第十話
ドラゴンが語りかけてきた。
「我を倒すか? フハハハ」
「しゃべっ……っていうか人語が分かるのか」
ケルヒャーは後退りした。しわがれた老人みたいな声だった。イライザがいつもの調子で口を開いた。
「私たち、あなた自体には興味ないわ、あるものを貰いに来ただけ!」
「何だ? 我を倒してから勝手にするがいい!」
イライザがケルヒャーに振り向き、ウィンクする。いや、なに、してやったり! みたいな顔してるんだ。ケルヒャーはアワアワしている。
彼女がゆっくりとドラゴンに近づいていく。身を起こしたドラゴンの刺すような視線が注がれる。イライザはどこ吹く風といった様子だ。
ケルヒャーは場違いだと思った。
伝説級の勇者の出番だろ、これ……。
イライザが瞬く間にドラゴンとの間合いを詰めた。ドラゴンが素早く爪で引っ掻く。イライザの足は止まらない。そして跳び上がる。ケルヒャーはその後ろ姿をただ眺めているばかりだ。
彼女が跳び上がって剣を振るう。ドラゴンの急所を狙うつもりらしい。首元へ狙いを定めたのだ。ドラゴンの反射神経も負けていない。首が動いて躱される。
彼女がニッと笑ったようだ。剣をまた構える。着地して、また間合いをはかっている。あちこちへ反復横跳びするように跳ぶ。ドラゴンがじれったくなっている。
ドラゴンの視線が鋭くなった。
――翼を広げた。
バサッと翼を羽ばたかせる。飛ぶわけではない。疾風が巻き起こり、イライザの動きを邪魔する。
「手強いわね……!」
彼女が不敵な笑みを止めない。そろそろケルヒャーは帰りたくなっている。
岩壁を蹴ってイライザがドラゴンに襲いかかる。ドラゴンの真上をアイスソードの一閃が走った。
「……ッ!」
甲高い音がして、鋼を引き摺る音が続く。彼女のアイスソードでは歯が立たないのか。それでもドラゴンが口角を上げる。笑っている?
「このところ、弱い相手としか戦っていなかったのだ。楽しいぞ……お前は名の通った勇者に見える。名前を聞こう」
「イライザ・キルベスタ! ――ドラゴンとは三度戦ったことがあるわ!」
ドラゴンが息を軽く吐いた。感心した様子だ。
「フハハハ、ならば手加減は必要あるまい……!」
ドラゴンが口を開くと同時に炎が弱く吐き出された。まだ本調子じゃない。
――すっとドラゴンが息を吸う。そして次の瞬間――、
轟音を立てて火球があたりを灼いた。イライザがアイスソードで火球を割る。もう伝説どころじゃないだろ……!
ケルヒャーは様子をじっと見ている。イライザのアイスソードが真っ黒に焦げて使い物にならないように見えた。それでも彼女が前に歩み出る。その足取りが歴戦の勇者の証しだと雄弁に語っている。
足取りが速度を増す――
正面からのぶつかり合いだ。イライザが岩壁から岩壁をピョンピョンと跳んであらゆる角度から攻撃を試みている。ドラゴンの死角を探っているのだ。
異次元の追撃、そして猛攻。手数だけで言えばイライザが勝っている。ただドラゴンに致命傷を与えられない。
「さすが、硬いわね……」
イライザが攻撃の手を緩めた。鼻の下を掻き、ケルヒャーに振り返る。
「もう観察は終わりね、ケルヒャー。任せたわ」
「……は?」
ケルヒャーの目が点になった。イライザが構わずにケルヒャーの後ろへ退く。
ケルヒャーの背中をポン、と押したイライザが奥で座り込んだ。その眼は鋭く戦場を睨んでいる、鬼神のようだ。
「何だ? もう終わりか。イライザ。我の相手はしないのかい?」
孫の相手をしている翁のような柔らかい声でドラゴンが言った。
「――私より適任がいるのよ……」彼女が息を整えて言った。
ケルヒャーは唖然としながら、ドラゴンと相対する。ドラゴンの鋭い視線が注がれて鼓動が早くなるばかりだ。息が出来なくなる。
呼吸を整えよう……
あのまま行けばイライザにだって勝機があったはずだ。だが。
ケルヒャーは黒槍を構えた。剣はずっしりと重い。いくら移動で慣れた重さだと言っても、戦闘時はさらに重さを感じる。
なにがどうなって……
ケルヒャーはドラゴンの動きを追った。ドラゴンの腕の動き、振り下ろされる爪――、あれ……
スローモーションになったみたいだ。これは。
――ドラゴンの動きが分かる。
イライザとドラゴンとの圧巻の戦闘をじっと見ていたケルヒャーにはドラゴンの攻撃パターンがすべて認識できていた。
母親から無能と誹られてきた日々――。
マリウェリスカの宿題は一般的な兵士をしごく、訓練とは違っていた。
「伝説級の勇者」を育成するプログラムだったのだ。
見える。分かる。そして動ける。呼吸が楽になった。そして体が羽のように軽い。黒槍に魔力が充填される。ケルヒャーはドラゴンの懐に飛び込むと、黒槍を振るった。剣が鋼のようなドラゴンの首筋を切り裂く。
「なッ!? こやつ、何をした……ッ!」
ドラゴンの丸い眼が歪む。何もしていない。動きは明らかにさきほどのイライザのほうが勝っている。だが場を支配しているのは間違いなくケルヒャーだ。
ケルヒャーはもう一度剣を振り上げ、さらに追撃した。
「くぅ……」ドラゴンが声を漏らした。
剣がドラゴンの急所をついたようだ。ドラゴンが敗北を感じたようだ。
「我が屈服させられるとは……、お前の名は何だ? 小僧……」
「ケルヒャー・ラングレイスだ」
「覚えておこう……、ケルヒャーか」
ドラゴンは瞳を閉じた。
「さぁ、何をもってゆく? ――財宝か? ――我の首か?」
ケルヒャーは剣を柄に収め、置いてあった麻袋を拾った。イライザも剣を柄に収めた。指で指し示す。
「そんなものはいらないよ、ほしいのはアレだ」(つづく)