出会い
聖歴885年、多くの家臣に護衛された1人の姫がハイルバーン王国に辿り着いた。
姫の名はジェシカ。芸術の都と謳われるマイル皇国の第一皇女である。
絶世の美貌を持つと噂に名高いジェシカ姫を一目見ようと沿道には多くの国民が集まっていたが、姫はそちらに目もくれず厳しい表情でじっと前を見つめていた。
その厳しい表情の奥に潜む感情は喜びか悲しみか、はたまた怒りなのか。
王弟リンクスとの結婚式の準備は粛々と進められていた。
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「兄上!私は恋愛結婚がしたいと言っていたではありませんか!」
「嘘をつけ。ただ結婚したくないだけであろう?」
休暇明け初日から恐ろしい報告を受け、私は一回り年上の兄がいる王の執務室へと駆け込んだ。
「休暇申請が急に通ったから何か怪しいと感じていましたが、いきなり結婚だなんてご無体な。」
「リンクスよ、王命である。諦めて受け入れよ。」
我が兄上はこうなる事が分かっていたかのように取り付く島もない。
確かに今年で26歳。とっくに子供がいてもおかしくない年齢で、再三兄上にも結婚はまだか相手はいないのかと尋ねられてきた。
しかし、しかしである。勝手に結婚を決めるような横暴、私が反発せずして誰がする。
「お前もこの政略結婚の意味が分からないでもないだろうに。」
「はいはい、そりゃ分かりますよ。体のいい人質でしょう?」
「そう言ってやるな。あくまで同盟の証よ。」
「マイル皇国の第一皇女がねぇ。」
マイル皇国は芸術の都として名を馳せているが軍事力はほぼ持たない。その皇国が隣の帝国の目に止まったらしい。
皇国には宝石や貴金属の産地が多く存在し、その資金力によって傭兵を雇い入れるなどしていたらしいがそれも限界が近づいている。
帝国も鉱山を目当てに仕掛けてるって話だから皮肉なものだ。
「どちらにせよ憎き帝国との戦争に参加するのは決定事項だ。あと半年の休戦の後、我らも参戦するぞ。」
帝国は私達兄弟の父と母を奪った元凶とも言える存在。兄の気持ちは痛いほど分かる。
「そこに関しては文句ありませんよ。
問題は何故結婚相手が私なのかって話です。兄上の息子の誰かをねじ込めなかったのですか?」
「敢えて説明が必要か?私の息子達は皆婚約が決まっているのだぞ?」
「あーーっ、そうですよね。確かに私が1番丁度いいですけど!でもでもぉぉ!」
我がハイルバーン王国とマイル皇国では圧倒的な国力差があり、同盟の力関係ははっきりしている。
しかし相手がマイル皇国の第一皇女ともなると家臣レベルでは格落ちとなる。王家の中で相応しい者を考えた時に明らかにフリーの奴が居るんだよなぁ。
「はぁ、ジェシカ姫って13歳でしたっけ?」
「いいや、まだ12歳だ。」
「あのー、倍以上も歳が離れているんですがそこら辺はどうお考えで?」
「政略結婚ともなれば常識の範囲内だ。
そろそろ諦めて仕事に戻ってはどうかね。休暇中の溜まった仕事を片付けねばならんのだろう?」
もう一度大きく溜め息を吐くとリンクスはヒラヒラと手を振りながらあっさりと執務室を去っていった。
「ギャリー君とか年齢的には丁度いいと思うんですけどねー」と捨て台詞を残して。
リンクスが去った後、王は机の上に小さな紙切れが残されているのに気が付いた。そしてそこに書かれた文字を確認すると小さく口元をゆがめる。
「こんな物をいったい何に使うのやら。まあ良い、結婚祝いとしておこうではないか。
