最終話「ドリフターズと汚れた手」〈終〉
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その後、騒ぎを聞きつけたデイヴィッドが詰め所にまで使いを走らせ、駆け付けた治安部隊によってルスフォードは拘束された。
証拠はじゅうぶん揃っており、そこまでくると彼も言い逃れをしようとはしなかった。
彼はマイラの殺人未遂、スモール博士とガープの殺人で起訴され、裁判によって有罪が確定した。
すぐに彼の書いた本がまったくのデタラメであり、ルスフォードは幻視をする能力も、子育ての経験さえ一度もなかったことが暴かれた。
それは国民に大きな衝撃を与え、間違った子育て法を実践された子どもとその将来に注目が寄せられるようになった。
その結果、この国の皇太子までもがルスフォードの子育て法を実践されていたことが分かり、それは大きなスキャンダルとなった。
実際、あんな風に育てられた子どもは、性格や情動面で問題を抱えていることが多かった。
やがて人々は『ミシェルの五人の子どもたち』を激しく憎み、過激化した一部の人々は『ミシェルの五人の子どもたち』を方々から買い集めて燃やすという暴挙に出た。
現在はこの事件の風化を懸念する歴史家と、どんな本であれ価値を認める収集家、今なおルスフォードを支持する熱狂的な信者が、残った本をかき集めているという。
二人分の生活費を稼がなくてはいけない俺にとっては、すべてが遠い異国のできごとのようだった。
幸いにもマイラの傷はそれほどひどくはならず、小指に痺れが残ったほかは、残りの指は自由に動かせるという。
「まったく、なんでこんなことしたんだよ」
俺はマイラの手に巻かれた包帯を外しながら言った。
今では傷も塞がりかけている。
だが、わずかに膿が出るので、俺は数日に一度、マイラの手の包帯を取り換えてやらなくてはいけなかった。
「だってぇ、あそこでルスフォードさんを殺したら、わたし、自分を否定するような気がしたんだよ」
「はあ?」
「うまく説明できないんだけどねぇ、でも、そうでしょ? あそこでルスフォードさんを殺したら、今のわたしがいるのは、全部あの人の子育て法の結果ってことになるじゃん。でも、きっとそうじゃない部分もたくさんあって、わたしはわたしとして生きてきたんだって思ったら、この人を殺しちゃいけないって思えてきたんだよ」
マイラは天井を見上げるようにして話した。まるで自分が言いたいことが、どこか空中に浮かんでいるかのようだった。
「それでなんで自分の手を刺すことになるんだよ」
「耐えられなかったんだよ」
「なにが」
俺はぶっきらぼうに言った。
「わたしの手、汚れてるでしょ。真っ黒に汚れて、今までにたくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人を悲しませてきた。わたしの手ってすごく、すごく、汚れてるんだなと思うと、なんだか耐えられなかったんだよ」
「考えすぎだ。マイラは何も考えずにうまいもの食って、アホみたいな顔で笑ってればいいんだよ」
俺はマイラの膿で汚れた手を、濡れたタオルで優しく拭いてやった。
「でも、わたしは実際この手で……」
俺は彼女のセリフを遮った。
「俺はそうは思わないけどな。見てみろよ」
俺はマイラの手を持ち上げ、高級な食器を鑑賞するように覗き込んだ。
「女らしいすらりとしたきれいな手だ。この手でマイラは人の倍は稼ぐんだろう?」
マイラはハッと目を見開き、それから唇を噛んで俯いた。
「港で男の倍稼ぐ女はいないぜ。その手がこんなに白くて、きれいなんだから、女はすごいよな。ほれ、俺の手なんて、骨ばっててガサガサだぞ?」
俺は自分の手とマイラの手を見比べながら言う。
マイラは俺の手を見ようともせず、俯いたままだ。
「それにマイラはうまそうにご飯を食べるし、人の悲しみに寄り添って、人の喜びを分かち合うことができる。その辺の女よりいい嫁さんになれると思うぞ」
「ばか!」
マイラが突然、俺の手を振り払った。
せっかく巻きかけていた包帯が、はらはらとほどけて床に落ちていく。
「な、なんだよ」
「もぉ、どうしてレイはそうやってわたしを泣かせようとするの!!」
マイラは涙の跡をかき消すように、手の甲で目元をこすりはじめた。
「ばか、傷口が汚れるだろ」
「レイの方が……バカだしぃ!」
そういってマイラはわんわんと泣きだしてしまう。
「まったく、なんなんだよ」
俺は頭を掻いて、困り果ててしまう。
実を言うと、マイラをこんな風に泣かせたことは今まで一度もなかったのだ。
俺は泣き止ませることをあきらめて、包帯を拾い、さっと汚れを払って巻きなおした。
その間、マイラは声をあげて泣いていた。
俺は、果たしてこの女といつまで一緒に居られるだろうか。
俺たちは根無し草の流れ者だ。
麦のシーズンは農場に、それ以外のときは街や港を渡り歩く。
寄る辺ない身の俺たちでさえ、この病気だけは手に負えない。
それでも、一人より二人の方がずっといい。
スモール博士が殺されなければ、あるいは……。
「なにぃ?」
マイラは俺の視線に気が付いて、赤らんだ目で見かえしてくる。
俺はため息をついた。
「ほれ、もっかい手を拭いて包帯を巻いてやるから、大人しく手を出してみな」
「ん」
マイラはなぜか唇を尖らせながらも、素直に手をさし出してきた。
「ドリフターズと汚れた手」〈終〉




