一話 『ミシェルの五人の子どもたち』1(2/2)
「なんでいつもみたいに俺に相談しなかったんだ?」
「だって、レイ、怒るでしょぉ」
「俺に怒られたって気にしないだろ」
「それにレイ、農場主の娘さんと楽しそうに話してた」
「それがどうしたんだ?」
「邪魔しちゃ、悪いかなぁって思ってぇ……、だって、レイ、いつも言ってるから。わたしのせいで女ができない、わたしのせいで女ができないって」
「なんだ、俺のせいだって言いたいのか? 俺が農場主の娘と話してたから、それでこんな事態になったって言いたいのか?」
俺はブチギレそうになった。
「違うよぉ……レイが、なんで相談しなかったんだって聞いたから……」
「分かった。分かったって」
俺は自分を殴りたくなった。
たしかに、三日目の昼食のあと、俺は農場主の娘と話をしていた。他愛のない世間話だったが、すごく愛想のいい娘さんで、俺が気をよくしていたのは確かだった。
そして、そのとき、マイラが食堂の端で俺の方をちらちら見ていたのだ。
彼女はとても戸惑った表情をしていて、俺に話しかけるかどうか迷っているみたいだった。
どうして、あのときピンとこなかったんだ!
あのとき俺が勘付いていたら、最悪の事態は未然に防げたかもしれない。
「で、一人ででも戻しに行こうとしたんだよな?」
「うん……」
マイラが単なる泥棒でないことは、他にも根拠があった。
マイラは決してお金に困っているから物を盗むわけじゃない。
たしかに俺たちは金持ちではないが、マイラが盗むものは金目になるようなものとは限らない。
農場主の腕輪にしても、彼の娘がお小遣いで買えるくらいの、決して高価な腕輪なんかではない。
あるとき、マイラが食料品屋で一チットの飴玉を盗んだとき、彼女の財布の中には二百チット以上入っていた。
盗んだものを一度も使わずにずっとポケットの中に入れていたこともある。
彼女は抑えられないのだ。
物を盗むという衝動を。
「簡単なことだろ。農場主の部屋に行って、腕輪を落としてましたよと言えば済む話じゃないか」
「でも……その前に、使用人の人に見つかって……、そのときわたし、思わず目をそらして、手を後ろに隠しちゃったんだ」
「はあ……マイラ、お前はほんとうにどうしようもないな」
彼女は濁流のような衝動に襲われた後、決まって罪悪感を覚える。
そして、彼女は盗んだ品物を元に戻しに行こうとするか、どこかに落ちていたと嘘をついて、返そうとするのだ。
どこの世界に、こんな一銭にもならない泥棒をするやつがいる?
マイラは完全にイカれてるんだ。
「だって、咄嗟のことでしょうがないでしょぉ」
「堂々としてればいいんだよ。で、いつものように言ったんだよな? これは拾っただけだって」
「ううん、そのときにはもう農場主さんの腕輪が盗まれたって話になってて……わたしたちが容疑者になってて……」
マイラは使用人たちに一斉に取り囲まれ、手の中の腕輪があることを隠しきれなくなった。
マイラは半ば強引に手のひらを開かされ、そこから農場主の腕輪が見つかった。
使用人たちはマイラに詰め寄り、他にも盗んだものはないかと彼女の服をすべて脱がしかねない様子だった。
「ご、ごめんなさい!」
マイラはそこで謝った。
それが悪手だった。
彼女は度胸がない。身体はデカいが、小心者なのだ。
謝ったが最後、彼女は他にどんな言い訳もできなくなる。
盗んだのを認めたも同然だ。
そこに俺が現れた。
取り囲まれた彼女と、使用人たちの険悪な表情を見て、俺は何が起こったかを察した。
これまで何度も見てきた、頭を抱えたくなる光景だった。
ハッキリ言って、俺たちが出向くようなところはどこも血の気の多い連中ばかりだ。
それに俺たちのような人間は、後ろ暗い過去を持つ流れ者とみなされる。
要するに、俺たちは疑われたら最後、無傷ではいられないのだ。
俺は使用人の輪の中に駆け寄ると、マイラの手を取って逃げ出した。
一晩中歩いて、峠を一つ越え、そうしてこの港町にやってきたというわけだ。
「レイ、まだ怒ってるよね?」
