逃避行 ロイス Ⅰ
この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
抉れた大地。炎に染まる空。こだまする悲鳴。サンブロア王国の王都アルビオンは阿鼻叫喚の地獄へと姿を変えていた。
上空を制圧した敵の飛行軍艦から魔導飛行兵が飛び立ち、地上めがけて降下してくる。させじと地上から飛び立った王国の魔導飛行兵が立ちはだかるが多勢に無勢だった。あるものは上から撃たれ、あるものは落下速を乗せた刺突に貫かれ、あるものは組みつかれる。
迎撃をすり抜けた敵が地上を逃げ惑う有象無象を物色し、手柄首を探す。貴族の御曹司や騎士を討ち取れば賞金と名声が手に入る。貴族の屋敷は略奪目的で乱入した敵兵で溢れかえっていた。
「どうして……どうしてだ⁉︎」
そんな地獄絵図の中をロイスは生涯最大の恐怖と戦いながら逃げていた。
つい今朝までグライス公爵家の令嬢として美しい屋敷で優雅に暮らしていたのが嘘のようだった。髪をセットして化粧をし、ドレスを着付けて午後から開かれる貴族の御曹司とのお茶会に備えていた時、いきなり敵襲を告げる警報が鳴り、程なく敵飛行艦隊の空襲が始まった。
父は警報が鳴ってすぐに宮廷へ駆けつけ、ロイスは姉のアレイシアと共に避難するよう命じられた。急いで動きにくいドレスを着替え、護衛を従えて小型飛行船に乗り込んで避難しようとしたが飛行場はすでに敵の攻撃で火の海だった。上空には敵の魔導飛行兵が遊弋しており、ロイスたちは徒歩での逃避行を余儀なくされた。
何が起こっているのかもわからないまま敵兵と炎を避けて逃げ惑っているうちに護衛たちやアレイシアがいなくなった。今ロイスと一緒にいるのは先導を務めていた護衛騎士イリアだけだ。
「お嬢様!もうすぐ街の西門です!」
イリアが脱出ポイントに近づいたことを告げる。彼女の使命はロイスの命を守ること。今現在の状況下ではロイスを街の外へ逃がし、戦場と化した王都から遠ざけることだ。もし運悪く敵に目を付けられたなら自分が身代わりになって死ぬことも選択肢に入る。
西門に辿り着いたロイスとイリアの目に入ったのは倒壊した西門の瓦礫に阻まれてごった返している避難民の群れだった。既に敵兵が集まってきて彼らの武装解除を始めている。
「ここからは出られない。城壁を跳び越えよう」
「お嬢様⁉︎」
突飛なことを言い出したロイスにイリアが驚いた顔をする。
「早く!」
ロイスはイリアの手を取って西門を離れる。
人気がない場所まで走るとまだ崩れていない城壁の前に出た。城壁は王都を守る高さ30メルテの巨大なものだ。しかし、ロイスはその壁を跳び越えられる自信があった。
「跳ぶよ!」
ロイスの声にイリアが覚悟を決めたように頷く。
ロイスは脚に意識を集中させ、全身の力を振り絞って跳躍する。身体が浮いた直後に加速術式を自身に対して発動し、瞬く間に壁の高さを越えて跳び上がる。壁の向こう側に落ち始めると減速術式で落下速度を落として着地する。ロイスには魔導の才能があり、こういったことは難しくもないことだった。
イリアも成功したようだ。
ひとまず郊外の街に逃げ込んで通信機器を調達し、公爵領と連絡を取らなければならない。
そんなことを考えていた矢先、殺気を感じて跳び退く。
「おや?躱したか。見事見事」
声のした方を振り返ると装甲服を纏った敵の魔導騎士がニヤニヤしながら魔導剣を構えていた。
「お嬢様!お逃げください!」
イリアが防盾術式を起動して魔導剣を抜く。
「無理だ!まだ2人来る!」
ロイスは三方から近づいてくる別の魔導騎士を見つけていた。完全に囲まれている。
「おい、こいつの顔を知ってるぞ!グライス公爵家の双子の名花だ!」
魔導騎士の1人がロイスの正体を暴いた。
(やはり顔はごまかせないか)
ロイスは生まれて初めて自分の顔を恨めしく思った。
確かにロイスは双子の姉であるアレイシアと共に【双子の名花】と呼ばれていた。
双子でありながら容姿は似ていなかったが絶世の美女と評される美貌なのは変わらず、通っていた寄宿学校で男子生徒たちがアレイシア派とロイス派の二大派閥まで形成していたほどだった。アレイシアが物静かで知的な雰囲気を持つ儚げな容姿をしていたのに対してロイスは明るく元気な健康美に溢れた容姿だった。
ロイスは皆が讃え、ちやほやする自分の美貌が誇りだったし、その美しさは神と親が与えてくれた祝福だと信じて疑わなかった。
それが今は敵に正体を暴かれ、身柄を狙われる原因になっている。
「こいつ、どれだけの賞金首だろうな?」
「いやいや、引き渡す前に……なあ?」
「だな。破門された国の女でも名花は名花だしなあ」
ロイスとイリアを取り囲む敵の魔導騎士たちは下卑た笑みを浮かべている。手柄首として引き渡す前にロイスの肢体を貪るつもりのようだ。
「破門だと?どういうことだ⁉︎」
ロイスは時間を稼ぐために気になったことを問うた。
「知らねえのか箱入り娘サン。お前らの国の貴族方は教皇聖下に破門されたんだよ。お前らの国がやったことは神聖皇国への叛逆だ」
「我らカルシデア王国は神聖皇国から叛逆者を罰する聖戦を信託された。正義は我らにある!」
「つまり、お前らはもうあらゆる国際法に保護されないってことさ」
騎士たちは蔑んだ表情で答えた。
(そうか。もう私は異教徒と変わりないってことか)
ロイスは目眩がするほどの絶望的な気分に襲われた。この世界で異教徒、つまりカストル教以外の「邪教」の信徒は迫害の対象となる。カストル教から破門された者も同じ運命である。
(だがどうしてだ?私が…王国が何をしたんだ?)
ロイスはカストル教の信者だった。食事の時の祈りは欠かさなかったし、週末には教会に行った。なのにいきなり国ぐるみで破門を宣告されている。
だが考えたところで答えが出るとは思えなかった。ならば取るべき行動はただひとつ。
「イリア。戦おう」
ロイスは手刀に魔導刃を纏わせて囁いた。
「…はい!お嬢様!」
イリアも2人で切り抜けるしかないと悟ったようだ。
「私は屈しない!」
ロイスは周りを囲む敵騎士に宣戦布告した。
(そうだ。わけもわからない理由で殺されてたまるか!生きて絶対に真実を見つけてやる!)