第1話 勇者コンサルタント
1秒前まで、会社の事務室で働いていたが、突然、周りの景色が変わった。
2秒前まで、オフィスチェアに座っていたが、突然、イスがなくなって尻餅をついた。
3秒前まで、同僚が数人周りにいただけだったが、突然、大勢の知らない人々に囲まれていた。
ここはどうやら会議室らしい。
部屋の照明は全点灯、空調バリバリで適温、机の配置はコの字型、机には大勢のスーツ姿の人々が着席、そして私は、そのコの字の中央の床で尻餅をついていた。
ふと足元を見ると、なぜか札束が置かれている。約1千万円くらいだろうか。
周囲の人々は何か小声で話し合っている。よく聞こえないが、何か厄介事でも起きたのだろうか。もちろんそれはもちろん私のことだろう。
たぶん、上座の真ん中に座っている初老の男性が、このなかで一番エラい人だろう。起き上がってスーツの前ボタンをとめる。
「ええっと。すみません、日本語は通じますか。あー、それとこれは、勇者召喚ということでしょうか」
「勇者? よくわかりませんが、とにかくようこそ、異世界の管理職さん。言語については心配無用です。もしかして、そちらの会社から出向について、何も聞いていないのだろうか」
「え、出向ですか。あ、そういえば、部長から半年ほど出向してくれ、という話がちょっと前にありました。ですが、具体的内容は何一つ聞いておりません」
「部長から、ですか…」
会議室内の雰囲気が、すこしざわついた。ん? 何だろう、うちの部長に何か問題があるのだろうか。
「よろしい、では簡潔に説明しましょう。私は、株式会社マインサービス、代表取締役の東山です、よろしくどうぞ。ここは本社ビル2階の第一会議室、もちろん、あなたのいた世界とは異なる世界です。日付や時間はそちらの世界と同じだと思いますが、一応申し上げると、西暦2217年3月28日午後13時35分です。今この会議室にいるのは、わが社の役員と重役たちです。ここまではよろしいだろうか」
「これはどうもご丁寧にありがとうございます。私は、英宗建設株式会社官需1課の鈴木一郎です」
「鈴木さんですね、それでは、単刀直入におたずねしますが…」
何だろう、周囲の人々に緊張が張り詰める。何の質問が来るんだろう。やはり、勇者関係の話だろうか。
「ずばり、鈴木さん。あなたの役職をお聞かせ下さい」
「え、役職ですか。課長代理ですが」
はっきりと、室内の雰囲気が落胆と失望に変わった。誰も発言はしていないが、小声であぁーとつぶやく人、ため息を吐く人すらいた。
そんなこの場を、東山社長がしめるらしい。
「ありがとうございます、鈴木代理。そしてようこそ。半年という短い出向期間ですが、わが社で十分に力を発揮いただき、どうぞご活躍下さい。後の詳しいことは、こちらの園辺人事課長にお聞き下さい。挨拶もそこそこですみませんが、我々はこれで。では、失礼します」
東山社長を先頭に、全員、ぞろぞろと会議室から出ていく。その途中で会話が聞こえてきた。
「社長、750万円も残っていました。出向費はたったの250万円ということになります」
「妥当だろう。そこは契約書どおりということか、なるほど」
うーん、何だろう。何がなるほどなんだろうか。さっきまで私の横に置かれていた札束の話だろうか。
なんだか状況が全く分からない。
会議室には、さきほど、園辺人事課長と紹介された社員だけが残っている。まあ、私もいるから二人だが。
園辺課長は、30代半ばの(私から見れば)若者で、忙しそうに什器を調整している。この年で人事課長を任されるのだから、エリートなのだろう。すぐ準備できますからお待ちください(ニコリ)、だそうだ。いやあ、気配りができるねえ、さすがエリートだ。
機械か何かの準備ができたらしく、園辺課長が私に声をかけてきた。
「プレゼンの準備ができましたので、説明に入りたいのですが、よろしいですか」
「どうぞよろしくお願いします」
「初めに、鈴木さんのことを何点か教えていただきたいので、質問をしたいのですが、よいでしょうか。その上で、説明方針を考えたいと思います」
「もちろんです、どうぞ」
その後のやりとりは、大体、次のようなものだった。