「もう怒ってない」
俺はぶっきらぼうに言った。
「怒ってる……目がこんなにつりあがってるもん」
マイラはそういって目じりを人差し指で持ち上げた。
「それは生まれつきだ」
「声も怖いしぃ」
「たしかにイライラしてるさ。それは認める。だが、それは何も食べてないからだ」
「ほんとぅ?」
マイラが追いついてきて俺を覗き込む。
図体のデカイ彼女は不器用に身体を折って、俺と視線を合わせた。
俺は頭を切り替えようとしていた。
いつまでもこのことでマイラを悲しませたくはなかった。
たしかに俺だって損をした。
取り返しのつかない損だ。
だけど、もう追い打ちをかけるようなことはしたくなかった。
マイラはイカレてる。
彼女と組んで歩く限り、こういった事態はある程度受け入れなくてはいけない。
俺一人ならもう少しうまくやれる。
俺一人なら……俺はそう考えてぎゅっと目を瞑った。
「考えてみろ。昨日の晩から歩きどおしだ。朝ご飯は食べたか?」
「食べてない」
「昼ご飯は食べたか?」
「食べてない」
「だろ? もう昼には遅すぎる時間だ」
「たしかに」
「半日何も食べなきゃ、イライラもしてくるし、落ち込んでくるはずだ。だろ? マイラ、お前が今気落ちしてるのだって、飯でも食えばすぐによくなる。大丈夫、これがはじめてってわけじゃないんだ」
「そうかなぁ」
「ああ、だから何か食って、それで全部忘れてしまおう。な、元から何もなかったってことにして、また一から頑張ろうじゃないか」
「うん、ありがとうレイ」
マイラがぎこちなく笑い、頬がきゅっとへこむのが見えた。
「マイラ、お前、ポケットの中に何が入ってる?」
俺はマイラのポケットの中の物を出させた。彼女のオーバーオールのポケットにはいろいろなものが入っている。
その中で食べられるものと言えば、リンゴとビスケットだった。
ビスケットは紙につつまれている。
「盗ったものじゃないよぉ」
マイラが不安そうな声で付け足した。
「分かってる」
俺はポケットの中を探ってみた。マッチはある。見つかった山菜やキノコ、虫を取って焼けば、ビスケットの足しにはなるだろう。
「よし、川のそばまで移動して、それから飯にしよう」
「うん」
俺とマイラは山道を下った。幸いにもすぐに小川は見つかった。
「良い景色だねぇ。こんなところで食べたらビスケットもごちそうだよ」
静かな場所だった。
風が木の葉を揺らす音、小川のせせらぎ、鳥の鳴き声。
「マイラは山が好きか?」
「うん、ずっと山で育てられてきたからね。その点、都会は苦手。ごちゃごちゃしてて、人の多さに酔いそうになるの」
「その気持ちは分かる」
「でも、働くためには町に出るしかないもんね」
マイラが苦笑した。
「街に出なくても働く方法はあるぞ?」
「ほんと?」
「ああ、ボートを買うんだ」
俺は長年思い描いていた夢を語った。
俺の故郷は山と海に囲まれた小さな町だった。
流れの穏やかな海で、磯に立つと、大小様々な島が点在しているのが分かる。その大小様々な島は、どれも金持ち連中の別荘地や行楽地になっている。
「俺の村ではアルっていう爺さんが、ボートを持っていて、海沿いの島々に食料を届ける仕事をしていたんだ。その爺さんは金持ちの連中からたくさん心づけを貰って、悠々自適に暮らしてたんだ」
俺の夢はアル爺さんになることだ。
「ボートひとつで?」
「そう。俺たちでもボートがあれば、楽に暮らせるんだ。考えてみろ。他人の下で働いていたって金持ちになれるわけない。麦がいくら豊作でも、俺の手元に入ってくるのは一日二百チット。船の荷下ろしなんか、一キロ何千万もする貴重な香辛料や宝石を運ぼうと、一日働いて三百チットだ」
「たしかにね」
「それなら自分で商売を始めた方が良い」
俺はビスケットを齧りながら、いつもの景色を思い描いた。
金を貯めて、ボートを買うんだ。
ボートを買えば故郷の近くの村に住んで、アル爺さんと同じように金持ちが住む島に食料を運んで暮らす。
「応援するね。レイの夢」
マイラはやわらかそうな頬をへこませた。