第九話 旅立ち/館の戦い
シュタルトさんがリベールを離れる前に、俺は正式に要請を受けた――一緒に帝都に来て欲しいと。
村長邸の応接室を借りて、俺はシスナさんに立ち会ってもらい、シュタルトさんと話をした。
「現状で私たちは、あなたの力に見合った待遇を用意できません……ですが、私と一緒に来ていただいた暁には、どんなことをしてでも恩義には報います」
「俺の待遇……とりあえず雨風を凌げる屋根があるところで寝られれば十分ですよ」
「真面目な顔でそういうことを言うんだから……すみません、アトル君は謙遜しすぎるところがあるんです」
「そのようですね……では、客観的な情報を示させていただきます」
シュタルトさんは革張りの手帳を取り出す。そして俺の顔をじっと見たあと、手帳の内容を読み上げ始めた。
「アトル殿は村に来てから現在までに、すでに経済状況を大きく改善させています、来季からの作物の収穫量見込みは倍増とのことで……このままリベールで暮らすのであれば、皇女殿下の領地からの収益の数倍、いえ、数十倍をリベールにもたらすことは必定ということですね。リベールの農業部門だけでこの状況ですので、交易部門についてもアトル殿の介入が希望されており……加えて二件ほど、お見合いの申し入れもあるそうです。商会の女性主人と、教会の娘さんがぜひということで……」
「……ええと、すみません。それは俺の話なんですか?」
全く実感が湧かない――畑の開墾を終えて帰るときに、何か視線を感じるなとは思っていたが。
商会の女性主人については、俺が盗賊を退治した件でひどく感激していた。教会には挨拶に行って祈っただけだし、神父の娘さんというシスターと話はしたが、お見合いを希望されるというのはどういうわけなのか。
「ああ……やっぱりそんなことになっていたのね。アトル君はまだ結婚を考えたりするには早いです、って言っておいたのに……」
「あ、ありがとうございます。それはシスナさんの言う通りです、俺はまだ未熟ですから」
「そうじゃなくて……ええと、なんて言えばいいのか……っ」
「わ、私から申し上げますと……アトル殿は未熟ということは決してありません。しかしお見合いについては気持ちの問題もございますし、どのようにされても一つの選択かと思います」
「いや、話が逸れましたが、帝都に来て欲しいっていうことでしたよね。それについては、俺は受けようと思ってるんですが」
「っ……本当ですか……!?」
こんなことで嘘をつくわけがない。それでもシュタルトさんはとても喜んでくれている――そして。
隣に座っているシスナさんを見る。彼女は俺を見返すと、ただ優しく微笑んだ。
「何度も言うけれど、アトル君は、もう十分に私たちの村を助けてくれた。あなたがここにいてくれたらという思いはあるけれど、ずっと甘えてばかりじゃ駄目だから……父も母も、もしアトル君が村を出ていくとしても、快く送り出さないとって言っていたわ」
「……シスナさん」
まっすぐ俺を見ようとしていたシスナさんだが、視線を逸らす――そして、俺に見えないように目のあたりを拭う。
「……ごめんなさい。アトル君、後で出発の準備をしましょう」
シスナさんが部屋を出ていく。引き止めたりはできない――俺の選択は、もう決まっている。
「アトル殿、もし受諾していただけるのでしたら、明日の朝に村の入口までお越しください」
◆◇◆
もう一度顔を合わせたとき、シスナさんはいつも通りに戻っていた。彼女の両親も、急な俺の申し出に戸惑ってはいたが、旅に必要な支度金などを用意してくれた。
「これくらいでは、全くアトル君から受けた恩には報いられていない。また必ず、リベールを訪れてほしい」
村長はそう約束してくれたし、俺もリベールにはいつかまた帰りたいと思った。俺にとって牧歌的な暮らしが営まれるこの村は、本当の故郷ではなくても、懐かしさを感じる場所だった。
旅支度を終えて、村を出て――三日ほどかけて、俺たちは帝都の近郊まで辿り着いた。
皇女殿下は皇家の離宮で暮らしていたが、魔法学園に通うことになって別邸に移り住んだ。その別邸に向かう途中で、俺たちの方に向かってくる騎兵たちの姿を見つける。
「――ファナ、こんなところで何をしている!」