管理職研修を受けたか。受けた。なるほど。
部下は何人だったか。出向者含めて13名。成程なるほど。
課長としてのマネジメント業務の経験は。課長が不在のときだけ、ほとんど経験はない。そうですか、では次の質問を。
いわゆるキャリア組ですか、ノンキャリですか。完全に叩き上げです、高卒ですし。そうですか。
専門分野は技術系ですか。そのはずですが、他の系統の仕事もやってました。課長代理ともなれば、さすがにそうでしょうね。
自分を論理型だと思うか、感情型だと思うか。自分では論理型だと思うが、上司や部下の評価は100%感情型だった、納得はできていない。まさに感情型です。
自分を段取り型だと思うか、やっつけ型だと思うか。明らかにやっつけ型。それは意外な自己評価ですね。
嫌でしたら答えなくてもよいですが、以前の職場での年収は。ちょっと、というか仕事でだいぶミスをして減給されていたので、手取りで年間200万円ちょっとでした。それは何といいますか、ご苦労様です。
「鈴木さん、ありがとうございました。大体、わかりました。そうしますと、これからの説明ですが、そうですねえ。おそらく私の方から説明を一通り全部してしまって、その後で、鈴木さんから質問していただく方法が一番早そうですが、いかがですか」
「もちろんそれで問題ありません、よろしくお願いします」
園辺さんの説明を要約すると、概要としては以下の通りだった。
・10年ほど前、突然、日本中にダンジョンが出現した。
・ダンジョンには奇妙な物が徘徊しており、仮にそれらをモンスターと呼んでいる。
・ダンジョンから貴重な資源が入手できる。その結果、ダンジョンは一種の「鉱山」と見なされた。
・鉱山から資源を採掘する会社が設立された。当社(株)マインサービスは、その中でも老舗、資源産出量は全国ナンバー1。
・鉱山からの採掘業は、その重要度の高さから、国から強い規制を受けると同時に、手厚い補助も受けている。
・採掘業は、半ば国営事業だと考えてよい。
・採掘に従事するには、国家資格が必要。ただし、採掘企業に所属する社員は、資格の取得が比較的、容易で、しかも受験料が免除。
・最近は、採掘会社が乱立し、大手企業の参入により競合他社も現われ始めた。
・小規模なベンチャー企業の参入も盛ん。
・約3年前、わが社はダンジョンで「管理職召喚契約書」というアイテムを発見した。
・これはレアアイテムであり、全国でこれまで5例しか発見例がない。
・最初の発見例では、国の研究機関がアイテムを実際に使用して調査した。
・その結果、このアイテムを使うと、採掘業の推進に適した人材が異世界から召喚される、と判明した。
・以後は、アイテム発見者又は所有者が、このアイテムを自由に使ってもよいことになった。ただし、国への発見報告と、使用報告が必要。
・2例目と4例目は、わが社が発見・使用した。
・2例目の召喚では、現在の西川専務が召喚され、その後彼は、著しい業績を上げた(そして、今の役職に就いた)。
・ちなみに、4例目が鈴木さん。
・3例目と5例目は、それぞれ別の大手競合他社が発見・使用したと推測している。わが社としてはこれに強い危機感を持っている。
・国の担当官や幹部は真実を知っているが、どうやっても教えてもらえなかった。
・最近では、このアイテムに関することが情報公開請求の対象外に指定されてしまった。多分、わが社がしつこく聞きすぎたせいだろう。
「説明は以上です。では、鈴木さん、質問をどうぞ」
「それでは。まず、私が召喚された理由といいますか、私の使命は何でしょうか」
「もちろん、わが社の業績に貢献いただくことでしょう」
「えっと、もう少し具体的な例を挙げてもらえれば、と」
「具体的に、ですか。まあそうですね、当社の採掘部門の採掘量の増産、ですね、一言でいってしまえば。御社の利益にもなると思います」
「そうですか。ところで私、副業で勇者をやっているのですが、今回の出向に関係ありますか」
「勇者?ですか? よく分かりませんが、関係ないのでは。契約書にもそのような話は全くなかったと思いますが」
