。君は新しい場所で、よく寝られているか?」

「はい、それなりに順応性はあるようで」

「それは良かった。何か足りないものがあったら言ってくれ、私はなんでも……いや、正直を言うと、あまり贅沢をしてはいけない状況だが……」

「可能な範囲でお聞きしたいのですが、領地の財政状況が良くないということですか?」

「……そういうことだ。私はこの屋敷に来るにあたって、周辺の領地を与えられたということになってはいるが、君やみんなが朝のうちに走って回れるくらいの範囲でしかない。住民に対する税についても、皇国府に納める分しか課してはいないんだ。まだ何もしていない私のことを、住民は領主として扱ってくれているが……」


 兵たちは訓練と領地の警備以外で、時間が空いているときは畑仕事を手伝っているとのことだった。住民と協力すること自体に問題はないが、可能ならば役割は分けた方が良い――しかし、それができる状況ではないのだろう。


「領地を実際に見てみて、少々気になったことがあります。領内に何箇所か、人が立ち入っていない場所がありましたね」

「あの森なら、過去に魔物が出たことがあって、それで立ち入り禁止になっているとのことだ。周辺の土地が使えないから、シュタルトが調査をしたいと提案していたが……村の長は、気が進まないらしい」

「なるほど……殿下、この限られた領内で未開拓の場所を残しておくのは勿体ないと思います。あの森を調査させてもらってもいいでしょうか?」

「そうできれば助かるが……シュタルトが(おさ)と交渉しているので、まず話を聞いてみてほしい。今日はもう遅いから、明日にでも」

「かしこまりました」


   ◆◇◆


 先に殿下が屋敷に戻っていき、俺は遅れて裏口から入ってきた――裏庭の木々は鬱蒼としていて、月の光が遮られている。


「……ん?」


 何かが木の下でうずくまっている。それはゆっくり起き上がって、こちらに歩いてきた。


「っ……フェルリス……屋敷の中にいたのか?」


 真っ白な狼はこちらに歩いてくると、ただじっと見上げてくる。触っても大丈夫そうなので、頭を撫でてやると――俺の手を舐めてくる。


「……今までどうしてたんだ?」

『――知りたいですか?』


 声が聞こえる――頭の中に直接響いてくる。


『アトル様は私にとっても恩人です……お望みなら、お答えしましょう』


 間違いない――目の前の狼が話しかけてきている。頭を撫でると尻尾を振っているが、聞こえてくる声はその姿と比べると大人びたものだった。


「いや……まさか答えてもらえるとは思わなかったが。それに、ここにいることも知らなかったからな」

住処(すみか)を追われるとき、私は多く力を使いました。今は感度の高い方にのみ、声を伝えられるようです』

「そういうことだったのか。シュタルトさんは、君が『禁足地』を追われたと言ってたが……」

『……禁足地は、私たちの一族が暮らす隠れ里です。突然現れた侵入者に、仲間たちは倒され……私も最後まで戦うことを望みましたが、それは許されませんでした』

「……その侵入者というのは、まだ禁足地にいるのか?」


 白い狼は、寂しげに首を振る。今聞いた話だけで全てが分かるわけではないが、それでも怒りを覚える――なぜ、フェルリスの一族が襲われなければならなかったのか。


『私は人間の里に辿り着きましたが、そこで力尽き、捕らえられました。エルシェリアス様は私の事情を知りませんが、この領地を通った商人に取り引きを持ちかけられたそうです。珍しい動物を手に入れたので、この一帯の領主に売りたいと……エルシェリアス様が皇女であることも知らず、小領地の領主であれば、取り引きの足がつかないと考えたのでしょう』

「……それで殿下は、君を保護するために兵を送った……ということか」

『どうしてそこまでしてくださったのか……エルシェリアス様は私財を使って商人との取り引きを受けて、私を引き取ったのです』


 領地の財政が逼迫している。帝国に納める税以外を取っていないならば、当然の帰結だ――だが、それで終わらせていい話ではなかった。


 殿下はその状況でもフェルリスの保護に動いた。その判断が正しいかどうかでいえば、まず自分のことを第一に考えるべきだという視点もあるだろう。


 しかし殿下の人となりを知って、そしてフェルリスの明かした事情を知った今、思うことは一つだった。


「……殿下が助けたいと思ったから、あのとき俺はフェルリスたちのもとに駆けつけられたんだ」

『私はあなたが戦ってくれたことに、お礼を言うことができませんでした……ただ、行動で示すことしか……今にして思えば、お恥ずかしいことをしてしまいましたが』


 頬を舐められたのはそういうことだったのか――あの時は全く分かっていなかったが。


『これからは、エルシェリアス様に御恩を返せればと思っています。いずれ、禁足地を犯した者たちを追わわなければなりませんが……今の私は、彼らを倒すには力が足りません。しかし大長(おおおさ)様ならば、あるいは……』

「大長……今は不在なのか?」

『大長様は私たち一族にとっての、崇拝の対象である方です。禁足地を出られた後は戻られていませんが、魔王を倒すために、他の種族とともに力を合わせたと言われています』


 魔王を倒そうとした者が、他にもいた――記憶をなくしていても、俺も魔王を倒そうとしていたことは覚えている。


「……俺も一度会ってみたいな、その大長に」

『私もそう思っています……今も、繋がりは感じるのです。それは私の一方的な思い込みなのかもしれませんが』

「その感じ方は大切にするべきだと思う。それで、話は変わるが……君の名前はなんて言うんだ?」

『私はトオハと申します。人間種族の方には、違和感のある響きかもしれませんが……』

「全くそんなことはないけど。そうか、トオハか……俺の名前は知ってると思うけど、アトルというんだ。記憶がないから、本当にその名前かは分からないんだが」

『アトル様……あのとき、クワを使って戦われるところを、私も荷馬車の中から見ていたのです。これほどに強い方がいらっしゃるのかと……』

「上には上がいると思うし、自分はまだまだだと思ってる。トオハも戦う力を持っているのなら、今度一度手合わせを……って、それはちょっと難しいか」


 狼であっても手合わせはできるとは思うのだが、トオハの考えがあると思うので、それを尊重しなくてはならない。


 トオハの尻尾が何かを考えるように揺れている――しかし、そのうちに動きが止まる。そして俺を見上げると、右の前足を差し出してきた。


『……これも手合わせであることに違いはありません』


 これは――『お手』というやつだろうか。俺はトオハの爪が立たないように握り、今後ここで暮らす仲間として挨拶の握手を交わした。




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