「シュタルト様……っ、領地に侵入者が現れたと報告がありました! これより私たちは撃退に……っ」
「馬鹿な……私たちはここに来るまで、そんなものは目にしていない……!」
「っ……十数人の賊が、西の方向から来ていると……い、いけないっ……!」
何が起きているのか、幾つかの仮説は立てられる。偽情報の流布――そうだとして、目的は何か。
「――皇女殿下に危険が及んでいる可能性がある。シュタルトさん、俺は少し急ぎます」
「アトル殿っ……!」
シュタルトさんの馬の後ろに乗せてもらってここまで来た俺は、馬上から降りて身体強化を始める――速く、少しでも速く。
「――うぉぉぉぉぉっ!」
どこまで身体強化をかけられるのか、リベールで目覚めてから一度も試してはいなかった。
音を置き去りにして走る。それでも肉体は壊れることはない――これでもまだ力が抑えられている。
前方に、鬱蒼と茂った木に囲まれた館がある。それが皇女殿下の屋敷のはずだ――しかし。
半透明の黒い膜のようなものが、屋敷の周辺を覆っている。結界――あの中で、今まさに何かが起こっている。そんなことをする理由は一つしかない。
性質変化させた魔力で自分の身体を覆う。結界の効果は俺に対して意味を成さなくなり、ただ駆け抜けるだけで素通りする。
屋敷の門をくぐるまで、ろくに警戒もされないままだった。俺の目に、三人の男と――倒れている、銀色の髪の少女が映る。
『――あんな奴ら、生かしておくことに何の意味がある?』
『何のために魔王を殺す? 命を賭ける価値などないのに』
どこからか、声が聞こえてくる。それは誰が言ったことなのか――ただ、分かっているのは。
「ぐぁっ……」
「うっ……が……」
目の前にいる連中を、これ以上このままにはしておけない。魔力を性質変化させ、音もなく飛ばし、二人の意識を刈り取る。
「魔法を使ったか……なかなかの使い手のようだが。それで私に……」
残った一人が何かを話している。この男が、少女を手にかけた――そう理解すると、ひとりでに溢れた魔力が火花を散らす。
まだ男が何か言っている。それを遮るように発した俺の言葉に、男の顔が激情に歪んだ。
「言いたいことはそれだけかと言ったんだ」
「――ほざくな小僧ォォッ!」
放たれたのは火球。詠唱を捨てて速度に特化させたその火球は、しかし俺に当てるための何の工夫もされていない。
ただ走り抜けるだけでかすりもしない。間合いを詰め、逆手に持った剣を振り抜く――しかし。
「くっ……ははっ、ははははははぁっ! 馬鹿げた速さだが、ただそれだけのようだなァッ!」
男の服の下に、金属質の手応えがあった――シュタルトさんに借りた剣でも斬れない、防刃の魔法が施されている。
そして俺の足を拘束するように、光の輪が生じる――防御と弱体化、その両方を同時に行う魔法の防具。火球を避けられても余裕を崩さなかった理由がそこにあった。
「ここに来たことを悔いて死ぬがいい……っ、燃え尽きろっ!」
火球の魔法によほど自信があるのか、連続で撃ち込んでくる。魔法の枷をつけられた俺はかわせない、そう確信してのことだろうが。
「――消滅せよ」
放たれた火球が、俺に届く前に勢いを失い――そして、消える。
俺の足を縛った枷も消えていく。何が起きているのか理解できずに、男はただ目を見開いている。
『お前は馬鹿正直に戦いすぎるんだよ。相手がやりたいようになんてやらせなけりゃいい』
俺は誰かに、これを教えてもらった――それが誰なのかは忘れていても、どうやって使うのかは覚えている。
「貴様……ま、魔法を、消しただと……まさか、結界を通り抜けたのも……っ!」
魔法を消し去るために使った力――性質変化させた魔力を、俺は目の前の男に叩き込む。
「うぐぁぁぁぁっ……あがぁぁぁっ……!!」
魔力を消滅させられるというのは、生気を失うことと同意義だ。俺は倒れた男を置いて、気を失っている少女を介抱する。
「……う……」
「もう大丈夫……襲ってきた輩はすべて倒しました」
「……ありがとう……」
少女の身体から力が抜ける――頭から血が流れている。叩きつけられたときに傷を負ったのだろう。
すぐに応急処置をしなければならない。後から追いついてきたシュタルトさんたちと合流し、俺は少女を抱え上げて館の中に入った。




