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顔なき者

作者: 秋司椎茸

 目が覚めた時から、私は自分が何なのかまるでわからなかった。名前も、顔も、年齢も、性別も、パーソナルなデータどころか、ここがどこでどんな状態なのかもわからない。まるでこの世に生まれたばかりのような気分だった。


 暗い部屋で右も左もわからぬまま、ぼんやりとしていた時に生き物を見た。初めて見る生き物だった。二本の脚と二本の手。体毛は薄く頭が大きい。ああ、その時初めて気がついたのだ。私も同じような姿をしていたと。

 おそらく同種であろうその生き物は、私に手を差し伸べた。言葉はわからなかったが、敵ではないと感じた。私は生き物の手を取った。


 生き物達に連れて行かれた先で、さまざまな事を知った。言葉もそこで教えてもらった。常識を学んだ。私は彼らを模倣することで、だんだんその生き物達と同じ『人間』になっていった。


「カイネテル。」


 と私を呼ぶ声がする。カイネテルというのは、私という個人に付けられた名前だった。私を拾ってくれた人が考えてつけてくれた大切な名前だ。

 声のした方に頭を向ければ、私の首に巻かれた鈴がチリンとなった。


 現在人間は滅びの危機に瀕していた。多くの人間たちが原因不明の病により理性を失った化け物と化し、理性を失っていない僅かな人々でさえも様々な症状が現れていた。さながら化け物のように、腕が異様に肥大化したものや、皮膚が石化したもの。手足の数が増えたものなど、本当に様々な。


 かく言う私には、そもそも形がなかった。私の姿は毎日寝て起きるたびに変わってしまう。ある時は妙齢の女性、ある時にはあどけない少年、またある時にはよぼよぼの老人の姿だったこともある。腕を触手にしたり、背中に翼をはやしたりと意識して変える事もできるが、自分の本当の姿はわからなかった。


 この首に付けられた鈴は、見かける度に姿の変わる私を識別するために付けられたものだ。


 生き残った人たちは、出来る限り固まって暮らし、完全に理性をなくして襲いかかってくる元同族と戦っていた。減らしても減らしてもキリがなく、あるいは化け物もまた繁殖しているのではないかとさえ考えられていた。

 はっきり言って、ギリギリだった。食料も殆ど尽き、生産も追いつかない。集まって暮らしている適応者達も化け物の侵攻に耐えきれず一人、また一人と倒れてゆく。

 私を拾って名前をくれたフェネルが明日いなくなるかもしれない。私がわかるようにと鈴をつけたベアトリスが連れて行かれるかもしれない。新参者の私にこっそり芋を分けてくれたミシェーラが物言わぬ残骸になってしまうかもしれない。



 私は自分から怪物になる事を選んだ。



 私は自分の身体を自由に変える事が出来る。化け物に対抗するには自分もまた化け物になるしかない。より恐ろしく、より禍々しく、より攻撃的に。ドロドロと身体が溶けるようにして変形してゆく。より恐ろしく、より禍々しく、より攻撃的な姿を望む。皆が傷つかなくてもいいように。


 触手を伸ばして化け物をからめとる。牙の生えた巨大な口で化け物を噛み砕く。爆音で化け物の脳を破壊する。

 そうやって確かにみんなは守れたが、気づけば私の周りから人が居なくなっていた。皆私を恐れていた。化け物よりも化け物らしい私を。形のない私を。

 最近では私自身が私自身を疑い始めている。もしかすると、私は初めから人間ではなかったのかもしれないと。目を覚ました時、私はまさしく空っぽだった。自分が誰なのかわからない。私が私を分からない。私は、何だ。


