第8話 新たなる愛
「お、やっと帰ってきたニャ」
「……誰だあんた」
梶野の家を出て、我が家に着くと、扉の前に見たことの無い女の子が居座っていた。
そしてこの少女、何とも不思議な格好をしている。頭には猫耳。そして腰には黒くて長い尻尾も付いている。更には首輪も付けている。で、特筆すべきなのが…この少女、服を着ていないのである。即ち、素っ裸だ。つまり色々と大事な部分が丸見えになっているわけで…こうやって冷静に実況してでもいないとどうにかなってしまいそうだ。
「って、蓮くん!何ずっと見てんの!」
「あ、いや違うんだこれは…」
「いいから蓮くんはどっか行っといて!私が服着せとくから!」
そう言うやいなや、夢香は自分の家に駆け込んでいった。流石にボクも素っ裸の少女をずっと見ていると頭がフットーしそうなので少女に背を向ける。負けるな……ボクの理性よ。
「ねえねえ蓮くん」
後ろから少女の声がする。ボクを蓮くんと呼ぶのは夢香だけのはずだが…恐らく夢香を真似たのだろう。
「ほんとにアタシの事覚えてないの?」
「覚えてないな、少なくとも人の家の前で平気で全裸になる奴と知り合いになった覚えは無い」
「全裸…そういえば人間には服を着るって習慣があったっけ」
「人間にはって、まるで人間じゃないみたいな言い方だな」
返事は無かった。代わりに生暖かい息が首筋にかかったかと思えば、体に腕が回され、何か柔らかいものがボクの背中に二つあたる。
「そうだよ…アタシは人間じゃない。だからこーゆー事やっても許されるのニャ」
「……まさか、あんた」
「ちょーっと!何してんの!」
叫び声の方を見やると、そこには服を抱えてきた夢香がいた。こんなおっかない顔の夢香は見たことが無い…これが修羅場というヤツなのか。ボクには無縁なイベントだと思っていたのだが…。
目覚める。いつの間にかボクは地面に突っ伏すような体勢になっていた。気を失っていたのだろうか……。大体理由は察せるが。
ズキズキ痛む頭を押さえながら立ち上がると、そこには夢香と夢香がよく着ている私服に身を包んだ女の子がいた。
「……『クロ』さんよ、どうしてそんな姿になったんだ?」
「ふ~ん、やっぱ気付いてたんだね」
「まあな、その首輪がクロのと同じだったからな」
「な、何?何の話してるの?」
戸惑う夢香。当然だ、ボクだってまだ信じ切れていないんだ。きっと夢香はボクがこの少女に浮気したと思い込んでいるに違いない…。
「それについてはアタシから説明するニャ!」
やけに得意げに胸を張りながら言うクロだった少女。しかし、これは下着を付けていないのだろうか。まあ、夢香とは胸の大きさが違うし当然か。なんて事を考えているうちにクロの話は始まっていた。
「蓮くんが言う通り、アタシは君たちに助けられた黒猫。えーと、確か今日の正午ぐらいだったかニャ。突然、眩しい光に包まれたかと思ったらこんな身体になってたんだニャ」
「正午あたり…もしかすると…」
確か教室で梶野に呼ばれた時、突然視界が歪んだ。あれは正午頃だったはずだ。あの視界の歪み…確か以前にもあったような気がするが…やはり気のせいだろうか。
「あの時の視界の歪み…」
「…蓮くん、タイムリープの事を私に教えてくれた時も視界が歪んだ~って言ってなかった?」
タイムリープの事を教えたというのは…きっと前の世界でのボクだろう。だとしたら、その視界の歪みは…。
「もしかすると…クロが人間になったのは神による能力って事か?」
前に視界の歪みを感じたのはきっとクロノスが降臨した時だろう。だとすれば、またボクに神が降臨した事になる。
「神?能力?何の事ニャ?」
「どうやら強い愛を持つ二人の間には神が降臨して、そのうちの一人が特殊な能力を持てるようにんるらしいんだ。で、クロが人間になったのがその能力によるものだと思うんだけど…」
「にゃるほど、強い愛ねぇ…」
「あー、やっぱり浮気なんだ!」
「落ち着けって…梶野と黒川さんみたいな単純な恋愛以外の愛というものもあるんだ。ペットと人間の間にも愛情は芽生えるだろう?そういう事だ」
「うーん…確かにそうだけど…」
「アタシはペットとか関係なく蓮くんのこと好きだけどニャ~」
「なっ!」
夢香はクロを鋭く睨むが、クロの方はと言うと全く動じずにへらへら笑っている。クロのやつ、もしかしてボクらを振り回して遊んでるな?まあそういう所は猫らしいが…。
「でもやっぱり神サマに頼んだら望みって叶っちゃうんだね~」
「クロは人間になる事を望んでいたのか?」
「もちろんニャ。蓮くんに命を救われた時から好きだったけど、猫のままだったら伝わらないし…それに猫アレルギーだからって避けられるし…だから人間になりたいって思ってたんだ」
「そうだったのか…言葉が普通に喋れるのも、神のおかげなのか?」
「違うニャ。アタシが前の飼い主さんの家で聞こえてきた言葉を覚えてたから喋れるってワケニャ」
「その変な語尾は何なの?」
「変って言うニャ!夢香!」
「な、何馴れ馴れしく下の名前で呼んでるワケ!?」
「だって上の名前知らないモン」
何だかこの二人、完全に恋敵みたいになってしまったな。ボクは夢香一筋だが…まあ賑やかなのは悪い事じゃあない。
