婚約破棄された聖女は、愛する恋人との思い出を消すことにした。
「ダナ、夜遅くにすまない。話したいことがあるんだが、時間をもらえるだろうか」
「ええ、もちろん構わないわ」
改まった様子で自分のことを呼び出したサリバンの姿を見て、ダナは胸を高鳴らせていた。長い間恋人同士として暮らしていたが、ようやく求婚をする覚悟ができたということだろうか。笑顔がこぼれそうになるのをこらえながら、何も気が付いていませんよという雰囲気で男の前の椅子に腰かけた。
「ダナ、君と過ごして何年になるだろうか。俺との暮らしで、君は幸せを感じてくれただろうか」
「もちろんよ。あなたに出会えたことは、人生で一番の幸運よ。あなたに出会えて、私は本当に幸せ」
「今なら空だって飛べる?」
「ふふふ、そうね。夢みたいな奇跡だって起こせそうな気がするわ」
優しく左手を取られ、ダナは口角を上げる。サリバンは、ダナの薬指に指輪をはめてくれるのだろうか。ところが、彼から指輪が差し出されることはなかった。それどころか、彼はダナの左手に唇を押し当てると、そのまま額づいた。ずいぶんと長い間見ていなかった、けれど脳裏に刻まれた懐かしい動きに、さっとダナは顔を青ざめさせる。
「聖女ダナ、代償は既に捧げた。俺の願いを叶えてほしい」
(ああ、あなたも結局私を利用したかっただけなのね。みんな、同じ。みんな、嘘つきばっかりだわ)
愛し、愛されていると思っていた恋人からの残酷な言葉。信じたくないダナの目から涙があふれ、頬を伝い真珠のように転がり落ちていった。
***
聖王国の王太子の婚約者であったダナが、婚約を破棄されたあげく国から追放されたのはもうずいぶんと昔のことだ。かつてはダナに見せていたにこやかな微笑みを傍らのあどけないご令嬢に向けた王太子は、うんざりした顔でダナに向かって罵声を浴びせかけてきた。
『お前のように心を持たない冷血な女と結婚するなんてぞっとする。婚約は破棄させてもらおう』
『王太子殿下、私と殿下の婚約は国王陛下の御意向でした。殿下にとっては意に沿わない婚約だったということは理解しております。そうであればこそ、私は殿下のご迷惑にならぬように、聖女としての仕事に打ち込んできたつもりだったのですが』
『いくら奇跡の力を持っていたところで、血が通っていなければ魔女と同じではないか。国に災いをもたらす前に、さっさとこの国から出ていくがいい。まあ、そもそもお前の奇跡の力など、わたしは信用していないが。当然だ、見たこともないものを信じられるはずがない』
『見たことがない、ですか。そういえば殿下、私がひとの心を持たないとはどういう意味なのでしょう』
さっぱり理解できないと首を横に振ったダナに、王太子は耐えかねたように顔を赤くした。
『お前は、わたしの好きなものひとつ覚えられない。何度茶会に誘っても、お前はまるで初めて会ったかのようにわたしに接してくる。いくら政略結婚だとは言え、お互いに愛し合うように努力をするのは礼儀だろう。そんなこともできないお前では、そばに置く意味さえ感じられない』
『なるほど、そういうことでしたか。婚約を破棄した上で、私を国外へと追放する。それが王太子殿下のお望みでしょうか』
『くどい。何度も言わせるな。最初からそう言っているではないか』
『承知いたしました。奇跡の聖女として、王太子殿下の願いを叶えましょう』
美しい淑女の礼とともに、ダナは王太子の要求に応じた。そして、穏やかな微笑みを浮かべながら思い出話をひとつねだったのである。
『殿下、これで終わりだなんて寂しゅうございますわね。良いことを思いつきました。別れの挨拶代わりに、私との思い出話をひとつ披露してくださいませ。婚約者であれば、相手の好みを覚えることは当然ということでしたから、私の好きなものをひとつそのお話に絡めていただけるかしら』
『はっ、馬鹿にするな。興味がない相手だろうと、政治的に必要であれば覚えるのが王族の役割だ。お前の好きなもの……うん、好きなもの?』