それにしても私が決めた事とはいえリンクスもとうとう結婚するのか。我が子の側にあやつの子が居てくれると思うと、とても安心するのだがなぁ。」
静かになった執務室の中で王はそう独りごちた。
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王城
お天気にも恵まれた結婚式当日、私は初めて夫となるリンクス殿下にお会いしたのです。
身長は父上よりも高く、それでいてしなやかな身のこなし。くすんだ金髪と垂れた目尻が印象的で、優しそうというのが第一印象でした。
しかし王気や覇気といったものは感じず、言葉を選ばずに言えば地味な方だとも言えます。身につけてらっしゃる装飾品の少なさも相まって、もっと低い位として紹介されていても納得してしまったと思うのです。
ですが何処か不思議な存在感がある。そんな方が私の結婚相手でした。
「初めましてジェシカ姫、ハイルバーン王国王位継承権第1位のリンクス・ハイルバーンと申します。どうぞリンクスとお呼びください。」
「ご丁寧にありがとうございます、リンクス様。マイル皇国第1皇女ジェシカです。」
その時の私は分不相応にも自分がマイル皇国を代表していると思い込んでいました。お爺様や家臣の皆が居る前で、夫となるリンクス様になめられてはいけないと過分に力が入っていたのは認めましょう。
ですがそういった自己紹介の後に緊張に震える手でカーテシーを行うと、こともあろうにリンクス様が腹を抱えて笑っていらっしゃったのです。
余裕のない私はつい彼を睨みつけてしまいました。
「ああ、申し訳ありません。ですがそこまで緊張なさることはないでしょう。
私たちは結婚式という大舞台を共に乗り越える仲間みたいなものです。もっと気を楽にいきましょう。」
そう言って手を差し伸べられました。
少しして握手を求められているのだと気が付いた私は慌てて手を握り返します。
「よ、よろしくお願いします。」
この時になってようやく肩にものすごい力が入っていた事に気が付きました。
きっと彼の私よりもずっと大きくそして少し冷たい手に安心感を覚えたため、緊張が少し解けたのでしょう。
そう、私の目をしっかり見て話しかけて下さった彼の手に。
挨拶もそこそこに私は母国から持ってきたウェディングドレスに身を包みます。プロの使用人の方々の手によって髪に化粧にと飾り立てられていきました。
こうして迎えた結婚式。残念な事に緊張し過ぎて内容はほとんど覚えていません。
お爺様と共にバージンロードを歩いた事も、初めて殿方とキ、キスをした事も。
リンクス様に一度緊張をほぐして頂いたにも関わらずこの体たらく。私もまだまだ未熟でした。
ようやく意識を取り戻したのは披露宴が終わり、歓迎の宴が始まっていた頃。
目の前には大きなお肉、具材がたくさん入っているスープ、白くて柔らかそうなパン、その他見た事の無い料理の数々。ハイルバーン王国の豊かさを机いっぱいに見せつけられていたのです。
食欲をそそる匂いに涎が溢れそうになるのを慌てて抑えます。
「……美味しそう。」
「我がハイルバーン王国の自慢の品が揃っていますので、是非ともお召し上がりください。お口に合えば良いのですが。」
「あ、ありがとうございます。」
繋いだ手の先からリンクス様が優しく語りかけてくださった。やはり初めはスープから頂くべきかしら、ですがこの暴力的なお肉の匂いにはついつい惹かれて……
……てて、手っ!…つ、つなっ⁈
てっ……、えっ?
