目隠しの外は彼女の愛情
日和は何もかもを手にしていた。地位も名声もすべて手にしていた。文武両道かつ方正学園の生徒会長で皆の信頼も覆りようのないほど厚かった。そんな日和も自身の彼氏、幹の前では完璧超人ではいられなかった。
「幹君、進捗はどう」
「うん、あともう少しで終わりそうです」
「よかったわ。それが終わったら、二人でお茶にしましょう」
二人きりの生徒会室で事前に提出された資料をまとめていた。元々は生徒会メンバーではなかった。幹を日和が書記に推薦したことでこうして生徒会一員に籍を置いている。
「お疲れ様です。失礼します」
きれいなリズムでの三回ノックの後トレドマーク銀縁眼鏡を指で押し上げながら副会長である希子が入ってきた。
「幹君、この前の資料完璧だったわ。とても助かったわ」
「いえ、お役たてて光栄です。」
「これ追加の資料です。ゆっくりでいいのでよろしくお願いします」
「はい、ありがとうございます」
「それでは失礼します」
希子はただ資料を机に置くとすぐさま次の現場へと向かってしまった。日和たち生徒会は一年に一回の生徒総会をまじかに控えておりいつも以上に忙しくしていた。そのため、全員揃うどころか、生徒会室に誰かがいること自体が珍しくなっていた。しかしそんな中でも互いに連絡を取り合いながら、仕事を進めていた。
幹は山積みの資料の一番上から順に手に取り内容を改める。しかしそんな彼の指先にチクッと針が刺さったような痛みが走った。慌てて手をどけ、指先を確認するが、紙で指切ったわけではなかった。今度は恐る恐る、紙の頂上に手を伸ばす。すると今度は小さなビニール袋の感触が伝わってきた。いよいよ訳が分からなくなり、幹は立ち上がって今度はその未確認物体を目でとらえる。
「もしかしてこれだったのかな」
「どうしたの」
「いや、さっき指に何かが刺さったような気がして」
「大丈夫なの?」
「うん、別に切ったわけではないし」
幹は今度は怪我をしないように紙の上にある物をとる。それはどこにでも手に入る小袋に包まれたミルククッキーだった。だがただそれだけで置いてあったのではなく。彼女からのメッセージの書かれた付箋が貼ってあった。
『寒いけど、頑張ろうね♪ これ差し入れ会長には内緒ね』
希子は普段は冷静沈着で無駄口を聞くことを嫌うが、文章上では彼女のキャラクターは百八十度変わり、とても饒舌でカワイイ絵文字なんかも多用するようになる。そのメッセージを読んだ幹は慌ててクッキーをポケットに隠した。しかしその一瞬の動作ですら、日和にはお見通しだった。
「今、何を隠したの」
「えっと、その何でもないです」
「見せなさい」
「落ち着いて日和さん」
「見せなさい」
「・・・はい」
とうとう彼女の圧に屈した幹はしぶしぶポケットの中に入れたクッキーを取り出す。当然希子が貼った付箋もそのままついている。日和はその付箋を見て、眉をしかめた。
「全く、油断も隙もあったものではないわ。今度改めて注意しておかなければ」
それもそのはずだ。すでに多くの生徒が知っていることではあるが、幹と日和は交際関係にあった。幹が生徒会書記になるまえ、日和が幹に告白し、それを彼が了承することで今の関係が始まったのだ。そしてそのことは直ぐに学園全体に知れ渡り、生徒たちに衝撃を与えた。何もかも完璧な超人美少女である日和が選んだ相手が、まさかのどこにでもいそうな凡人生徒だったなんて、すんなりと受け入れられる生徒の方が少ないと言える。
なので付き合ってすぐのころは彼に対して嫌がらせや、半ば強引に二人の関係を引き裂こうとする輩が後を絶たなかったが、生徒会一丸となってこれらと闘い今は落ち着きを取り戻している。しかし今度は逆に生徒会のメンバーが彼に色目を使うようになってしまった。