『ああ、好きなものでは対象が広すぎて回答が難しいですね。それでは、好きな色にしましょうか? 好きな食べ物でも構いませんよ? 好きな季節は? 好きな動物は?』
『……わからない。なぜだ。お前に関して何も思い出せない』
驚いたのか呆然と立ち尽くす王太子に、ダナは噛んで含めるように言い聞かせる。
『殿下は、私の力を使いすぎました。国王陛下も王妃殿下も宰相さまも、それに私自身も何度も注意いたしましたのに。お互いの良い思い出が空っぽになれば、残るのは不満や嫌悪感だけ。それでも願いを叶えてもらった事実くらいは、多少記憶に残るはずなのですが、人間は都合の悪いことは脳内で消してしまう都合の良い生き物ですものね』
『待ってくれ、俺は……お前のことを……』
『聖女はこの国の王太子と婚約を結ぶことはありません。この国へは二度と立ち入りません。大丈夫です。殿下の願いは、すでに聞き届けられました』
ダナは、相手との幸せな思い出を代償に願いを叶える奇跡の聖女だ。願う奇跡が難しければ難しいほど、代償として天に捧げなければならない幸せな思い出の量は大量になる。聖女に「婚約破棄」「国外追放」を願ったせいで、ふたりの間に残っていたぼんやりとした淡い思い出もすっかり消え失せてしまった。空白になった心にじわりと染み込んでいくのは、「諦め」。隙間に「憎しみ」や「怒り」が入り込まないように、ダナは心に蓋をする。
(あなたはいいわね。忘れてしまうことができて。私はかつて何かがあったはずの空白を、ずっと覚えていなければならないというのに)
王太子と、騒ぎに気が付いたらしい国王たちの絶叫を後にして、ダナは王太子が願った通りあっという間に隣国に移動した。そこで出会ったのが、ダナの恋人になったサリバンだったのだ。
***
奇跡の力が使えなければ、ダナはただの平民の女に過ぎない。しかもダナの力は、誰かとともに過ごした思い出を対価として、その誰かの願いを叶えることしかできない。自分ひとりの思い出で、自分のための願い事を叶えることはできないのだ。
お金もないし、お金に換えることのできる装飾品も持っていない。せめて婚約破棄の慰謝料代わりに、何か金目のものを持っておくべきだったとダナが考え込んでいると、見知らぬ男に声をかけられた。女には不自由していなさそうな、涼やかな美貌の男だ。
『こんなところでどうした。物取りにでもあったのか』
『ええと、そんなところかしら。住んでいたところから着の身着のままで追い出されてしまったの。申し訳ないけれど、職業斡旋所に連れて行ってくれないかしら。ついでにいい宿があったら紹介してほしいわね』
神殿に保護を求めれば下にも置かない扱いになるだろうが、それではまた同じように願いを叶えるためだけに仮初の思い出を積み重ねる生活をさせられるだけだ。ちなみに婚約したのも婚約破棄したのも初めてだったが、願いを叶えるために仮初の家族やらなにやらと、幸せぶった生活は散々やってきている。せっかく違う国に来たのなら、普通の生活をしてみたかった。
『こういうのは、話の流れというものがあるだろう。いきなり、仕事が欲しいとか宿が知りたいだとか頼むやつがあるか。女衒に捕まって、娼館に売り飛ばされるぞ』
『だってあなたって女に不自由していなさそうだし。それにその腕輪、高位の魔術師の証でしょう。大丈夫だって判断したの』
『無謀なのか、賢いのか。勘弁してくれ』
頭を抱える男は、そんな大げさな動作をしていても美しかった。久しぶりに晴れやかな気持ちになったような気がする。
『私はダナ。あなたは?』
『俺はサリバン。見ての通り、魔術師をしている』
『ねえ、サリバン。あなた、善行を積んでみたいとは思わない?』
『はあ?』
『ここに、無一文の可哀そうな女の子がいるのよ』
『女の子っていう歳か?』
『失礼ね。女性はいつまでも夢見る女の子なんですよ』
『金は返してくれなくていいから、ちゃんと食事をしろ。そんな痩せぎすじゃあ、見ているこっちが心配になる』
