第十二話 朝の鍛錬
屋敷の部屋は何室も余っていて、そのうちの一つを割り当ててもらった。
客室の家具はかなり良いものだと思うが、見たところ作られてから五十年近くは経っていると思う。この屋敷にはそれだけの歴史があるが、何らかの理由で使われなくなった――そして、エルシェリアス殿下が住むことになった。
俺の部屋は二階にある。窓に近づいて外を見てみると、裏庭で剣を振っている人がいる――シュタルトさんだ。
「――ふっ!」
見ているだけでも気持ちのいい剣筋だ。しかし振りを良くする余地がまだある――ここで見ていても仕方がないので、俺は彼のもとに行ってみることにした。
廊下に人の気配はない。別室はファナとユナの姉妹が使っている部屋があったり、他の人も住んでいるらしい――もとは使用人は離れで暮らしていたようだが、今はメイドしか残っておらず、彼女たちも屋敷の中で暮らしているそうだった。
屋敷の裏手に回ると、シュタルトさんはずっと集中して剣を振っていたが、俺が来たことに気づいて手を止めた。
「おはようございます、アトル殿」
「おはようございます。シュタルトさんはいつも朝の鍛錬を?」
「ええ、そうですね。素振りは毎日欠かさず……アトル殿、見ていていただけたということなら、ご意見をうかがっても良いですか?」
「じゃあ、さっきと同じ動きでゆっくり振ってみてください」
「ゆっくり……これくらいでしょうか……」
「――そこで止めてください」
剣を振り上げたところで、俺はシュタルトさんに動きを止めてもらい、構えを微調整する。
「少し軸がぶれているので、これで真っ直ぐになりますね。あとは下半身ですが、これは脚力をもう少し鍛えるか、身体強化の練度を上げるのが良いと思います」
「は、はい……これでも、かなり足は鍛えているつもりなのですが……」
「確かに……大腿の筋肉の仕上がりは凄いですね。甲冑を身につけて動き回ることで、常日頃から鍛えられている。さすがです、シュタルトさん」
「……しかし、まだアトル殿には物足りないのではないですか?」
俺は修練というものに終わりがないと思っているので、つい他の人にもその前提で話してしまいがちだ――自分の成長を確認する機会はなるべく多いほど良く、『物足りない』よりは『変化している』ことを重視するべきだ。
「もし良かったら、時間を取って俺と手合わせをしましょう。物足りないということはなくて、剣にもいろいろとありますから……立ち回り次第で、俺も一本取られるかもしれません」
「そのようなことを……しかし、そうですね。アトル殿から一本を取るために教えを受けるという気持ちで、今後の鍛錬に努めます」
「思ったより時間はかからないかもしれないですよ。シュタルトさん、素振りをする剣は借りられますか?」
「そのことですが……アトル殿が正式に殿下の護衛につくということは、あなたは殿下の騎士となるということです。その際に主君から剣と徽章、そして騎士として必要なものを一式与えられます」
「シュタルトさんが持っている騎士剣は、殿下から賜ったものということですね」
シュタルトさんは頷く――彼は誇りに思っているその剣を、敵を撃退するために俺に託してくれた。
「ですが剣を賜るまでの過程がありますので、現状はこの剣を使っていただければと思います。以前私が使っていた鋼の剣です」
剣は材質によって、魔力を伝えやすかったり遮断したりする。この剣は、標準的な性質のロングソードだ。
「重めに作られているので、他の者は扱いにくいと言うのですが。他の剣も武器庫に何本かございますので、そこから選んでいただいても……」
「いや……これはかなり良い剣ですよ。重さも鍛錬に使うことを考えればちょうどいい」
逆手に剣を持ってみてもしっくりくるので、俺が扱うには問題ない――と、その構えを見たシュタルトさんが目を見開いている。
というより、目が輝いている――シュタルトさんと手合わせをしたときも逆手に構えたのだが、それが気になっていたのだろうか。
「その、剣を逆手に持つ構え……それはどのように学ばれて……い、いえ。そうでしたね、アトル殿には記憶が……」
「もちろん順手に持つ構えにも利点はあるので、この構えが一概に優れているということはないです。ただ、俺の技の一部はこの構えから撃つようにできています」
「……まず、順手の技を磨いていくべきということですね。ですが、一度試してみても良いでしょうか」
「ははは……シュタルトさん、意外と冒険心が旺盛ですね」
◆◇◆
逆手の技はすぐには覚えられないが、それでもシュタルトさんの筋はよく、やっているうちに会得できる兆しはあった。
「……アトル殿、どうされたのですか?」
「ええと……急な話で、申し訳ないんですが。きのう、俺が指示を出していいという話をしてましたよね」
「はい、もちろん現在もその方針に変わりはありませんが……さっそく何かご指示を?」