彼を守るために、日和が生徒会書記に彼を推薦したのだが、それまで何も取り柄がなかったはずの幹はここに来てあっという間に仕事を覚え、わずか一か月で生徒会メンバーとして頭角を現すようになった。実際それがきっかけで彼への嫌がらせが減ったといっても間違いではない。すると次第に生徒会メンバーの見る目も変わり、いまではすっかりメンバーとして認められるようになった。そして今に至る。
日和はクッキーから付箋だけ外すと、自らの制服のポケットに入れた。本当は今すぐここで捨ててしまいたかったが、きっとそうすると彼が悲しむので、あとで彼の見ていないところで捨てることにする。
「クッキーは食べてもいいわ、市販のものだから変なものは入っていないでしょうし」
「ありがとう!! いただきます」
幼子のような喜びようの後に幹は小さな口を開け、クッキーを少しずつ口に入れる。その姿はドングリを一生懸命食べるリスを連想させた。
「ねえ、幹君。前に私が話していたこと覚えてる?」
日和が話しかけると、幹は食べる手を停め、彼女の方をむいた。
「うん、確か。生徒総会の時に何か大きなことをやるって言ってたよね、あれって一体何なのですか」
生徒総会の話が先生からもたらされた時、幹にだけこっそり告げられたことなのだが、今の今まで全くその後の話をされてなかった。それに議題についての資料を見てもそれらしき記述がなかった。
「そのことなのだけど。私事ではあるけどそこで改めて私たちが付き合っていることを宣言しようと思うの、バカげたことだってことは私も分かっているわ。でも何とか先生の許可は下りたのだから…いいかしら」
いつにもなく不安そうな面持ちをしている日和を見て、幹はクッキーを袋に戻した。
「いいですよ、そこまで言われると断れないですし」
「やった~、じゃあ本番を楽しみにしてなさい」
「はいはい」
幹は日和が喜ぶ姿を見ながらクッキーを一かじりした。
そしてあっという間に生徒総会当日を迎えた。ここ最近あまり顔を合わせることがなかった生徒会メンバーも今日だけはここ生徒会室に勢ぞろいしている。
「会長、こちらが資料です」
「ありがとう。みんなも目をしっかりと目を通しておくように」
改めて渡された資料を皆が見つめる中、日和は幹の隣にいた。
「緊張してる?」
「はい」
「ふふ、かわいい。でも大丈夫よ、あなたが壇上に立つのは一瞬だし、それにあなたには私がついてるから」
「会長」
「あ~また二人がイチャイチャしてる~」
「三波ふざけるのはほどほどにして」
「それを会長が言うっすか。ずっと幹君にべったりだし。そうだ私もべったりしよ」
「ちょっとやめなさい」
三波は幹の隣に立つとそのまま腕を絡めた。三波は昔から運動一筋の生活をしてきたため、彼女の腕の力は強く幹では振り払うことが出来ずにいた。そのことをあらかじめ分かっていた三波はどんどんと体を寄せていく。そしてとうとう彼の手が三波の胸に当たった。
「ちょっと、三波さん、胸に当たって」
「いや~ん、幹君のえっち~。それともいっそのこともっと大胆に揉んじゃいますか~うちは大歓迎だけど」
「三波やめなさい。はしたないわよ」
日和が本気で怒ったのを感知した三波は幹の傍を離れた。しかし時折日和の目を盗んで胸を持ち上げてアピールしてきていた。
「以上が今日の流れだ、各々準備はいいな」
その場にいる全員が首を縦に振った。
「よしでは行こうか」
生徒会の面々は全校生徒が待つであろう講堂へ向かうはずだった。
「幹君ちょっと待って」
「何ですか?」
「少しお願いがあるの」
「どうしたんですか」
「ちょっとこれをつけてほしいの」
そう言って日和が幹に私のはアイマスクとヘッドフォンだった。あともう少しで会が始まるのに、一体どういうことなのか、幹にはその意図が分からなかった。ただそれでも彼女のことを心から信頼していた幹は言われるがままそれら二つをつけた。
「じゃあ少し待っててね」
日和が携帯を操作する。するとヘッドフォンから音楽が流れ始めた。
それからしばらくして、ヘッドフォンから流れていた音楽が止まった。おんなじ曲を何度もループして聞いていたので、一体どれだけの時間が経ったのか、幹には理解できていなかった。