「ダンジョンとか、モンスターの情報を全然、いただいてないのですが」
「鈴木さんは技術系の方ということで、百聞は一見に如かず、実物を見ていただくのがベストでしょう」
「わかりました、そうします。ところで、御社での私の所属はどうなりますか」
「採掘事業部、調達課に所属となります。調達課の課長は、本郷課長です」
「調達課、ですか。課には何人くらいの社員がいらっしゃいますか」
「調達課は、本郷課長おひとりだけですね。ちなみに、会社のなかに調達課の部屋はないですし、本郷課長の席もありません」
「え、それじゃあ、どこで仕事を?」
「もちろん、ダンジョンですよ」
「えっと、ちょっと心配になってきたのですが、会社の福利厚生施設って、ありますか、使えますか」
「先ほど会社の紹介映像やIR資料でも出てきましたが、当社は採掘部門にほとんどのリソースを割いています」
「そういえば、そういう説明でした」
「はい。ですから会社のほとんどのことはダンジョンか、ダンジョン周辺に集中しています。この本社は、おまけみたいなものです」
「本社特有のイベントなどは、何かないのでしょうか」
「本社特有、ですか。そうですねえ、今日のような辞令交付か、あとは鈴木さんが帰任するときくらいでしょうか。あ、そうだ、辞令を渡し忘れてました、これです」
「あ、どうもありがとうございます」
はじめて出向辞令なるものをもらったが、後ろの方に、詳細は召喚契約書による、と書かれている。なんだその契約は。
「えっと、かなり不安があるんですが、私、この本社ビルへは立入禁止ですか」
「もちろんそんなことはないですよ。鈴木さんは、今日から正式にわが社の社員ですから、いつでもどうぞ」
「そうですか、他に何か、制限事項などは」
「特にはないですね。こちらの社員証を受付に見せればいつでも入れますから。まあ、本社に来る用事があるかは、わかりませんが」
「うーん、とにかくまずはダンジョンに行け、ということでしょうか」
「それが一番の近道だと思いますね。まあ、もし本社で打合せを企画されたときなどは、私にご相談下さい。会議室の予約くらいはします」
「ありがとうございます、助かります」
「ええ。でも、ダンジョン関係の施設の方が本社ビルより充実してますから、その必要もないでしょう」
「そうなんですか」
「はい、この会議室が犬小屋に思えるような、何倍も広くてきれいな施設が、いろいろとたくさんありますし、割と自由に使えますので」
「分かりました、現地で確かめます」
「最後ですが、鈴木さんの世界での通貨は、こちらと同じく、円でしたね」
「そうですね、缶ジュース1本は百円前後といったところですが」
「ありがとうございます。通貨単位も通貨価値も変わりないですね。しかし、ダンジョンでは、特殊な経済体制になっておりまして」
「と、いいますと?」
園辺課長が、財布から1枚の硬貨を取り出した。金色だった。
「ダンジョン関係者の間では、この、日本国金貨(通称:金貨、記号:G)が使われています」
「え、これって、金貨ですか」
「はい18金です。残りの6は銀か銅です。銀と銅の割合で色合いが変わりますが、デザインは同じ、貨幣価値も同じです」
「そうなんですね、わかりました」
「ダンジョンでは、金貨以外の他の貨幣は使えないと思ってください」
「それはなぜ、そんなことに?」
「おいおい、分かっていただけると思います。今日のところはご勘弁を」
「了解です。それで、この金貨の面額は」
「3,000円です」
「3,000円金貨、了解です」
園辺課長は、それっきり沈黙してしまった。どうやら、ここでできることは、もうなさそうだ。はやいところ、ダンジョンとやらに行け、ということだろう。
「園辺課長、今日はありがとうございました。早速、ダンジョンに行って、本郷課長に挨拶してきますね」
「そうですか、わかりました。本郷課長でしたら、1号ダンジョンの入口すぐのところにいると思いますので」
「おお、それはありたい。では行ってきます」
颯爽と出ていこうとする私を、園辺課長が呼び止めた。
「あの、鈴木さん」
「はい?」
「ええと、ちょっと待っていただいてもいいですか」
