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二話「グリーンメスカル」(過去編)3/3

 知らない子に会ったのだから、警戒するのも当然だが、恐らくレイは初対面のわたしに警戒していたのではないんだと思う。


 ボロボロの姿を見られることを恐れていたんだと思う。


 レイは男がうじうじと思い悩んだり、泣き言を言うのは格好悪いと考えていて、そんな姿を見たら、女性はがっかりして、男を見下し始めると信じているところがあった。


 女の子だったわたしに、泣いている姿を見られたくなかったのだろう。


 今でも、レイは愚痴を言うことはあっても、悩みを打ち明けることは決してない。


「お前、何してんだ?」


 それがレイの第一声だった。


「え、……えっと……わたし?」

 まさか話しかけてくるとは思わず、わたしは頭が真っ白になった。

「お前以外誰がいるんだよ」

「そ、……そうだよね」

「名前は?」

「マイラ。…………君は?」

「レイモンド。みんなレイって言う」


「レイ、レイ、レイ……」

 わたしは彼の名前を覚えようと、口の中で何度も繰り返した。


「それで、お前は何をしてるんだ?」


「えと……えーっと……川下り……かな」


「一人でか?」


 レイは信じられないというようにわたしを見た。


「うん、一人で」


 わたしは川下りの途中だったことを思いだし、イカダを引いて、川岸を上がり始めた。レイは当たり前のようにその隣をついて歩く。


「お前、どこに住んでるんだ?」


「えーっと、……この川の……上?」

「あんなところに人が住めるのか?」

「わたし…………と、お母さんと二人だけ」

「ホントに? 大蛇が出るんじゃないのか? うちの村の連中だって、こっちの川の方には来ないぞ。人が住めるような場所じゃないって言ってたけど」

「えっと……、そ、……そうなんだ」


 レイと最初に話をして思ったのは、彼は話をするのがとても速いということだった。


 わたしが何を言われたのかその意味を考えて、次に自分が何を言うべきか考えている間に、その三倍くらいのことをレイは話している。

 わたしは頭の回転が追いつかず、何を言っていいのか分からないまま、言われた内容だけがぐるぐると頭の中で回っている。

 それもそのはずだ。

 わたしはお母さんと二人で過ごしていて、周りにはご近所さんさえいなかった。


 わたしはそれまでほとんどお母さんとしか会話をしたことがなかったし、それもいつも似たような会話だったのだ。ご飯を食べなさいとか、遊んできなさい、といった返事にもそれほど頭を使う会話ではなかった。


「そんなに川下りが好きなのか?」

「………………え?」

 質問の意味が本当に分からなかった。


 世の中には好きだからやる、嫌いだからやらないという選択があるということすら知らなかった。わたしはお母さんに言われたことをやっていただけなのだから。


「いや、だって一人でも川下りをするなんて、よっぽど好きなのかなと思って。そうか。お母さんと二人で住んでるんじゃ、何をするにしても一人だよな。ってことは、友だちもいないのか?」


 これには困った。

 レイはどんどん会話を進めて行って、結局わたしは何に答えればいいのか分からなくなる。そもそも、自分がこの少年に何を話すべきかも分からず、わたしは頭の中で言葉が浮かんでくるのをじっと待った。


「そう……かもね……多分……そうだと思う」

 なにを肯定したのか自分でも分からない。好き嫌いに関わらず、何をするにしても一人でしかしようがないことを肯定したのか、それとも、友だちが一人もいないことを肯定したのか。


「マイラ、お前、トロいな」


 レイが苛立ったように言った。

「え……ええ……?」

「もっとシャキッと答えられないのかよ。すぐに黙るし、そしたら中々話し出さないし、俺、なんの会話してたのか忘れてしまったよ。あはは」

 レイはそう言って笑った。


「そ、そうだよね……ご、ごめん……」


「冗談だよ、冗談。ちょっとイジりたくなっただけだ」


「じょ、…………冗談……………………」

 わたしはその意味を考え込むようにまた黙ってしまった。


「いや、でもマイラ、お前大丈夫か? ここがちょっと鈍いんじゃないか?」

 レイはそう言って自分の頭を指さした。

 確かにレイはとても流ちょうに話をする。それこそ、わたしがいつも読んでいる本の中に出てくる人のように。


 それに対して、わたしは自分でも言葉が中々出てこないと分かっていた。


 レイの言う通り、わたしの頭はちょっと鈍いんじゃないだろうか? 


 わたしはそんな恐怖に襲われた。

「そ、そうだよねぇ。ちょっと遅いよねぇ」

 わたしは必死に何かを話そうとした。会話を途切れさせないよう、とにかく何か時間稼ぎになるようなことを言わなくてはと思った。


「それで、マイラはどこまでのぼるんだ?」

 レイが川の上流を指さした。


「えぇと、ずぅーっと、上の方までぇ?」

 わたしは語尾を伸ばして、なるべく時間稼ぎをした。その間にゆっくりだけど、自分なりにおしゃべりできるように言葉を探す。


「ずっとってどこだよ。この山は越えるのか?」


「山はぁ、越えないと思うんだよねぇ」


「ふーん」

 わたしはこれだと思った。こうやって会話をすれば、言葉が途切れることがない。黙ってしまう代わりに、言葉を長く伸ばすのだ。


 それからレイとは何度も話すようになって、そのためにわたしは語尾を長く伸ばす癖がついてしまった。


 今でもわたしはよく語尾を伸ばす。

 あのときに比べると、今の方が断然スムーズに会話が出来ていると思う。


 それでもわたしは語尾を伸ばさないと不安になってしまう。


 みんなが早口でどんどん会話を進めて行って、わたしは何も言えないまま置いて行かれてしまうんじゃないかって。


「ほんとだ。こんなところに家があるんだ」


「そぉだよー」

 わたしは引いてきたイカダを木の杭に結び付けた。

 会話の内容は覚えていないが、家にたどり着くまでの間に色々な話をして、わたしたちはかなり打ち解けた。

「あれがマイラんちか」

 レイがずんずんと近づいていくのを見て、わたしは慌てて彼の前に立ちふさがった。


「これ以上は、だめぇ!!」

「なんでだよ」

「なんでも。とにかく、ぜえったい、だめぇ!!」


 わたしがレイを連れて帰るとお母さんはとても怒るような気がしたが、それは些細な問題だった。


 わたしはレイに早く帰ってほしかった。


 夜になると一日で最悪な時間が待っている。

 それをレイには見せたくなかったし、声を聞かれることすら恐ろしかった。


「とにかくもう帰って」

 わたしはレイを来た道の方向に向かせると、その背中を押した。


 レイは子どもらしい反抗心で、意地悪な笑みを浮かべながら踏ん張ろうとしたが、わたしの力があまりにも強いので、バランスを崩して前につんのめった。

 わたしはそのままずんずんレイを押していく。


「分かった、分かった。帰るってば」


 転げるように坂を駆けながら言った。


「あはは、あははは」

 わたしはおかしくなって笑った。


「なあ、お前、また明日も川下りするのか?」

「たぶんねー」

 わたしは答えた。

「それなら、また来ても良いか?」


「良いけどぉ、面白くないよ?」


「じゃあ、明日も来るよ」


「んー、わかったぁ」


 レイはそういうと坂道を下っていき、わたしは手を振って彼を見送った。


 彼が素直に家に帰ってくれたことに安堵していた。そして、明日の川下りが少しだけ楽しみに思えた。

 だが、次に待っている練習を思うと、すでにわたしの顔から笑みは消えていた。


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