「幹君、お待たせ」
ヘッドフォンが外され、耳の中に日和の甘い声が入ってきた。
「えっと、もうアイマスクも取っていいの?」
「それはダメ。でも安心して私が手を引いてあげるから」
そう言って日和は幹の手に自らの手を重ねる。そしてそのまま彼を立ち上がらせた。握った手が進んでいくのに合わせて、幹は一歩一歩歩みを進めていく。そして足が扉のレールを捕らえたことで、幹は自身が生徒会室を出たことを理解した。そうなると、今歩いているのは廊下ということになる。
「ねえ、他の生徒はどこにいるの」
「もうみんな講堂にいるよ、ここにいるのは私達だけ」
「大丈夫かな、先生に怒られたりしないかな」
「その心配はないわ。私を信じて」
日和に手を引かれゆっくりと廊下を歩いていく。廊下に出たあたりまでは幹にも分かったが、今自分が校舎のどこのあたりにいるのか全く分からない。だが時折、あるはずのない水たまりのようなものを踏んでいた。それがつもりに積もって幹は段々と恐怖を感じてきた。
それでも日和が手を引いてくれるおかげで何とか歩みを進めることが出来ていた。しかしそんな彼の足首に何かがしがみついた。思わず幹は飛び上がってしまう。そんな彼を火よりは優しく抱きしめた。
「大丈夫?」
「今何かいきなり飛びついてきて、それで、もう怖いからこれとってもいい?」
「だ~め、それに今君の足に着いたのは、ただの虫だから安心して。それにもうどこかに飛んでいったわ」
「ほんと、もう大丈夫?」
「大丈夫。怖くないわ。さあ行きましょう」
日和に手を引かれ、再び幹は恐る恐る歩き出した。しかしそれからというものの彼がおそれるようなことは一切起こらなかった。だが終始幹は緊張したままで、額からは汗がにじんでいた。そしてそのまま二人は講堂の大舞台の上に立っていた。
「準備はいい? 幹君」
「はい」
「それじゃあ行くわよ」
「皆さんご存知の通り、私と幹君は交際関係にあります。ですが、それを良しと思わない粒の生徒が、彼に嫌がらせを働いているというのが現状です。ですのでこの場を借りて改めて宣言します。私は」
「僕は」
「私たちの交際を阻むすべての悪意と闘い、これを撃滅することを誓います」
「…誓い、ます」
「そして、これを誓いの証とします」
彼女はそのまま壇上で僕の頬を両手でつかむとそのまま、キスをした。交際してからまだ一度もしたことがないのに、ただ唇を合わせるだけでなく、口の中に舌まで入れてきた。熱い唾液に覆われた舌が容赦なく幹の口の中をまさぐるが、まったく不快感を感じることはなかった。むしろそれまでの移動中に感じていた。恐怖がどんどん和らいでいくような気がした。だが唐突に脳内にもたらせた。甘い電流のようなまた麻薬のような刺激に幹は耐えられなかった。数秒後には腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。
「あらあら、幹君には刺激が強すぎたかしら。大丈夫立てる?」
「ちょっと無理かもです」
「しょうがないわね」
二人はそのまますぐに講堂を出て、校門まで向かった。
「えっと、まだ学校終わってないけど大丈夫なんですか?」
「急に倒れた人が何を言うの今はあなたのことが心配、だから一度私の主治医に診せるわ」
日和はお金持ちであるゆえに専属の医者がいるというのは校内の噂で幹は一度耳にしたことはあるが、まさか本当だとは思ってもみなかった。そのまま彼女に強引に車に乗せられ幹は学校を後にした。
幹が帰った後、日和は一人生徒会室に戻っていた。先に帰った幹の荷物を回収するためだった。ぴちゃぴちゃと湿った廊下をただ一人で歩いた。校舎中を歩いているとずっと錆びた鉄の匂いが漂っていた。きっと幹もこの匂いに気が付いていたかもしれない。でも鼻栓まですると明らかに不自然だから、仕方がなかった。でもそんなことはもうどうでもいい。すべてはうまくいった。彼女の計画通り何もかも進んだ。だが一つだけ予想外のことが起こった。
