三話「養父ルスフォード」(過去編)(2/2)
わたしはレイに会えるのを待ちわびていた。三日に一度か二度、お母さんにイカダに乗せられて川を下ると、流れの緩やかな淀みのところでレイが待っている。
レイとそこで少しの間だけ話をする。
わたしは夜までに家に戻らなければいけないから、イカダを引いて川沿いを上っていく。その隣をレイが歩き、ときどきはイカダを引くのを代わってくれることもあった。
「なあ、今度一緒に街に遊びに行かないか?」
ある日、レイはそう聞いた。わたしたちはまだそのとき、十一歳でレイも同じくらいだ。デートのお誘いなんてつもりは一ミリもなかっただろうけど、レイから誘われたのはそれが最後だった。
その後、レイと一緒に旅をすることになったのだけど、彼はわたしを男友達のように扱うから、デートらしいデートなんかはしたことがない。
「街?」
「そう。今、街にドラゴンがやってきてるらしいんだ。ドラゴンって知ってるか?」
「名前だけは。でもぉ、見たことはない」
わたしは毎日、本を読まされる生活をしていたので、知ってる言葉はたくさんあった。でも、実際にそれを見たことはなく、わたしはレイと話すといつもレイが本の中の世界にいるような気がした。
「すごく大きな動物らしい。俺も見たことはないんだけどさ。それが今、街に来てるらしい。なんでも、隣の国の王様からプレゼントしてもらったらしくて、今、王宮まで運んでるところなんだって」
「ふーん」
「なあ、今度、街に行こうぜ」
「うーん、無理だと思う」
「なんでだよ」
レイはわたしの目の奥を覗き込むようにした。
レイはその頃からとてもつり目な男の子だったので、わたしはレイが怒ったんじゃないかと狼狽えた記憶がある。
「えぇっとぉ、わたしも行きたいんだけど、お母さんが許してくれないと思う」
「マイラの家って貧乏なのか?」
「違うよぉ。お母さん、いつも言うの。街に行ったら、見栄っ張りでぇ、うそつきな子に育つんだって」
「なんだよ、それ。意味わかんね」
「だよねぇ。わたしもよくわかんない」
わたしは笑った。
ワンピースの件を思い出していたので、レイに街に誘われてもお母さんに許しを得ようとは思わなかった。
レイに「行けないと思うから」とだけ言って断り、その日も家の少し前でレイと別れたつもりだった。
しかし、家に帰って、お母さんが夕食の準備を終えるのを寝室で待っていると、寝室の窓がガタガタと揺れ、何事かと思って顔をあげた途端、バンッと音がしてドアが開いた。
「よっ!!」
レイはイタズラっぽく笑うと、窓を乗り越えようとする。
「レイ!? どうしたの?」
「マイラのお母さんに俺から頼んでやるよ。一緒に街まで行かせてくださいって」
わたしは怖くなった。レイのことがお母さんにバレたら、レイが燃やされてしまう。
「ダメだよぉ! お母さん、すっごく怖いの」
わたしは両手を突き出し、レイが寝室に入ってくるのをやめさせようとした。
「大丈夫だって。怒られるのは慣れてるから」
「そうじゃないんだよぉ! お願い、レイ。早く帰って!!」
「なんで泣いてるんだよ」
「レイがお母さんに見つかったら、大変なことになる……」
よほど怯え切った表情をしていたに違いない。レイの顔からさっと笑みが消えた。
「マイラ、夜ご飯の前の夕方の特訓をしましょうか」
キッチンからお母さんの声が聞こえ、わたしは戦慄した。
「レイ、隠れて!!」
わたしはレイの手を引っ張ると、ベッドの中にレイを押し込んだ。
次の瞬間、戸が開き、お母さんが寝室の中を不思議そうに見回す。
「マイラ、今誰と喋ってたの?」
「え……いや、独り言だよ……」
わたしは背中に回した手をぎゅっと握りしめた。
「そう。夕方の特訓を始めましょう」
「う、うん……」
背中をツーっと汗が流れた。
このままじゃダメ……。
わたしはぎゅっと目をつむった。このまま寝室に隠れていたら、レイに『夕方の特訓』を見られてしまう。
それだけは避けたかった。『夕方の特訓』は一日で一番嫌いな時間だった。それでもお母さんにしなさいと言われたら、するしかない。
でも、レイにその姿を見られるのだけは嫌だった。
かといって、今レイを帰せば、お母さんにレイがいたことがバレてしまう。
「ちょっとだけ待って。今、お片付けするから」
「お片付けって何も散らかってないじゃない」
お母さんは不思議そうにわたしを見た。
「とにかく少しだけ片付けたいの。お母さん、ちょっとだけお外に出てて」
わたしはそう言って寝室の扉を閉めると、布団の中で丸くなっているレイを引っ張った。
「早く帰ってぇ!」
「え、ど、どうしたんだよ」
突然泣き出したわたしにレイは慌てた。
「お願い。何も聞かずにすぐに帰って!」
わたしは泣きながら言った。
「わ、わかった」
レイは血相を変えて窓を乗り越えた。
転がり落ちるように地面に着地すると、心配そうにわたしの方を振り返った。
「マイラ、お前大丈夫か?」
「平気だよぉ。だから、走って。ここから少しでも遠ざかって。わたしの声が、まったく聞こえないところに」
「わ、分かった」
レイが森の中に消えていくと、わたしは寝室から出て、リビングに待つ母親に笑顔を向けた。
「お母さん、お片付け、終わったよ。さ、特訓やろ」
「あら、マイラ。いつもは嫌がるのに、今日は素直ね」
わたしは泣きたい気分をぐっとこらえて頷いた。レイに見られずに済んでよかったと思った。




