一話 『ミシェルの五人の子どもたち』4
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宿屋の食堂には大きなダイニングテーブルが一つ置かれ、宿泊客は互いに微妙な距離をあけながら一つのテーブルについていた。
デイヴィットは奥さんと思しき中年の女性と厨房を動き回っている。
奥さんが鍋から鳥の煮物を皿に盛る。デイヴィットはそれを受け取ると、サラダと一緒に盆の上に乗せていく。
カウンターに一人分の盆を置き、食事に来た者がそれを取って、テーブルに着く。
パンとスープはおかわりができるようで、カウンターの端には大きな鍋とパンのカゴが無造作に置かれている。
俺とマイラもカウンターから盆を取ると、パンを二三個、盆にのせて二人で座れるスペースを探した。
奥に二人分のスペースを見つけた。
向かいに座っていたのは悪魔だったが、そこしか場所がないので諦めてそこに座る。
恐らく話しかけてはこないだろうし、たとえちょっとした雑談になっても食堂で夕食を取るだけだ。
マイラを誘惑したりはしないだろう。
「わぁ……美味しそう」
「今日は疲れたよ」
俺は凝った肩をぐるっと回した。
「初日、お疲れ様だね」
俺たちはそんなことを言いあいながら食事に取り掛かった。
「ん……この鶏肉、すごく美味しいよ」
「本当だな。うまい、うまい」
マイラは身体も大きい分、かなりの飯を食う。
盆の上にはパンが山をなし、それを丁寧にちぎってはテンポよく口の中に放り込んでいく。鳥の煮物、サラダ、どれを食べてもマイラは幸せそうに頬をゆるめ、「ん~~~」とため息混じりの声を出す。
そんな彼女を見ていると、固いパンでも美味く感じるから不思議だ。
「よく食べますな」
向かいに座っていた悪魔がそう声をかけてきた。
「はい! わたし、こんなに身体が大きいんで、すぐにお腹がすいちゃうんですよ」
「港で一日働いたところだったんで。その分、腹が減ってるんです」
俺は隣からフォローをしてやる。
悪魔と言っても、それは神話に照らし合わせた呼び名であって、このかぎ爪を持った種族が根っからの悪人というわけではない。
道徳や礼儀を解さないと言っても、ケンカをして得になるわけでもないので、いきなり舐めた態度を取ってくることもない。内心はどうであれ、表面上は敬意を表することもできる。
だから俺たちも警戒しながらも普通に接する。
「そりゃあすごい。あれは大変な仕事でしょう」
悪魔は爪の伸びた手で器用にスプーンを使ってスープを飲んだ。
かなり裕福な暮らしをしているようだ。
部屋の中でもコートを脱ごうとせず、ハットまでかぶっている。
どこかで見たような格好だと思い、俺はすぐにそれがどこだったかを思い出した。
昨日、港に向かう道で見た悪魔だ。乞食の母娘に施しを与えていた姿が印象に残っていた。
「ええ、まあ」
「私も昔はああいう仕事もしたが、今は半日ももたんだろう」
「今は何をなさってるんですぅ?」
「学生だよ」
「学生?」
意外な答えに俺は首を傾げた。
「ああ、親から財産を受け継いでね、おかげさまで日々の仕事に追われることがなくなったんだよ」
「それは結構ですね」
「そうなるとあれだけ好きだった博打も、すっかり興味をなくしてしまったんだ。ひねくれものでね、暮らしに困らなくなった途端、シャバの遊びがみんな退屈に思えてきたんだよ」
「そおいうものかもしれませんねぇ」
マイラはニコニコ頷いている。
「そうすると今度は急に学問がしたくなった。我々悪魔は、したいことをしたいときに好きなだけやる。それで遅まきながら学生になったというわけだ」
「へー、良いことですね!! それでこの町には何の用事で?」
「いや、旅行で来ているわけじゃないんだ。法曹学院がこの町にあるから。学校に通う間はこの宿に住んでいるというわけだ」
どうやらこの男がアレボリスらしい。
デイヴィットが特別気にかけている長期滞在のお得意さまで、俺たちはこの男の機嫌を損ねないよう釘をさされていた。
「良いですね、バラ色の学園生活」
「いやいや、学問は楽しいのだが、私生活の方では散々だ」
悪魔は苦笑した。
「そうなんですか?」
「ああ、つい先日も、許嫁との婚約を破棄してね、その話し合いに苦労した」
「あら、お気の毒に」
許嫁の話になると、悪魔はさらに饒舌になった。
「まったくだよ。私は長らく理想の花嫁を探していたんだ。やっと見つかったと思った女性が、実はとんでもなく虚栄心の強い、見栄っ張りの女だと気が付いたんだ。だから、婚約を破棄した」
男の瞳に深い影が差した。
「そんな理由で?」
「私たち、悪魔はどのような理由であれ、したいと思ったことをする。そういう自由奔放な姿勢は評価する。しかし、その女は見栄っ張りで虚栄心は強いが、決してそれを実現しようとはせず、他人に嫉妬しては常にイライラしているだけだった。他人の足を引っ張ったり、嫉妬の対象をいじめて憂さ晴らしすることもない。まったく何もせず、ただイライラしているだけだったんだ!!」
「はあ……なるほど……」
悪魔の価値観に照らし合わせれば、嫉妬も結構、見栄っ張りも結構。だが、それを快楽に変えようとせず、一人でイラついているのはみっともない。そういうことなのだろう。
「私はもうあきらめたよ。理想の花嫁などこの世にはいない。恐らく理想の花嫁を見つけるには、まだ心ができあがっていない子どもを見つけてきて、徹底的に教育するしかないんだよ」
「それはまた危なっかしいですね」
俺は言った。
「ふふふ、君たちは良心に反すると言いたいのだろう?」
「まあ」
「安心してくれ。君たちの言うところの良心に反しない方法を私は考えるつもりだよ」
理想の花嫁を作り出すために、未熟な女児を自分の好みに教育する。
悪魔らしい発想だった。
両親から莫大な遺産を受け継いだという男なら、あるいはそういう方法が可能なのかもしれない。どちらにしても、俺には関係のない話だった。
「では、ごちそう様。私は一足先に失礼するよ。明日は忙しいんでね」
悪魔はそういうとかぎ爪の伸びた手を小さく振って、食堂から去って行った。