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一話 『ミシェルの五人の子どもたち』〈終〉


     9


 状況をもっともよく把握していたのは、乞食の娘だった。

 といっても、彼女は実際のところは乞食の娘ではなかった。

 あの貴婦人は丘の上の邸宅に住む、ある商人の未亡人だったのだが、他者からの同情を引くことに、異常な執着を持っていたという。

 そのために、乞食のみなりをし、病気で苦しんでいることを人だかりの中、訴えた。


 だが、今となっては驚きもしないが、彼女は身体的には何の病気でもなかった。


 夜になると身体が痛むと言っていたのは真っ赤な嘘だったようだ。

 彼女はより多くの人に同情され、慰め、励まされ、不幸な女として気にかけてもらうことを望んだ。

 彼女がなぜそんな異常な性格になったのかは分からないが、痛ましいアザを持つ女の母親は、彼女をあの本、『ミシェルの五人の子どもたち』の次女と全く同じ方法で育てようとしたらしい。


 物心つかない赤ん坊の顔に火かき棒を押し当て、アザの出来た娘をひたすら罵倒して育てる。

 女は自信を失い、臆病な性格になった。

 彼女にとってはありのままの自分として承認されることはほとんどなかった。


 そのため女は自分の母親のことをひどく恨んでおり、ひどい言い争いのすえに家出をした。結果として、母親の死に目にはあえなかったようだ。


 ただそれでも自分の母親を心のどこかでは深く愛し、常に気にかけていたという。

 その後、女は母親の形見としてあの本を受け取った。


『ミシェルの五人の子どもたち』のエレナは、最後に母親が自分を思って、そのような育て方をしたことを理解し、母親と和解するのだという。

 女にとっては、叶わなかった母親との和解を本の中では成し遂げることができた。


 そして、その本を手に入れてから、女は以前にもまして、他者の同情を集めることに躍起になった。


 そんな性格だったから、あの女は娘が失踪した後も、治安部隊に相談したりしなかったようだ。

娘が見つかれば、自分は心配し、同情してもらうことができなくなる。娘が失踪していた方が、あの貴婦人にとっては喜ばしい環境だったのだ。


 娘を失った母として、みんなから慰めてもらえるのだから。

 そんな母親の行動原理を娘はよく理解していた。


 乞食の娘は、ああして毎日のように乞食のふりを手伝わされるのに嫌気が差していた。


 母親が世間からの同情を引くために、自分を利用しているのに気が付いていたのだ。


 こんなことを続けていては、いつかよくないことが起こると思った。


 それを何度も母親に訴えたが、女乞食は聞く耳を持たなかった。


 そこで、乞食の娘は『ミシェルの五人の子どもたち』を手に持って家出をした。


 とにかく母親をあの本から遠ざけたかった。


 しかし、家出といっても行く場所を知らない。


 丘の上の住宅街をあてどなくさまよい歩くうちに、ふと近所の家が長らく空き家だったことを思い出した。

 乞食の娘はその家の鍵がもし開いていたら、そこで雨風をしのごうと考えた。

 その日、たまたまアレボリスが新居の下見に来ており、その空き家を訪れていた。


 乞食の娘は、鍵の開いたドアから空き家に侵入すると、アレボリスに気づかれないよう、空き家で夜を明かそうと考えた。


 結果的に、新居を見回っているうちにアレボリスは少女を発見した。


 アレボリスは少女から事情を聴くと、ひとまず彼女をかくまおうと考え、宿屋から皿と、スプーンを取ってこさせると、彼女にパンとスープを振舞った。


 そして、翌日、アレボリスは本格的に新居の引っ越しを始める。

 