「もちろんです、何でしょう」
優秀な園辺課長にしては、歯切れの悪い言い方だ。声のトーンも一段、低い。
「鈴木さんは、1時間前まで、出向のことは何も聞いてなかった、そうですよね」
「はい、驚きました。イスに座った姿勢のまま召喚されましたから、盛大に尻餅をつきました。先ほどは大変、失礼しました(笑)」
「いえ、そういうことではなく。何といいますか、異世界とか、不安にならないのですか」
「異世界が、ですか。いえ、普通に呼吸できますし、言語が通じるのは、何よりありがたいです」
「そういうことでもなくて。あのですね、もし、私が何も知らされずに異世界に来てしまったら、パニックになると思うんですよ」
「なるほど、そうかも知れませんね」
「はい。現に2年前の西川専務のときはかなり大変でした。今すぐ元の世界に帰してくれ、と泣き叫んでいました」
「専務さんがですか」
「ええ。しかし今では、出向をもっと延長してくれというほど、こちらの世界になじんでおられますが」
「それは何といいますか、健全なのでしょうね」
「健全、ですか。まあ今はそれは置いておくとして。なぜ鈴木さんは、そんな風に楽観的になれるのでしょうか」
「ええとですね、副業でやっていると申し上げた勇者稼業なんですが、その影響ですね。つまり、割と頻繁に勇者召喚されていますので」
「勇者・・・って、何ですか」
「おや、それはかなり哲学的な質問ですね。実は、私には娘がいるのですが、養子ですけれどね」
「え、お子さんがいらっしゃるのですか。それなら余計に心配になりませんか、異世界に来てしまうなんて」
「ま、まあ、ある種の心配はありますが、園辺課長はお子さんは?」
「実は先週、私も娘が生まれたのです」
「それはおめでとうございます! 先週ですか、じゃあまだ、奥さん病院ですか」
「いえ昨日、退院しました、ではなくてですね。勇者の話ですよ、勇者と鈴木さんの娘さんがどうとか」
「ああ、すみません、脱線しました。その娘が勇者である義父、つまり私について、こう言ってました。えーと、何だったかな」
「はい」
「そうだ。勇者とは地獄の化身である。要約すると大体、そんな感じだったかな」
「え、地獄ですか? 世界や人々を救ったりはしないのですか」
「そうですねえ、随分と長いこと、勇者稼業をやっておりますが、世界や人々を救えたことは一度もないです、記憶にある限りは」
「話がよく分かりません。勇者とは、世界や人々を救う存在ではないのですか」
「いいえ、常にそうしようとしています、勇者という者は。そのための存在ですから」
「じゃあ鈴木さんは、勇者失格ということですか」
「その可能性はとても高いと思いますね。もっと他に適任者がたくさんいると思います。しかしなぜか、いつまで経っても後任者が現れないです」
園辺課長は、勇者の話はある種の冗談だと思われたようだ。確かに、いきなり勇者です、と言われてもな。
「鈴木さんは、何だか不思議な方ですね。どうでしょう、もう少し、お話をさせていただいてもよいですか」
「もちろんですとも」
「それと、今からする話は、他の誰にも言わないと約束して下さい」
「任せて下さい」
園辺課長は、会議室のドアを閉め鍵もかけた。かなり周囲を警戒しているらしい。なんだろう、実は元の世界に戻る方法がない、とかだろうか。
いままでも小声だったが、園辺課長は更に声を落とし、話しはじめた。
「実は、わが社の経営状態はあまりよくありません。一つには、先ほど申し上げた大手競合他社の影響です。それと世間では、わが社の就労環境が劣悪だ、という噂、評判があります。特に西下専務が今の役職についてから顕著だと。これはある程度、事実を含んでいると思ってください。いずれにしても、ダンジョンに行けば嫌でも真実を見ることになるでしょう。私は、いえ、わが社の多くの者が、鈴木さんがわが社を救ってくれるのではと期待しているのです。社長や専務の前では、決して口にはできないのですが」
うーん。気持ちは分かりました。ですが、前の会社を倒産させたのは私なのですよ。私に期待してもらって大丈夫?
お前が言うな、といったところでしょうか。やれやれ。