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一話 『ミシェルの五人の子どもたち』1(1/2)


     1


「お前の病気はかわいげがないんだよ」


 俺は吐き捨てるように言った。

 晩夏の峠道。

 曲がりくねった坂道がふいに開け、視界の先には港町が見えた。

 レンガ造りの家々に、日中の娼館はもの寂しい。

 港には大型の帆船がいくつも止まり、荷降ろしに駆り出された男たちの粗野な罵り言葉がここまで聞こえてきそうだ。


「まったく、何もかもが台無しだ!! 分かってるのか? 何もかもがだ!!」


 俺は怒りまくっていた。


「今度こそ、俺は腰を落ち着けるつもりだったんだ。あの農場主は日に、二百チット払うって言ってたし、それなら半年も働けばボートが買えた。俺はやっと腰を据える気になってたんだ」

 とぼとぼと歩く気配を背中で感じながらも、俺は歩調を緩めようとはしなかった。


「おい、聞いてるのか? お前が妙な気を起こさなければ、俺はじゅうぶん上手くやって行けたんだ」

「あそこは理想的な環境だったんだ!!」


 俺は後ろに向かって指を立て、一つずつ数え上げてみせた。


「農場主とも馬が合いそうだったし、街までは離れていて誘惑になりそうな悪い遊びもなかった。それをお前が台無しにしたんだぞ?」

「うん、わかってるよぅ。わたしだって台無しにしたくはなかった」


 背後から妙に間延びした声が聞こえてくる。

 気落ちしているせいか、普段よりもいっそう愚鈍そうに聞こえる。

「そうだろうな、マイラ! お前は病気なんだからな」

「レイは怒るぅ。病気だって言ってくれるのに……」

「お前の病気はかわいげがないんだよ」

 俺はさっき台詞を口にした。


「ちょっとは我慢したんだろうな?」


「うん、したよぉ。でも、できなかった……」


 俺はため息をついて、後ろを歩く大女を見上げた。


 マイラ・グラント。

 身長は一八〇は軽くあるだろう。

 今でも年々大きくなっている。

 俺より背が高くて、体格も大きい。

 下膨れの頬に、細い目つきは動きがのろく、笑うとえくぼができる。

 くたびれた白シャツにオーバーオールを着て、恵まれた体格で、人の三倍はよく働く。

 美人ではないが愛嬌があって、こいつの本性を知らない人間からは大いに信頼される。


「ったく……」

「言いたいことがあるなら言ってよぉ」

 こぼれそうな胸と幅広の尻は、狭い道ならつっかかりそうなほどで、のろそうな顔と相まって、どこか男好きのする女だ。

 美人が勝負を避ける女。

 俺にまともに女ができないのは、こいつといるせいだ。


 俺とマイラは根無し草の労働者だった。

 季節ごとにあちこちを渡り歩き、船の荷下ろしや、麦の収穫なんかで日銭を稼ぐ。

 頼まれれば害獣駆除や行商人の護衛だってするし、排水設備の清掃から、壊れた屋根まで修復する。

 俺らは商工業組合なんかには所属していない。奴らは俺たちに労働者カードと馬車鉄道の切符を渡すだけだ。

 十二のときに故郷を飛び出してからは、ずっとそんな生活を続けてきた。

 思えば、あのときも原因はマイラだった!!


「なんで腕輪なんか盗もうと思ったんだ?」

「分かんないよぅ」


 マイラは、昨日、農場主の腕輪を盗んだ。

 その農場では今年は大麦が例年にないほど豊作で、仕事はたっぷりあった。他の労働者に交じって、俺たちは秋の収穫シーズンをその農場で過ごすつもりだった。

 俺たちにとてもよくしてくれる農場主で、食事はうまく、寝床は快適だった。

 とても気のいい人だった。

 マイラはそんな人の腕輪を盗んだのだ!

 そのことがバレて、使用人や、出入りの職人連中に叩きのめされそうになったところを俺たちは必死で逃げてきたのだ。


 小川の小さな橋の下で身を隠し、追手が離れていくのをじっと待っていなくてはいけなかったのだ。


 冷たい水の中で、一時間も二人で震えてなくちゃいけなかった。


「腕輪が欲しかったのか?」

「ううん、でも、コンラッドさん、ずっと腕輪を自慢してたでしょ?」

「ああ」

 農場主のコンラッドさんは食事の席で娘から貰ったという腕輪を自慢していた。

「それで、たまたま次の日、手洗い場に腕輪が置いてあるのを見つけたんだ」

「それがどうしたんだ? 手が汚れたら誰だって腕輪を外して手を洗うだろう」

「うん、そのとき、急にぞわぞわってしてきてぇ、この腕輪はダメだって思ったの。そしたら、急にぎゅうぅぅって胸が苦しくなって、息が上がって、なんか体中が濡れてきちゃって……」

 マイラは思い出すように目を伏せ、ぶるぶると首を振った。


「なんか、上手く説明できないんだけどぉ、こう身体が熱くなって渇きみたいなのが、お腹の中で疼いて、苦しくなって、苦しくなって、気が付いたら、それをポケットに入れてたんだよぉ……」

 マイラは泣きそうな声で言った。

 マイラは窃盗癖というのか、ふいに他人の物を盗む衝動に駆られることがあった。


 そのときのマイラの顔を見たら、こいつがただの泥棒だとは到底思えないだろう。


 目は催眠術にかかったようにどろりと光り、発作に怯えるように肩を抱く。

「ハァ……ハァ……」

 荒々しい吐息には湿り気が混じり、喉をこするような音さえ聞こえてくる。

 ほとんど泣きそうに歪んだ表情で、でかい図体をよじる。

 それが一分ほど続いたのちに、崩れるように他人の品物に手を伸ばす。



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