三話「養父ルスフォード」6(2/2)
「なっ……」
男の顔色が変わるのは見なくても分かった。
「見せてくれよ。その契約書とやらを」
「ど、どうしてお前に見せなきゃいけないんだ」
「俺に見せる必要はないな。だが、その子の母親がこの女性である以上、彼女は見る権利があるんじゃないか? デイジーを連れて行く男が本当に養父である証拠を」
男が露骨に焦り始める。それはそうだろう。こいつは養父としてデイジーを引き取った証拠を持っていないんだから。
「それは……さっき、孤児院でカバンを失くしたんだ。だから、今は持ってない。だが、見つかり次第、孤児院の方から送ってもらうことになっている」
「そんな言い訳は通用しないだろ。契約書がないなら、法的にもあんたのものじゃない」
「クソ、それなら探してやるさ。待っていろ!」
男がデイジーを抱えて孤児院に入ろうとした。俺はそれを腕を掴んで静止した。
「デイジーは置いてけよ」
「なに?」
「あんたが契約書を提示できるまで、デイジーはあんたのものじゃない。こっちは形見の羽を持ってる。本当の親子であることは証明できてるんだ。だったら、今のところこっちが一歩リードじゃないか?」
「クソ、俺がカバンを探している間に、赤ん坊を持ち去るつもりだろ!!」
「俺はデイヴィットの宿屋に住んでる。契約書が見つかったら、そこに来い。俺が責任を持ってデイジーをあんたに返してやるよ」
俺はルスフォードが決して契約書を見つけることはないと知っていた。
「ふん、明日にはその子をとり返してやるからな。クソ、あのカバンはいったい、どこへいったんだ!!」
ルスフォードは俺にデイジーを渡すと、苛立ちまぎれに孤児院の門を蹴飛ばした。
「ああ、デイジー、ごめんね。ヒドいお母さんでごめんね」
クピディアさんはデイジーを抱きしめ、悶えるように額をこすりつけた。
「お母さん、あなたと一緒にいるために死に物狂いで頑張るから……盗みでも何でもする。母乳が出る人を見つけてきて、あなたに飲ませてもらえるよう頼んであげるから! だから、ごめんね。あなたを捨てようとして……お母さんを許して。お願い、こんなヒドいお母さんだけど、私と一緒に生きて」
「クピディアさんは良いお母さんですよ」
確かに、ひどいことをしたのかもしれないが、彼女に迫られた決断は、どちらを選んでも相当の苦悩が付きまとう。子どもの幸せを願ってしたことに変わりはない。
事実、俺はもっとひどい母親を知っていた。子どもを立派な女性に育てると言いながら、目の前のその子がどんなに苦しんでいるかに目を向けないような母親だ。
「そうですよぉ。クピディアさんは良いお母さんです」
マイラも俺に賛同する。
「本当にありがとうございます。でも……お二人はどうしてここに? それにレイモンドさんはどうして、あの男の人が契約書を持ってないって知ってたんですか?」
「ああ……それは……まあ、なんとなくそんな気がしただけですよ。契約書があるって言いながら、一向に出そうとしませんからね」
俺は必死に言葉を濁した。
「なるほど、すごい洞察力ですね」
クピディアさんはそう言って俺を眩しそうに見つめる。
「でも、あの男の人はどうなるんだろぉ。いくら探したってカバンは見つからないよ?」
マイラが俺にだけ聞こえるように、そう耳打ちをした。
「嫌な奴だったけど、カバンを盗まれた挙句に引き取りに来た子どもまで失ったんだからな。同情くらいはしてやろうぜ」
「そうだね」
「さ、クピディアさん、そうと決まったら帰って晩飯を食いましょう。早く元気になっておっぱいを出してあげないといけませんからね」
そう言ってマイラとクピディアさんを先に行かせる。
俺は後ろ手に隠し持っていたカバンから、一枚の契約書を取り出した。
カバンの方は孤児院の門に立てかけるようにして置き、契約書をその場で破り捨てる。粉々の契約書は風に乗って四方八方へと舞い上がっていく。それは月明かりを浴びて、ちらちらと雪のような輝きを放つ。
「レイモンドさん、何してるんですか? 早く帰りましょうよ」
「はい、今行きます」
顔をあげると、薄幸ながら儚げに笑う、美しい天使が見えた。