馴染みの店だという下町の食事処に連れていかれて、ダナは美味しい料理を心行くまで味わった。王宮の料理は美味しいがお上品すぎるし、何よりマナーにうるさい。食べても食べた気がしない。神殿の料理は清貧が基本。栄養はとれるが、素材の味を活かしすぎている。
『気持ちのいい食べっぷりだな』
『それはどうも。こんなに美味しいごはんは、いつぶりかしら。本当に、無一文なのが申し訳ないくらいだわ。何か持ってないのかしらねえ……あ』
『うん、どうした?』
『金目のものではないものならあったわ』
『守り袋か。中身はなんだ……っておい』
『だって、触るのも嫌だったんだもの』
守り袋の中に入っていたのは、かつて王太子にもらったことのある手紙だ。それを力任せに引っ張り、ダナは細かく破り捨てた。
『ねえ、灰皿ちょうだい』
『意外に吸うのか。悪いな、煙草、持ってないぞ』
『違うわよ。これを捨てるの』
――何度忘れても、ダナのことを思い出すよ。思い出せなくても、何度だって思い出を積み重ねていけばいい――
そんな甘い言葉の書かれた手紙は、もう紙吹雪のように小さくなっている。煙草の吸殻に塗れているのがお似合いだろう。
『火がいるんだろう?』
『あら、煙草は吸わないのでしょう?』
『舐めるなよ、こちらは天下の魔術師さまだぞ』
『あら、素敵。なら、地獄の業火で焼き尽くしてくださいな』
一気に燃え尽きる手紙を見ていたら、ダナの頭をサリバンが撫でてきた。まったく腹の立つことに、こういう時の女の扱いは慣れているらしい。
『こいつ、何したんだよ』
『浮気されたの。その上、婚約破棄されて家を追い出されたのに手紙を焼くだけで許してやっているんだから、いい女よ、私は』
『ああ、そうだな。とびきりいい女だよ』
『何よ、嘘ばっかり』
『嘘じゃない。魔術師は嘘をつかない。嘘をつくと、魔術師は術を使えなくなるから』
『じゃあ、本当にいい女?』
『ああ、最高の女だ』
『うわああん、ほんどうにずぎだっだのにいいい』
そうして昼日中からわんわん泣いて、やけ酒をしたダナ。気が付けばサリバンの腕の中というか、ベッドの中だった彼女は、それからずっとサリバンの屋敷で暮らしていたのだった。
***
ごしごしと乱暴に手の甲でまぶたをぬぐっていると、サリバンにハンカチで優しく目元を押さえられた。そのままぎゅっと抱きしめられる。ダナが泣いて眠れない夜には、必ずそうしてくれていたように。
(奇跡が欲しいだけなら、もう優しくしないで)
「それで、何を願うの」
「ダナ、俺に覚めることのない永遠の眠りを」
「あら、眠り姫ではなくって眠り王子になりたいの? 私ではない誰か真実の愛のお相手に起こしてもらうつもりかしら?」
「まさか、俺はダナ以外に愛するひとなんていない。それに覚めることのない永遠の眠りだからね、この世界が終わるまで優しいダナの夢を見ておくことにするよ」
『魔術師は嘘をつかない。嘘をつくと、魔術師は術を使えなくなるから』
かつてサリバンに言われた言葉を思い出す。そんな台詞さえ忘れるくらい、サリバンと過ごした日々は幸せだった。あの時間が、願いを叶えるためだけに積み重ねられた仮初の幸福だったとはとても思えない。それならば、サリバンはどうしてこんな意味のわからないことを願うのだろう。
「……殺してくれと言っているの?」
「死ぬと転生してしまうから、それはまずいんだ。永遠に眠っていなくてはいけない。俺の存在が決して誰にも気づかれないように」
「何を言っているのか、意味がわからないわ」
「でも、君は聖女だ。それならば、聖女が何のために生まれるのか君は既に知っているはずだ」
一瞬、世界から音が消えたような気がした。確かに神殿で習った記憶はある。けれど、それだけだ。かつて神代の時代に現れて以来、その存在が記録に記されたことは一度もない。
「魔王……」
「正解。聖女は、魔王の対で生まれてくるって習っただろう?」