 俺たちが荷ほどきを手伝ったとき、すでに乞食の娘はあの家にかくまわれていた。


 その後は俺たちの知るとおりだった。


 マイラは居間に置かれていた『ミシェルの五人の子どもたち』を盗み、翌朝、バレないようアレボリスの家に置いてこようとした。


 そこでマイラは、誘拐されたと思われていた乞食の娘を見つけた。


 マイラはアレボリスが乞食の娘を誘拐したと誤解し、治安部隊に通報すると訴えた。


 アレボリスは面倒ごとを起こされてはたまらないと、マイラを拘束した。


 そこに、俺がやってきたというわけだ。


「分かっただろ? お前が物を盗むとろくなことにならないんだよ」


 一日を終え、宿屋のベッドに腰掛けながら俺は言った。


「うん……」

「ダニエルからは嫌味を聞かされる羽目になるし、給料は半分だ。こんなんじゃいつまで経っても金なんか貯まらん」

「じゃあ、もうわたしなんかほっとけばいいじゃん」

 マイラは俯いたまま言った。


「なんだと」


「レイは、わたしがいれば迷惑なんでしょ? わたしがいたら、ボートが買えないんでしょ。じゃあ、別々に歩くことにしようよ。わたし、一人でもなんとかやっていけるし!!」

 マイラは立ち上がり、背嚢に荷物をつめ始めた。

「おい、誰も出て行けなんて言ってないだろ」

「ううん、わたしが出て行きたいの。レイには幸せになってほしいから。そのためにわたしが居ないほうがいいんだもん」


 俺は頭痛がしてきた。


 これはブラフだ。

 マイラは一人で出て行ったりしない。俺を試してるんだ。ここに残るよう、引き留めさせようとしてるんだ。

 マイラは迷いのない動作で、背嚢に乱暴に荷物を押し込んでいく。

 本当に出て行くなんてありえない。マイラが一人で生きていくなんて不可能だ。盗みを繰り返して、牢屋に入れられるに決まってる。

 それはマイラにも分かってるはずだ。

 彼女は俺に引き留めさせようとしてるだけなんだ。


 分かっていながらも、荷造りを進めるマイラを俺は黙って見てられなかった。


 クソ!


「別に迷惑だなんて言ってないだろ」

「良いよ。わたしがいない方がレイのためになるんだから」

「そんなことないって」

 俺は彼女を背嚢から引きはがして、ベッドに座らせた。


「でも、わたしは何の役にも立たない。一緒にいる意味ないじゃん」

「あるよ」

「なんで?」

「それは……それはだな……俺が一緒に居たいんだよ。ダニエルが言ってただろ?」

「なんて?」


「俺たちは所詮、その日暮らしの根無し草だ。稼いだ金もすぐに使ってしまう。飲みに誘われて、博打に誘われて、娼館に連れ立っていけば、稼ぎなんて全部水の泡だ。ボートなんか一生かかっても買えやしない。でも、マイラがいれば、誰も俺を飲みになんか誘わない。お前といればいつかボートが買えるかもしれないんだ」


「それだけ?」

「それだけってなんだよ」

「それだけならもっとマシな女の子を見つければいいでしょ。もっと小さくて、かわいくて、馬鹿力じゃない女の子を」

 マイラは俺の脇をすり抜けて、また荷造りを始めようとする。


 畜生!マイラの奴、立場が逆転したのを分かってて、こんなことをするんだ!


「お前がいないと……退屈なんだよ。お前がいなくなったら、人生にこれから一つも面白いことがないように……思えてくるんだ。だから、……一人で歩くなんて言うなよ」


 俺は汗をかきながらしどろもどろになって言った。


「うん……じゃあ、出て行かない」


 俺が真っ赤になったのを見て、マイラも同じように顔を赤らめ、俯いてしまう。


「出て行かないから、手をさすって」

 マイラはそう言って両手を差し出した。

「お前、調子に乗るんじゃねえぞ」

「今朝、縛られてたところがまだ痛いんだよぉ。だから、さすって」

「はあ……クソ、分かったよ」

 俺はため息をついて、マイラの腕についた縄の目の痕を撫でてやった。


一話 『ミシェルの五人の子どもたち』〈終〉

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