「今、この館に兵の人たちは何人いますか?」
「私を除いて七名になります。ユナも屋敷で生活しておりますが、彼女は兵という扱いではありません」
「これは責めているわけではなくて、相談したいということで……シュタルトさんが朝から訓練しているのに、まだみんな寝ているのは少し勿体ないですね」
「勿体ない……というと……」
俺の言わんとするところがまだ見えてこないのか、シュタルトさんは不思議そうな顔をしている――この人は自分がしている努力が、俺にどう見えているかを分かっていないようだ。
「これから朝の鍛錬をするときは全員でやります。毎日でなくてもいいので、鍛錬を行ったときは確実に効果が出るようにします。一人ひとりが強くなることが、全体の力を大きく上げます。エルシェリアス殿下を守るために、より強固な体制を作るには、まずこれは必須になります」
「っ……りょ、了解しました。私は兵を指揮する者として、厳しさが足りなかったのでしょうか」
「それがシュタルトさんが慕われる理由でもあると思うので、厳しくする役割は俺に任せてください……いや、嫌われてしまったら元も子もないので、むやみに厳しくはしないですが」
「どのような形であっても、私はアトル殿に従います。それでは、皆を起こしてまいりますね」
シュタルトさんはそう言って屋敷に戻っていく。急にこんな指示を出して大丈夫だろうか――思いはするが、ひとまずやってみるしかない。
◆◇◆
この館にいる七人の兵たちは全員が女性で、シュタルトさんの指揮のもと、ファナさんが隊長を務めているとのことだった。
「今朝の訓練はこれで終わりです。皆さん、お疲れ様でした」
屋敷の周辺――というより、皇女殿下の所領は小さな村くらいの広さがあるが、全員で走って一周してきた。
その後は各自の武器を使った素振りをする。予定外の訓練でもみんな不平は言わなかったが、一時間ほど訓練した後にはくたくたになって、全員が屋敷の前庭でへたり込んでいた。
「はぁっ、はぁっ……」
「アトル様、お厳しい……で、ですが、これが私たちに足りなかったもの、ですね……」
「うぇぇ、吐きそう……なんであたしがこんな……」
「……動けん……こんな修行を、アトル殿は常日頃から……」
正確には不平が出てはいる――それも無理はなく、話に聞く分には、彼女たちが日頃している訓練は俺が課したものよりもずっと軽いものだった。言葉を選ばず言うと、それでは弱くはならないにせよ、盗賊を撃退できるだけの強さは得られない。
「このままだと疲労が残り、日常の任務にも支障が出てしまう……だから、しっかりと回復することが重要です」
「回復……アトル様、それは休養するしか方法が……あっ……!」
ファナさんたちが盗賊に襲われたとき、俺は彼女の傷ついた仲間たちを回復させた。他の皆はあのときはいなかったし、男性の兵もいたので、領地を離れるわけにいかず傭兵を雇っていたのだろう。
「回復とか、そんなことできるわけないじゃん……あんた魔法が使えるっての?」
「ラティさん、アトル様はできないことをおっしゃる方ではありません」
ラティという人は髪を肩のあたりまで伸ばしており、訓練に際しては髪をまとめている。兵士というにはまだあどけなく見えるが、身のこなしは七人の中でも機敏で、魔力量も比較的多いほうだ。
ファナさんのことを慕っているというのは、言動の端々から伝わってくる――それゆえに、ファナさんが俺の指示に従うのが面白くないようだった。
「ファナ隊長も、ぽっと出の男なんかを信頼しすぎなんだよ。あたしはまだあんたのことを……」
「それはもっともな話です。まずファナさんから回復させてもらいます……皆さんは、それを見て判断してください」
「み、見てって、ま、魔法なんか使えない……くせに……」
そう決めてかかっていた彼女は、俺が右手から魔力を出力すると言葉を失う――他の面々も、一体目の前で何が起きているのかという顔をしている。
「今のように訓練で少し強めの負荷をかけてから、回復させることで基礎の身体能力を強くします。こうすることで皆さんの魔力量を育てることもできるので、一石二鳥ですね」
「なるほど……そこまでをお考えでしたか。やはりアトル殿は先の先を考えておいでになる」
シュタルトさんが心からという様子で称賛してくれるが、素直に言って恥ずかしさはある。褒め殺しについては控えてもらうように頼んでおかないといけない。
「そ、その光る球が何なのか知らないけど……あたしだって魔法くらい使えるんだから。そんな見かけ倒しで騙せると思ったら……っ」
「では……ラティさんから回復をお願いします、アトル様。百聞は一見にしかずですから」
「ええっ……た、隊長っ、どうしてそいつの味方ばっかり……あっ、あぁぁっ……!」
ファナさんの許可を得て、ラティさんに魔力球を送り込む――他の兵たちの反応はそれぞれ違っていたが、全員瞬きもせずに同僚の反応を見つめていた。