「でも、別にサリバンは悪いことなんてしていないじゃない。宮仕えをしている魔王なんて、聞いたことがないわ」
「もちろん俺だって、世界征服なんか企んじゃいないよ。面倒くさいだけだからね。わざわざ国家間の揉め事を引き起こすつもりもないし、魔獣を活性化させて世界を混乱に陥れたいとも思わない。そういう魔王っていうのは、絵本の中だけの存在だ」
「じゃあ、あなたの役目は何なの?」
「世界をひとつにまとめあげるための、仮想の敵みたいなものかな。聖女が人々をまとめるための偶像だというのならば、俺はすべての憎しみをその身に受ける負の偶像だ」
そっとサリバンの頬に手を伸ばした。いつもの穏やかな微笑みのまま、彼は目をつぶる。
「どうして教えてくれなかったの?」
「毎回、どうにもできなくて、結局君を泣かせることになるからかな。この世界の澱みが一定以上溜まると魔王として認知されてしまうんだ。それは誰にも覆せない。神さまとやらがこの世界をそういう風に創ったからね」
「そんなのおかしいじゃない。どうして、あなたが神さまと世界のみんなの後始末をしないといけないの」
「自分で自分を封じようとしたけれど、それもなかなかうまくいかない。やっぱり、道理を捻じ曲げることのできる神の力を使った奇跡でないと。今回は魔術師の資格をとってみたけれど、結局自分が持っている以上の知識は出てこなかったよ」
ずっとサリバンひとりに苦しい思いをさせてきたことを申し訳なく思いつつも、何の相談もしてもらえなかったことがやっぱり悔しい。八つ当たり気味に、頬をぐにぐにと引き延ばせば、くすぐったそうに笑われてしまった。
「ひどいわ。あなたは私に、あなたが永遠の眠りについた後は、ひとりぼっちで泣き暮らせと言うのね?」
「俺が眠りについたら、俺のことは全部忘れるだろう?」
「そんなわけ」
「俺のこと、全部好きでしょ。嫌いなとこがないから、覚えていられる部分はないよ。絶対に。この世界を賭けてもいい」
「自信過剰でしょ」
「じゃあ、俺の嫌いなところ教えて」
「そうやって、辛くて苦しいことを自分ひとりで抱え込んじゃうところ」
「そういうところも好きなくせに」
「好きよ、大好きよ。あなたのこと、ひとかけらだって忘れたくないくらい、愛しているわ。だから、私は願いましょう。あなたの望みが叶うように」
そもそも、正式な手順でサリバンは聖女に願いを叶えてほしいとこいねがった。あの動作は、神の力を最大限に扱うための儀式のようなもの。願い出てから、願いを叶えるまでの猶予はそれほど残されてはいないのだから。覚悟を決めたかのようなどこか晴れやかなダナの表情に、サリバンが焦ったような声を上げた。自分の恋人が、時に無鉄砲で向こう見ずな行動に出ることをようやく思い出したらしい。
「待て、ダナ、君は何を願った」
「あなたを消してくださいと。正確に言えば、この世界に存在する魔王を過去から未来永劫まで、すべてまとめて消してほしいと」
「何を考えている。聖女は魔王の対となる存在だ。俺が消えれば、君は消滅してしまうんだぞ。わかっているのか」
サリバンの怒鳴り声に、余裕の顔でダナはウインクまで飛ばしてみせた。
「ねえ、サリバン。私、意外と執着心が強いのよ。あなただけがいない世界なんて、そんなもの認めるわけがないでしょう」
「だが、魔王が消えれば聖女は消える。一対のない世界は存在しない」
「存在しないのなら、創造すればいいのよ。面倒くさがり屋の神さまの代わりに、私が願ったのだから。神さまは力くらい貸してくれたっていいでしょう。世界の欠陥をわたしたちが直してあげるの。あなたと私を消して、魔王と聖女が世界の浄化を担わない世界を構築するのよ」
「そんなことできるはずがない」
「できるはずがないだなんて、失礼ね。私、最初に言ったじゃない。今ならどんな奇跡だって起こせそうなくらい、幸せよって」
世界に光が満ちる。
まぶしくて目がくらみそうな世界の中で、ふたりは互いだけを見つめていた。