「生きていたのね、希子」
「会長・・・これは一体何の真似ですか」
希子は生徒会室近くの教室の壁にもたれかかる形で座っていた。しかし腹には無数の穴が開き、口からは大量の血を吐いていた。そのすぐそばでは、頭から血を流した三波が横たわっていた。彼女はただ起き上がることもなく、息をすることもなかった。
「あなたが知る必要はないわ。でも強いていうならすべてはあの子のためよ」
「イカレ女が」
その言葉を最後に希子の頭はガクリと落ちた。それと同時におなかを抑えていた手も地面に垂れ下がった。その様子を見て日和はその場から立ち去った。それ以上にそこに用事はなかったからだ。
「あなたの遺言としては口が悪いわね」
その教室に転がる無数の死体をよけながら、日和は教室を後にした。そこで彼女は自身の手のものである黒服たちとすれ違う。彼らは一人一人が歴戦の猛者だと誰が分かるほど、鍛え抜かれた肉体を、硬い黒スーツに押し込んでいた。しかしそんなことよりも彼らの手元に握られた、銃火器の方が明かにこの学園の中では異質だった。
「焼き払いなさい。すべて」
日和が告げると、黒服たちは言葉を返すわけでもなく、ただ淡々とどこかで仕入れてきた。灯油を教室に転がる死体に向けて振りかけた。そしてその中の一人が胸ポケットからマッチを取り出し、それに火をつけ、教室に投げた。爪楊枝の先ほどの小さな火種があっという間に教室すべてを包み込むほどの炎へと育っていく。そしてその現象は学園のあちこちで起こっていた。その炎は憎しみや怒りに染まりかけていた日和の心を消し去ってくれた。
元々自分のことを、肩書や成績だけで評価してくる人間がこの上なく嫌いだった。そんな時彼と出会った。生徒会で使う資料を運んでいる時、足を滑らせ階段から落ちた。そんな時でさえ、日和の頭は冷静そのもので、瞬時に最初のダメージで済むよう受け身の体勢を整えていた。しかし床に激突するよりも前に誰かに受け止められた。それが幹との出会いだった。
「大丈夫?」
「ええ、それにあなたが停めてくれなくとも受け身を取れたわ」
「それでも、怪我がなくてよかった」
たったそれだけだった。それだけの会話で日和は恋に落ちてしまった。
「私は日和。あなた名前は?」
「幹です」
「幹君、あなた私の恋人になりなさい」
「えっ、そんないきなりは無理です」
「何? 遠慮してるの? そんなもの無用よ」
「いや、遠慮じゃなくて、いや遠慮ではあるのか。その日和さんみたいなきれいな女の子にそんなこと言われたの初めてだから。どうしたらいいのか分からなくて」
生まれて初めて完璧超人ではなく女の子として見られた。そのことがさらに日和の恋心を燃え上がらせた。
「そう、ならとりあえず今はイエスと言っておくのはどうかしら」
彼はただ小さな声でイエスと言った。
そんな昔のことを思い出しんながら日和は校門前に停めていたもう一台の車に乗り込んだ。
「帰りましょう、あの人が待つ家へ」
日和は彼との思い出の詰まった校舎が燃え盛るのを発進する車の中から眺めていた。自分と幹を出合わせてくれたことには感謝しているが、もうここの役目は終わったのだ。後に残るのは、大量の生徒の死体だけだった。
「帰りましょう、あの人が待つ家へ」
日和は燃え盛る校舎を背に自宅に向けて車を走らせた。
車に乗せられしばらくたった後、幹は目隠しを取った。その時彼が見たものは通学のさいのよく見る住宅街の光景だった。ただそれを見てもなお、震えが止まらなかった。ここまで何とか日和に悟られることなくここまでやってきた。
教室を出た時から何か異変が起こっていることは分かっていた。普段では嗅ぐことのない火薬のにおいが漂っていたし、足に何かが触れた時、とっさに下を向いた時アイマスクの隙間から見てしまった。僕の足に触れたのは虫ではなく、人の手であるとそしてその人物が誰であったのかはわからなかったが、僕に
「助けて」
と言ったことを。