夜に解けてしまいたかった
完璧に頭がおかしくなる前の日記です
『夜に溶けてしまいたかった』
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2022.3.21 風のない穏やかな青天井。職場の裏には墓地がある。13時、駐車場に着いて車から降りると、仄かに線香の匂いがした。春の日差しと、眩しい青空と線香の匂いに、夏と見間違う。その匂いがずっと鼻の奥に残り続けて、寂しくなった。春の温度とは到底思えない昼下がり。
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2022.4.10 ニュースで初夏だと言っている。早すぎるように思うが、しかし確かに暑かった。半袖を着ている人が多かった。風は強くない。夜も寒くなかった。温い夜風は心地が良かった。カーディガンを上に羽織って、話をした。この先のことを考えなければいけなかった。夜に溶けてしまいたかった。
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2022.4.12 祖父からのLINE。真っ白な山ぼたんという花の写真だった。「花の命わ短く、明日で終わりかもね」とのことだった。仕事の終わった20時、帰路に着く前に車の中で見たメッセージ。汗ばむ気温、春の陽気、色付く花の知らせ。改めて、花の命は短いのか、と思うと寂しくなった。
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2022.6.1 六月一日は晴れだった。とても気分の良い青空で、日焼け止めを塗らなかったことを後悔した。上司に退職したいと話した。立ちくらみがするたびに深く呼吸をした。昨日は寝付けなくて四時間程しか眠っていないが、よく眠った時よりも脳がハッキリ動いている気がする。明日も晴れて欲しい。
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未記録(3年前) 十九時半、カツカツと背の低いパンプスを鳴らして狭い白線の外側を歩く。時折風が正面から吹いて髪を舞いあげ、コートのすそが捲りあがっては、胸を張った。誰も見ていない夜の道路だけ、堂々と生きていられる。気が付けば、ファッションショーのモデルを気取って白線の上を歩いていた。
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未記録(3年前)子供のころ、あんなに本が好きだったのに今はもう、3ページも読めない。無能なばかりに 好きだったことも、できていたことも全部減っていく。こんなことになって、周りの大人はどうやって生きているんだろう。いや、ダメになるのが当たり前なのかな 皆同じ気持ちを抱えて過ごしているのかな
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未記録(3年前)真っ青な空が遠くに見えて、暖かい陽射しを浴びながら角砂糖を三つ、牛乳をたっぷり入れた甘いコーヒーを片手に、まだ手をつけられていない本を全て読んでしまいたい。
無音の部屋で自分の心臓の音と時計の音を聞きながら、仕事だとかお金だとか近い未来のことだとか、全て忘れて本に没頭していたい。
ああ、本が読めたなら。
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未記録(3年前)好きなことだけをして、食事も忘れて、日々やせ細っていく身体を知らん振りしながら、心の底から生きていて良かったと思いたい
甘いコーヒーの味だけを舌に染み込ませて、誰も人のいない小さな部屋で、静かにここから消えてなくなりたい。私の代わりに、誰かがその分生きればいい。
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2022.5.31
五月も最終日となった。連日夏のようなうだる暑さだったが、今日は朝から曇天で雨が降った。
職場の先輩が一人退職した。人数は全く足りない。一人でも休めば、てんてこ舞いになる。
思わず、あまり話したことの無い先輩に私も辞めたいと考えていると零した。
先輩はびっくりした顔で「一番丁寧に仕事をしていたから、楽しいのかと思っていた」と言った。
私は自分のことをかなり見下していた。
驚いて、ありがとうございますと小さく言って、帰り際の駐車場、運転席でエンジンをかけた時に涙が出た。
こんなに心が軽くなるとは思わなかった。
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2022.8.16
盆休み明け、17時に仕事をあがる。連日ニュースで注意喚起されるほどの猛暑を歩くと、露出した肌に生暖かい風があたった。職場の隣の墓地から線香の良い香りが漂って、夏が終わるのかとしみじみ思った。
あまり蝉の声を聞かない夏だった。線香の匂いがしばらく鼻の中から消えない。
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未記録(3年前)全てが限界に達している。
今死ねたらどんなに楽かと錯覚するほどに、心も体も疲れている
休憩が欲しい。しかし休憩をしていたらお金が底を突く。どうしたらいい
どうしたらいい
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未記録(3年前) 作品を作りたい。頭は年々馬鹿になっていく一方だけれど、死ぬ前にひとつ何かを創り上げたい。大人になるにつれて、私は何もかもを簡単に諦める力を得た。生活も命も諦められるようになった。だから、私は私のことだけを考えたい。私の奥にある、幼少の記憶を大事に抱えて、目を閉じれば広がる空想を。
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(了)