第二十二話 【ケイン視点】騎士王ケイン
「その、退去を、ですね。命じられています」
「……は?」
ケインはもう一度ケルヒャーに言った。
「退去してくださいとエルフの頭領、アイシアが仰っています……」
ケインは紅潮した顔で言った。ケルヒャーはぽかんと口を開けているだけだ。
――なにをしている? 去れ。去れと言っている。
アイシアの強硬な態度は崩れない。ケインは作り笑いをしてアイシアを宥める。
「アイシアさま。私たちも暮らしがあります。そう簡単に立ち去るわけにはいきません」
――なら、どうする? お前たちが立ち塞がるならば、エルフの軍団を寄越してもいい。一族悉く全滅しようと、エルフの誇りを示して見せようぞ。
「一戦交えても構わないとも」
ケルヒャーが目を瞬かせている。意味が分からないといった様子だ。
「……だいたい、この森は誰のモノでもなかった、はず。違うのか?」
ケルヒャーが手のひらを閉じたり開いたりしている。慌てているのが分かる。
こうしてじりじりと問答を繰り返していれば、アイシアが本気を出すのも時間の問題。ケインは心を決めた。
「ラングレイスさま。私はエルフ側に付き従おうと思っています」
――ケルヒャーの瞳がただ揺れる。唇が震えている。
「どうするっていうんだ?」
こうしたくはなかったとケインは思った。続くのならば永遠に安息の時間が過ぎていくことを信じたかった。アイシアとラングレイスの旦那さまの全面戦争は避けなければならない。ケインの命でそれが防げるのならば、安い犠牲だ。
「ラングレイスの旦那さま。私は本気です」
かっと目を見開いたケインはケルヒャーを睨み付けた。
その凄まじき気迫に辺りの空気は一変した。奥からイライザがやってきた。物々しい雰囲気を警戒しながら、ケルヒャーに近づく。ケインの顔をちらと見て、状況を把握したようだ。
「何がどうなって? というのは野暮ね……」
「イライザ、悪いが剣を持ってきてくれ。ケインと決闘する」
ふたりが住まいに戻ると、アイシアがケインを見つめた。ケインはやはり微笑んで、髪をかき上げて、後ろで結んだ。そうして剣を住まいまで取りに行った。
住まいからケインとケルヒャーは出てきてそのまま森のなかへ入った。ケインは至る所からエルフの囁き声がしていることに気づいた。聞き耳を立てなくとも聞こえてくる。風に混じった声だった。
――静粛に。これからエルウェイクの森をかけて、決闘が行われる。ケインはエルフの血を引く男だ。私の意志を継ぐ男でもある。さぁ、始めてくれ。
ケインはさっと疾風のようにケルヒャーに近づいた。ケルヒャーがその動きに反応して、構えた。ケインの剣の尖がケルヒャーを切り裂こうとする。ケルヒャーがさっと後ろに猫のように飛び退いた。ケインは足を踏み出して、剣を一振りする。
少し及ばず、剣は空振り、ケインは気迫を見せた。さらに剣を振ったのだ。遠心力に負けずに、ケインはまた構えた。ケルヒャーが隙を窺っているが、彼も隙のないケインの気迫に押されている。息は続くとふたりは判断して、剣を振るう。
――金属の叩く音が辺りに二度、三度響いた。二人の剣戟は凄まじい威力だ。
エルフたちが固唾を呑むなか、ケインとケルヒャーは剣を振るった。
ケインには勝機が見えていた。ラングレイスの旦那さまにも弱点はある。長年、剣で身を立ててきたケインである。弱点を観察して分析することは容易い。
ケルヒャーには見えていない死角がある――。ラングレイスの旦那さまは気づかれていない無意識にガードが甘くなる部分。それを剣戟で徐々にあぶり出して突く。振り乱れた腕の動きから、正確に弱点を見いだすのだ。
ケインの口角は無意識に上がっていた。修羅の笑みだ。戦場を愉しむ強者の笑みである。幾千の戦場で、神の加護を受けずとも戦ってきた強者しか見せないものだ。
ところがさっと、血の気が引いていくのを感じた。ありえない剣戟だった。
ケルヒャーの剣は縦横無尽に伸びて、ケインの懐に入ってきたのだ。ケインは身を翻して躱したが服が引き裂かれた。鋭い剣先が肌を裂いて、血が滲んだ。
「く……!」
ラングレイス。ここまでやる男だとは。ヨクモク砦の戦いで見せたドラゴン殺し、その膂力に加え素早い身のこなし、そして、剣術も異次元。
ケインの結んだ髪はさっと解けた。そして、苦悶の色が顔に浮かぶ。ただ撫でるように切られただけ。
――違う。
これは警告だ。次はないということ。
ケインはアイシアに叫んだ。
「アイシア。私はこの人に勝てない。私の命で済むならくれてやる。しかし、この森を立ち去ることはできないぞ!」
――くぅ、ケインめ。最初からそのつもりでいたな。
ケインは微笑んだ。そしてケルヒャーに斬られるために瞼を閉じた。
「――ケイン。お前を倒すなんてできないよ。もう『じゅうぶん』だよ」
「え?」
「だからさ、俺はこの土地から去ろうと決めたのさ。エルフに土地を返してきれいさっぱり無職に戻ろうってわけだ」
ケルヒャーが清々とした顔で告げた。




