最終話「ドリフターズと汚れた手」7(1/6)
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新月の夜だった。
真っ暗な部屋で、マイラはだらしない顔で眠っていた。口は半開きで、夢の中でミートパイにかじりついているのか、もにょもにょと口を動かしている。
寝苦しかったのか毛布を蹴落として、両足を無警戒に開いて左右に投げだしている。
男はマイラの寝顔を覗き込んだ。
マイラの無邪気な寝姿に思わず笑みをこぼした。
男は真っ暗闇の中でポケットに手を入れ、冷たい感触を探り当てるとゆっくりと取り出した。
そして、マイラのベッドに身を乗り出すと、彼女の喉元に冷たいナイフを押し当てた。
「運命は悲しいものだな」
男の動きがピタと止まった。
「誰だ?」
「いくら逃れようとしても、いくら忘れようとしても、まるで影のように追いかけてきて、否応なく直面させられる事態がある。そういうのって悲しいと思わないか?」
俺はベッドの陰から手を伸ばすと、男の腕を掴んだ。
「邪魔をするな!」
「その女を殺しても、お前はまた困る羽目になるぜ。それが運命ってやつなんだから」
予想外の事態に狼狽えた男だが、そこから先は迷いがなかった。
手の中でナイフを回転させると、逆手に持ち替え、俺の腕に刃先を滑らせようとした。
真っ暗闇の中でかすかな気配とわずかに光る刃がそれを物語っていた。
俺は間一髪のところでそれを避けると、再びマイラに向かって振り下ろされたナイフを掴んだ。
焼けるような痛みが手のひらに広がった。
手がぬるりと濡れ、刃先がその中を滑り落ちた。
「クソッ!」
思わず声が出た。
さらなる力でナイフを掴み、左手でマイラを掴むと、ベットから引きずり下ろした。
「ぐふっ」
床に落ちてマイラが情けない声をあげるが、俺には気にしている余裕はなかった。暗闇の中、男の動きは掴めない。
次の攻撃がどこから来るのか、俺は目を凝らし、男の気配に耳をすませる。
向こうはナイフを振り回すだけでよかった。
俺は血だらけの手を引っ込めると、ベッドを飛び越えて暗い闇に突っ込んだ。
恐怖よりも先に身体が動いていた。距離を詰めた方が相手の位置が把握できるととっさに判断しての行動だった。
「死ね」
冷たい声が右前方から聞こえた。どこから刃が飛んでくるか分からないまま、そっちに向かって突進した。
俺は虚空に向かって拳を突き出した。
闇雲に繰り出したパンチが何かに当たり、遅れてそれが顎だったことを悟った。
しかし、男もとっさの判断で身を引き、ノックアウトを避けた格好だ。
俺は怒っていた。
無性に腹が立っていた。
マイラの運命を散々、翻弄した挙句、最後にはマイラ自身を殺そうとするこの男に。
そして、否応なく向き合わざるを得ない過去というものに悲しいめぐりあわせを感じていた。
できることなら、マイラには本当のことを知ってほしくなかった。
それは残酷な真実だった。
俺だって知りたくなかった。
実際のところどうだったかなんて、どうでもよかった。
すべては過去のことだ。もう忘れてしまえばいい。
そう思っていた。
両腕が疼き、爪が伸びるのを感じた。
悪魔の血が沸騰し、暴れ出すのが分かった。
新月の夜でよかったと思った。
できるなら、この部屋に光がもたらされる前に元の姿に戻れることを願うばかりだった。




