第三話 エルウェイクの森
見渡す限りの広葉樹林だ。木が鬱蒼と茂っている。案内の老人が腰をかがめて歩いている。ケルヒャーもまた老人に隣をついてゆく。青々とした影の下を、土地の伝説だの謂れだのを聞きながら風景を見ていた。
「若いの、ここら一帯は何もないよ……。林の奥は森になってるし、その奥はダンジョンが広がってるし、いまは木の実のシーズンでもない。キノコ狩りだってずいぶん先だ」
「いえ、俺はそういうのは興味ないんで……あはは……」
愛想笑いをしつつ、ケルヒャーは答える。腹になにかを抱えている。その真意は掴めない。林を老人と歩いて行くと、木こりの仕事場があった。丸太が広場に並べられている。このへんのオーク材はそこそこ上質なのだという。
木の香りが立ちこめている。ノコギリの音がリズミカルに聞こえてくる。
のどかな風景だ。
ここらへん一帯はモンスターも現れない。ゆるやかな林道はこのままゆくと、山道に繋がっている。山はそこまで高くない。見晴らしがよいらしいと聞く。林の奥は森になっているとも。
「お爺さん、この山って所有者だれかな?」
「しょ……、所有者? そんなものはないよ」
老人は吐き捨てるように言った。
「――山の神さまが拓いた土地だからな」
ケルヒャーはニッと笑って高らかに宣言した。
「このケルヒャー・ラングレイス、この山林の所有権を買った!」
――あれ、滑ったかな……?
老人は一テンポ遅れて、腰を抜かしたようだ。
「おめぇさん、なにを言ってるんだ、なにを……!」
「この土地一帯は所有者がいないのなら、俺が買い上げると言ったんだ」
「ばかいうな、この土地は神さまの土地だから……」
「それは聞いたよ」
ケルヒャーは肩をすくめた。そうして眉根を上げてこうも言った。
「俺が欲しいのはこの土地と山林から調達できるオーク材だ」
「何をする気なんだい? お若いの……」
再び日が昇る頃には、ケルヒャーの呼んだ一団が山林に集結していた。木こりに大工、そして内装屋、住宅造りのプロフェッショナルたちだ。
彼らが三ヶ月で作り上げたのは巨大な住宅地だった。木造住宅が十七棟建っている。その姿はなかなか壮観だ。
ケルヒャーには目利きのスキルがあった。この住宅もそうしたスキルの賜物だった。
日没になり、ランプを灯す。暖炉に薪をくべると、悴んだ手のひらが温まる。ロノノスというハーブティーを淹れて住宅を体験する。
「良い具合じゃないか」
雨風に強く、建て付けのよい住宅だ。ふと気づけばうたた寝していた。パチパチと薪が燃えている。
――この住宅は前線基地だ。
次の週からケルヒャーは町へ出た。湾港のある町で、遠くに帆船が見えている。異国へ向かう船が次々と出航する。
こうして町に出たのはギルドを訪問するためだ。
「ようこそ、ギルド会館へ」
受付嬢に挨拶されてたどたどしく、要件を伝えた。受付嬢は口をぽかんと開けていた。なにか不味いこと言ったかな……。
「いえ、その……冒険者の一団を雇う? いやこの場合違いますね、ダンジョンへ斡旋したいとのことでいいんですよね?」
「そうです。エルウェイクの森のダンジョンに冒険者用の共同住宅を建てました。冒険者にはここで実際に住んで貰って、私どもは報酬として管理費を貰いたいのです」
契約書を差し出すと、受付嬢は視線を移した。ふむふむと内容を精査する。
「いいでしょう。冒険者の一団を手配しましょう。でもエルウェイクの森は比較的初級者向けのダンジョンです。こんな大がかりなことをしなくとも?」
受付嬢は腕組みし、訝しげにケルヒャーに尋ねる。
「管理費・維持費はそれほど高くありませんが、毎月いただくことになります。私どもはその利益でさらなるサービスレベルの向上を目指します」
「なるほど、冒険者には最低限の負担で、でも住環境以上の付加価値がつくわけですね。彼らにとってメリットしかない」
「初級者にとってダンジョン攻略が難しいのは最初だけです。その苦しい時期を私どもの住宅サービスで後押ししたいのです」
受付嬢の胸のなかでわだかまりが氷解し、破顔した。
「……わかりましたっ!」
明日には冒険者の一団が山林へやってくる。ケルヒャーは町をぶらつくことにした。ここで有望な冒険者を何人かピックアップしておきたい狙いがあった。
ギルド会館から出ると、右手に広場があった。広場では剣術の稽古中だろうか。木刀を構えて剣士達がにらみ合っている。
木がしなる音がして、勝敗が決したのか、ケルヒャーはしげしげと広場を覗き込んだ。赤い髪の剣士がいた。見れば女剣士である。すらっとした佇まい、そして跳ねるような剣さばきは明らかに常人のレベルを超えていた。厳しい鍛錬をしてきた思わしき、立ち姿に目を奪われた。息を整えている剣士達は、互いに礼をして、木刀を収めた。
視線に気づいて女剣士はこちらを睨んだ。
――ガン見してたの、気づかれた……!
彼女がケルヒャーのもとにやってくる。
これがイライザとの最初の出会いだった。(つづく)