「カイネテル。」


「大丈夫?」


 フェネルと、ベアトリス、それからミシェーラだけが私に声をかけてくれる。


「はい。大丈夫ですよ。」


 いつしか私は表情を忘れた。何も分からないのならせめて笑え。他の人たちは私の笑顔を気味が悪いと評価した。でも、もう私にはこれしかできない。


「無理しなくていいのよ。」


「無理なんてしてませんよ。私に出来る事をしているだけですから。」


「最近ずっと防衛戦を一人でやってるじゃないか。」


「それが、何か?」


「そろそろ休んだ方がいい。」


「ありがとうございます。でも、この身体は疲れませんから。」


 そう。この身体は疲れない。睡眠も、食事も、呼吸すらも必要としない。その事に気がついたのは、僕が化け物だったと自覚し始めた時からだった。


「身体はよくても心の方はそうでもないだろ。休んどけ。」


「心……。私、分かりません。心って、何ですか? 心が疲れるってなんですか?」


 まだ知らない事がある。知らなくちゃいけない。知らない事を見つける度に、人間の皮膚が剥がれ落ちていくような心地がする。


「……お前、もう休め。やっぱり疲れてるんだよ。」


「そうよ。一日くらい他の人たちに任せちゃってもバチは当たらないわ。」


「後の事は任せて。ね。」


 私の言葉を聞いた彼らは痛ましそうな目で私に休暇を促した。どうして? 


「……わかりました。皆さんがそう言うのでしたら。」


二人が言うならきっと休むのが正しいのだろう。



 自室に戻り、布団に包まってぼんやりとする。眠る必要がないと気づいた時から、私は眠り方を忘れてしまっていた。少し前まではちゃんと眠れていたのに。ちゃんと人間だった筈なのに。どこでボタンを掛け違えてしまったのか。この形のない身体に怪物になる事を強要してしまったせいだろうか。本当に怪物になってしまったのだろうか。それとも初めから怪物だった? 

 分からない。分からない。私は一体どうしたらいいの?


 布団に包まったままただひたすらにぼんやりしていると、外が何やら騒がしい。言い争いをしているようだった。声は次第に近づいて、私の部屋まで。そしてドアが激しく叩かれた。

私に用だったらしい。何かいけない事でもあっただろうか。

 扉を開けるとその瞬間に思い切り頬を殴られた。


「てめえのせいだ!」


「……どうされましたか?」


 いきなり私のせいだと言われても心当たりがなかった。もう一度殴られ、その衝撃で床に叩きつけられた。


「おい! 止めろ!」


 フェネルとベアトリスが止めるが、彼は私の胸ぐらを掴んで持ち上げた。足が浮いて宙ぶらりんになる。


「なんで今日は来なかった! てめえのせいでミシェーラが死んだんだ!」


 私の胸ぐらを掴んだまま彼は何度も何度も私を殴りつけた。堪えきれない怒りの矛先をぶつけるように。でも、そうか。ミシェーラが死んでしまったのか。そうか……。それは、悲しいかな。


「出て行け! 出て行けよ! この化け物!」


 ああ、まずい。人間の形が保てない。形が安定しない。私の肉がぐずぐずに溶けていく。


 彼が悲鳴を上げて私を離した時、指に引っかかった鈴が転がり落ちた。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。分からない。分からない。どうしたらいいのか分からない。こういう時、人間はどうするの? どうしたら人間らしくなれるの? 分からない分からない分からない。

 私は外に飛び出した。

 

 触手が絡まりあった肉塊のまま、人間の成れの果て達が蠢く街をゆく。こうしてみれば、彼らよりもよっぽど私の方が化け物らしかった。まだ人間の形だけは保っている彼らと、不定形なまま人間になり損ねた私。

 襲いかかる彼らを触手で払いながら、あてもなく、ただ街を彷徨い続けた。街には人がまだ人らしく暮らしていた頃の名残が散らばっている。テレビ。昔は色々な映像が流れていたらしい。スマートフォン。現代人はスマートフォンに支配されていたらしい。プリクラ。ズッ友と書かれた彼女達はどこに行ってしまったのだろうか。



 そして私は私が始まった場所に来ていた。前は知らなかったが、そうか。ここは教会だったのか。鮮やかにカットされたステンドグラスはすっかりくすんでいたが、高い位置にあったおかげか今もキラキラとした色とりどりの光を教会の中に取り込んでいた。

