二話「グリーンメスカル」2
帰り道、意外なところでマイラを見かけた。
パブや劇場の並ぶ歓楽街を抜けて、宿屋に向かう途中だった。
彼女はガス灯の下で、背を丸めて歩いていた。
巨大な体と透き通るような金髪、後ろに倒れないかと心配になるほど大きく張り出した尻で、俺は後ろ姿でもあれがマイラだと分かった。
「おい、なんでこんなところにいるんだよ」
俺はマイラに追いついて言った。その途端、マイラの身体がビクンと跳ねた。
「わぁっ! れ、レイ!」
「そんな驚くことないだろ」
「ご、ごめん……」
「何してたんだ?」
「う、うん……レイがアレボリスさんのおうちに行くって言うからぁ、わたし、一人で宿にいるのも退屈だと思って、ちょっとお茶でも飲みに行こうかと」
「なるほど。楽しく過ごせたか?」
「う、うん……」
マイラは伏し目がちに言った。
どうも様子がおかしかった。
「何を飲んだんだ?」
「分からないけど、美味しい紅茶……」
マイラが言うには、そこは老夫婦が二人で切り盛りしているバルで、ミートパイが自慢の店だという。
夜になると酒も出すようだが、酔っ払いがたむろして管を巻くということもなく、ほとんどの客は夕食に一杯ひっかけて帰っていくような、ささやかなバルなのだという。
そこでマイラはミートパイと紅茶を頼んだ。
夕食を食べたあとではあったが、昼間あれだけ働いたことを考えれば驚きはしない。
ミートパイはとても美味しく、紅茶もえぐみのないスッキリした味わいだったらしい。
それだけ満足のいく店であったにも関わらず、マイラは浮かない顔をしていた。
「なあ、どうしたんだ?」
「うん……」
マイラはためらいがちに一つ頷いた。俺はマイラの様子を訝し気に眺めた。
すると、マイラが左手に大きなバッグを持っていることに気が付いた。
それは上質な革製のバッグで、ずっしりと膨らみ、大量の荷物が入っていることが分かる。
俺はマイラがそんなバッグを持っているところを一度も見たことがなかった。
「おい、お前……、そのバッグ、どうしたんだよ」
「うん、盗っちゃった……」
マイラは消え入るような声で言った。
話によると、バルに入ったとき、軽薄なナンパ男が声をかけてきたという。
その男は店が空いているにもかかわらず、マイラの隣に腰をかけ、あれやこれやと話しかけてきたそうだ。
マイラはハッキリ言って迷惑だったが、それを顔に出すのも申し訳ないと思い、不器用な愛想笑いを浮かべて、男との会話に付き合っていたようだ。
「なあ、お姉ちゃん、気晴らしになるような薬に興味はないかい? 俺と一緒にそれで遊ばないか?」
男がそんなことを言い始めたときは本当に嫌になったという。
しばらくして男は腹痛を起こしたのか、トイレに入ったきり、しばらく戻らなかった。
マイラは紅茶とミートパイを食べ終え、このまま黙って席を立つべきか考えた。
会話の途中だったため、黙って席を立つのは愛想が悪い気がした。かといって、その男がトイレから戻ってきてから、改めて挨拶をして立ち去るほどの関係ではない。
むしろ、一方的に話しかけられて迷惑をしていたくらいだ。
マイラはふいに隣の席に置かれた大きなバッグに目がいった。
その瞬間、きゅぅんと下腹部がねじれるほどの疼きを覚えた。
そのときにはもう男の黒いバッグから目が離せなくなっており、それに手を伸ばしたい衝動に血が沸いた。
マイラは必死に衝動を抑えようとした。実際、なんとかそれをこらえることに成功することもあった。
しかし、そのときはどうしてもダメだったという。息があがり、思考はもやがかかったようにぼんやりして、身体が焦げ付きそうなほど熱くなり、渇きを満たしたくてどうしようもなかったそうだ。
俺はそのときのマイラの苦痛に歪んだ表情を簡単に思い描くことができた。
横髪は汗を吸って頬に張り付き、だらしなく開いた口からは、涎が垂れかかっている。
マイラは何度も自分を律しようと首を振るが、荒れ狂う疼きに堪えかねて、荷物に手を伸ばした。
「それで、ここまで持ってきたのか?」
「う、うん……」
「どうして返しに行かなかったんだ」
「行かなきゃいけないって思いながら歩いてたのぉ」
「じゃあ、さっさと行くぞ」
俺は戦慄しながら言った。
いや、今になって思えば、俺はこんなところで戦慄するべきではなかった。
これから先、この上なく戦慄するべき事態が起こるのだから。
実際、このときに俺が感じた絶望は、寝るのが少々遅くなるとか、バッグの持ち主や治安部隊にあれこれと言い訳をしなくてはいけないとかその程度のものだった。
その程度で済んでくれたらどんなによかったか。
「そのバルに案内しろ」
「うん、こっち」
俺はマイラに連れられて、来た道を引き返した。