「ああ失礼しました。手を繋いだままでは食べられませんね。」
私の困惑を察したのかリンクス様が手を離していかれました。
手に残った温もりが気恥ずかしいような、でも心強かったような。
「あっ……、で、ではいただきます。」
動揺を隠すように料理に目を向けるジェシカ姫に、王弟リンクスは柔らかい笑みを浮かべていた。
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宴の後も飛ぶように時間が過ぎ去っていきました。
ひと通り挨拶回りを終えると私は裏に下がります。そして体の隅々まで磨き上げられ、結婚式とは違った意味で飾り立てられていきました。
それはもちろん初夜のためです。
初夜にどんな事をするのかは何となく聞き及んでいます。夫婦となる為の最大にして最後の儀式であると。
基本的には夫となるリンクス様の言うことを聞いていればいい。リラックスして体の力を抜いているのが大切だと。
ですが嫌な事はハッキリと嫌と言いなさいと耳にタコが出来るほど言い聞かされました。
初夜の心得を思い返しながら使用人の方に連れられていくと、遂にはリンクス様がいらっしゃる部屋の前まで来てしまいました。
何度か落ち着きたくて深呼吸はしてみたものの心臓は痛いほど脈打っています。
ここまで連れて来てくださった方は既に離れてしまったため、私が自分で扉を叩かなければならないのです。
……心の準備が出来ていないからといって自分のタイミングでなんて言わなければ良かったかも。
「泣き言なんて駄目よね、頑張らないと。」
小さく自分を鼓舞すると意を決して扉を叩きます。
「はい。」と穏やかな声が部屋の中から聞こえてきました。
「ジェシカです。入っても宜しいでしょうか?」
静かに扉が開かれ、リンクス様が顔を覗かせました。
「どうぞ。」
促されるままに部屋に入ると、まず感じたのはアロマオイルでしょうか。なんとも落ち着く香りが部屋中に漂っていました。
そして目に付くのは部屋の中央に鎮座する天蓋付きの大きなベッド。あまりの大きさに私も圧倒されてしまいました。
「ジェシカ姫は何故ここに連れて来られたのかご存知ですか?」
「え?……ええ、この部屋で初夜を執り行うと。」
「なるほど。」
美しい意匠の服ではありますが生地も薄く肌の露出が多い造りなので、流石の私もじっと見つめられると恥ずかしくなってしまいます。
「な、なんですか?」
「あ、いえ。世に名高きジェシカ姫が私の為に着飾って頂けたのかと思うと、改めてその美しさに心奪われてしまったのです。申し訳ありません。」
「ありがとうございます?」
ですがリンクス様相手では緊張が続かないのは不思議なものです。気負っていらっしゃらないからかしら。
こういう場面で褒めて頂けると気持ちが楽になりますね。
「リンクス様もカッコいいですよ。」
「ジェシカ姫にそのようなお言葉を頂けるとは光栄の至りにございます。
では早速ですがベッドの方へどうぞ。立ったままでは何も始まりませんので。」
リンクス様に促されるまま私はベッドに上りました。ベッドは柔らかく滑らかな手触り、それでいて反発性もある初めての感覚で少し気分が上がります。
このベッドに座れば良いのかしら、それとも寝転ぶ方が良いのかしら。
どうすれば良いか分からず、思わずリンクス様の様子を窺ってしまいました。
「ああ、真ん中にいくつか枕がありますよね。それはいくらでも使って良いので仰向けになって頂けますか?」
教えて頂けたことにホッとしつつ枕を触ってみると、これまた高級品だと分かる作りをしていました。
じわじわと凄いところに来てしまったという実感が押し寄せてきました。
全身をベッドに預けると目を瞑ってその時を待ちます。
パサっと天蓋を降ろす音がして、ベッドのキシキシとした音が近付いてくるのを感じました。
「もっと嫌がっても構わなかったのですよ?」
何と答えれば良いのか分からず首を振りました。
すると、ふふっと言う笑い声と共に大きな手が私の頭を撫でます。
「安心してください。悪いようにはしませんから。
少しの間目を瞑ったままでいてくださいね。」
そう言われてから少しして体の上に何か乗せられたような気がした。その記憶を最後に私は意識を失ってしまったのです。
次に目が覚めた時には辺りはすっかり明るくなっており、リンクス様もいらっしゃいませんでした。
後から話を聞いた所によると私たちは初夜を過ごしたと認められ、正式な夫婦となれたようです。