 人はかつて困難に直面すると、神に縋ったらしい。だがこの世界の様子を見るに、祈りは届かなかったらしい。

 私は自分の身体をなんとか人の形に押し込めた。今となっては人間の着ぐるみを着ている気分だ。神様。どうか私を人間にしてください。

 折れた十字架の前で祈ってみた。無意味な事と知って、それでも気休めに。


「カイネテル!」


 私を呼ぶのは誰だろう。


「カイネテル。」

 

 ああ。それは私の名前だ。


「カイネテル。」


 友がつけた、かけがえのない……。


「カイネテル。お願い。こっちを向いて。」


 だが、私は、名前のない怪物だ。


「どうされましたか? フェネルさん。ベアトリスさん。こんなところまで。」

 

 私は彼らにニッコリと笑いかけてそう言った。


「……初めて会った時と同じ姿をしているんだな。」


「そうでしたか。自分では見えないのでよくわかりませんが。」


「……帰ろう。カイネテル。」


「どこへ?」


「ホームへ。」


「お二方こそ、戻られては如何です?」


「私たちはカイネテルを連れ戻しに……!」


「嫌だなぁ。お二人とも。ホームは人間達の最後の希望でしょう? 私のような化け物が行くような場所じゃないですか。」


「化け物って……。」


「お前、本気で言ってるのか?」


「本気ですよ。それとも、違うんですか?」


「違うに決まってるだろ! お前はちゃんと考えて、理性があって、こうして言葉を交わしている!」


「ああ。違うんですよ。私はただ模倣していただけです。いつも不安でした。ちゃんと人間らしく振る舞えているのかと。おかしいでしょう?」


 人間が、人間らしく振る舞えているのかなんて気にする必要はない。ちゃんと人間に見えているのかを心配する必要はない。


「私には、睡眠も、食事も、呼吸すら必要ありません。怪我だってしません。形がないんですから。そんなものを、果たして生き物と呼べるのでしょうか。」


 そう言った私の頬をベアトリスが平手打ちにした。ああ、最近はよく頬を殴られるな。


「どうしましたか? 私に何か恨みでも。」


「違う! 違うわよ! バカ!」


「あ。ではサンドバックを御所望でしょうか。どうぞ。存分にお使いください。どれだけ殴っても壊れない優れものですよ。なんなら爪を立てていただいても。」


 ベアトリスはショックを受けたような顔で泣き出した。ああ。この言い回しが人間らしくないのは知っている。だが、私は隠れてずっとこういう思考をしてきたのだ。今更取り繕う必要はあるまいよ。


「……これは、重症だな。それがお前の本性か?」


「はい。そうですね。」


「どうやらもっと教えるべき事があったらしいな。」


 とフェネルが呟き、ベアトリスは私の身体を抱きしめた。


「私たちもホームに帰らない事にするわ。」


「……はい?」


「ああ。拾ったからには最後まで責任を持たないとな。」


「そうよ。それに私たちが休むように言ったんだから、私たちだって同罪よ。」


「ですが、それは……。」


 私を抱きしめる彼女の腕が首に回され、鈴のついた革の首輪を留められた。チリンと聞き覚えのある音がする。


「今度は外れないようにね。」


「……私は犬か何かでしょうか。」


「いいや。お前は人間だよ。ただ、心を知らないだけで。」


 随分とまあ。断言してくれる。


「本当に人間ではないかもしれませんよ?」


「人間だよ。そういう余計な事を考えるのは人間しかいない。」


「……そうですか。なら、お二人が私に心とやらを教えるつもりでしょうか。」


「いいえ。私達は愛を与えるだけ。心を知るのはあなた自身よ。」


「おっしゃる意味が分かりませんが。」


「そのうちわかるわ。そのうちね。」


「……期待せずに待っておきます。それまでどうか生きていてくださいね。」


 ホームを出るなら、その分より一層生活の危険度が増すという事だ。食料だって簡単には手に入らないだろう。どうしてそこまで私一人に意地を張りたがるのか理解に苦しむが、ああ、でも。悪い気はしなかった。

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