「私、今日は求婚されると思っていたのよ。それなのに、あんなこと言われてがっかりしたの」
「すまない」
「結婚指輪をもらえなかったこと、結構怒っているし」
「わかっている。もしも次に会えたなら、まず最初に君に結婚を申し込むよ」
「その約束、忘れたら承知しないんだから」
「君こそ、忘れたらただじゃおかないよ」
成功するかどうかもわからない賭け。そのうえ、聖女の奇跡に使われた思い出は決して戻ることがないとわかっていながら、彼らは最後まで軽口を叩きあう。
笑いながらふたりは、何度も口づけを交わしていた。ふたりの身体が光になって消えてなくなるまで。
***
とある国の、とある図書館。
すっかり埃をかぶった歴史書の本棚の前で、少女が悪戦苦闘していた。そんな彼女に、涼やかな美少年が声をかける。
「忙しそうだね。調べもの?」
「ええ、歴史学の教授が神代の時代の『魔法』だか『魔術』だかが生き残っていたら、今の私たちの生活がどのように変化したと予想されるかについてまとめてきなさいなんて言うのよ」
「『魔法』と『魔術』は異なるものだから、まずそこを混同して書くと、減点は免れないだろうね」
「もう、何よ。あなたは歴史学が得意だから宿題ももう終わらせたかもしれないけれど、私はこの分野は苦手なのよ。歴史の転換点と言われる産業革命についてなら楽しく書けるのに」
「じゃあ、産業革命が起きなかったと仮定した場合について書いていけば? それなら『蒸気機関』の『技師』の代わりに『魔術師』が活躍した時代についても、想像しやすいだろう」
「それだわ! さっさと宿題を終わらせて、注文しておいた航空機用のゴーグルを店まで受け取りにいかなくっちゃ」
うきうきと楽しそうに筆を走らせ始めた少女の左手の薬指には、銀色の指輪が光っている。胸元から懐中時計を取り出し、何やらいじくりまわしていた少年は、指輪のはめられた彼女の指をひと撫ですると嬉しそうに微笑んだ。
「ちゃんとつけてくれていて嬉しいよ。最初に渡したときには、『ナットなんて私、落としたかしら』って言われちゃったし」
「だって、初対面の美男子がいきなり指輪を出してくるとは思わないでしょう。指輪だってわかった後も、『生まれる前から、あなたのことが好きでした』なんて言われたら、狂人かなとしか思わないし」
「酷すぎる」
「酷いのはあなたの頭よ」
くすくすと笑いながら、少女は髪をかきあげた。図書館の窓の向こうには、飛行船が飛んでいる。
「でもそういう君だって、頭のおかしい俺のことが嫌いじゃないくせに」
「本当よね。どうしてかわからないけれど、あなたのことが大好きでたまらないの」
「これって、『運命の恋』ってやつじゃない?」
「やだあ、その言い方はやめてよ。それこそ、『プリンス』みたいじゃない」
傍迷惑なクラスメイトを思い出して、少女が顔をしかめた。なぜか自分のことを「神代の時代の王国の王太子」の生まれ変わりだと主張し、少女のことを「聖女」と呼んでくるせいで、彼女は多大なる迷惑を被っているのだ。ちなみに生まれ変わりだという割に、彼の歴史学の授業の成績はお察しなので、彼の主張は眉唾だと思われる。
「温情で記憶を残してもらった者もいれば、天罰で記憶を消してもらえなかった者もいるってことか」
「え、何か言った? ちょっと集中していたせいで、聞いてなかったわ」
「いいや、こっちの話だから。あ、そこなら、別の資料の方が記述が詳しい。俺、取ってくるよ」
「助かるわ、お願い!」
静かに席を立った少年は、見事な身体さばきで物音ひとつ立てないまま、少女に近づこうとしていた不埒者を捕獲する。そして彼は、「ねえ、彼女に手を出したらどうなるかわかっているよね? 生まれ変わってもまだ馬鹿は治らないの?」なんてささやきながら、獲物を引きずって閉架書庫のある地下へと降りていくのだった。
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