「この語尾は前の飼い主がやってたゲームに出てきた女の子の真似ニャ。これが萌えるって言うから」
「あ、そういう系の人だったのね…」
「ところで、その前の飼い主はどうしたんだ?」
ボクが尋ねると、さっきまで元気そうだったクロの顔が急に曇った。きっと思い出したくなかったんだろう。
「……最初は優しかったんだけど……ある日、急にエサをくれなくなったり暴力を振るったりしてきて……三日も経つと限界だった。アタシは家を飛び出して……そこからも雨に打たれたり見知らぬ人に嫌がらせを受けたりして……で、もういっそのこと死んでしまおうって思って、トラックの前に……」
「そう、だったんだな」
「でも、助けられた時は嬉しかったニャ。やっとアタシを救ってくれる人に出会えたから…」
クロは心の底から嬉しそうな表情をした。あまり実感は湧いてなかったが、確かにボクらは一つの命をあの時救えたのだ。たとえ猫だろうが、人と同じように意思を持っている。同じ命に違いなかったのだ。
「ってことで、今日からアタシは蓮くんの家に住まわせてもらうことにするニャ!」
「はあ!?どうしてそうなるのクロ!」
「あ、後。そのクロって名前やめてほしいニャ…。今はもう立派な人間なんだから人間らしい名前を付けてほしいニャ」
「まあ…それは確かにな…」
正直、人間の女の子をクロと呼ぶのには少々違和感がある。名前を考えてみるのもいいかもしれない。
「あ、名字はモチロン蓮くんと同じでお願いするニャ」
「だからダメだって!あなたは私の家だって!だから名字は『咲花』ね」
「へ~夢香の名字は咲花って言うんだ~ま、響きは悪くないからそれでいいニャ。で、名前は名前は?」
「名前な…女の子の名前か…夢香、何かいいの無いか?」
「え、私?うーん、そうだな……。あっ、黒美とかどう?」
「黒美か…いいんじゃないか?」
「……いいんじゃないかニャ?夢香に決められたのは納得いかないけど」
「な、なんだとー!」
こうして、クロの名前は黒美になることが決まった。黒美も満更でも無さそうである。
結局、黒美は嫌々ながらも夢香の家に住む事になった。夢香の両親に説明するのも面倒なので、普段は黒美には能力を解除して猫の状態で過ごしてもらうことにした。本人はやや不満そうだったが…。
「今日も…夢香さんと仲良さそうにしてたね」
家に帰ると、ボクの妹の加蓮が呟く。こいつはいつもそうだ。普段はやたらと甘えてくるが、ボクが夢香と仲良くしていると途端に冷たくなる。普通にしていれば可愛いのだが…正直ちょっと面倒だ。
ボクの両親は共働きで二人とも帰りが遅いので、加蓮と協力して料理等の家事を行っている。まあ、料理に関してはほとんど加蓮に任せているのだが。
食事の用意ができ、二人で食卓を囲む。今日の献立のメインはハンバーグ。加蓮はまだ中学一年生だが料理がとてもうまい。見栄えも味も正直母の作る飯より良かったりする。
「今日の夢香さん以外にも女の子いたよね、あれ誰」
加蓮はハンバーグを箸でつつきながら小さな声で尋ねてくる。
「ああ…あれは…えーっと、ボクの知り合いだ」
「ふーん、初めて聞く声だったけど」
どうやらドア越しに盗み聞ぎしていたらしい。まあいつもの事なのだが。
空気が重い…。ボクは追及から逃れる為に一気にハンバーグを口に詰め込んで水で流し「ごちそうさま」と一言言って二階の自分の部屋に逃げた。折角のハンバーグの味も分からなかった。
ベッドに寝転がる。しかし今日は色々あったな…。梶野の話、黒美の能力…。よくよく考えれば、立て続けに色々起こったせいで頭が麻痺していたが、どれも普通で起こりえない事だ。猫が人間になるなんて…ファンタジーじゃあるまいし…思わずフッと笑ってしまった。ボクは普通に夢香と幸せに過ごしていきたいだけなんだけどな。
「タイムリープ、か」
そもそもボクはそのタイムリープを体験していない。いや、正確に言うとこの世界のボクは、だ。ボクはその記憶をすっかり忘れて、夢香だけに過去の記憶を背負わせる。黒美の事も、ボクは彼女が轢かれて死んだ事なんて覚えていないが、夢香は確かに彼女自身の目で見ているのだ。こんなのって…。
突然、スマホから着信音が鳴った。開くと、そこには夢香の部屋でパジャマ姿で写っている夢香と黒美だった。部屋の中なら黒美も人間状態になれるのだろう。しかし…さっきまであんなに嚙みつき合っていたのに随分仲良さそうだ。ボクは夢香の悩みなど無さそうな晴れやかな表情を見ていると、途端に安心して…そのまま眠りに落ちた。
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「新たなる愛に目覚めたようだな、高崎蓮馬よ」
目覚めると、そこは例の白い部屋で、目の前では老人が椅子に腰かけていた。確かここはエリュシオンと言ったっけか。
「今、お前には複数の神が宿っている。時の流れを操る神『クロノス』、そして変化の力を持つ『プシュケー』だ」
「プシュケー……」
「お前のように二つの神の力を持つような者は初めてだ。これは面白いことだ…」
老人はボクを鋭い視線で見つめ続ける。居心地が悪くなって、思わず目を逸らしてしまう。
「お前は他の『愛の使徒』とは違う特別なモノを感じる…。もしかすると、世界に変革をもたらすのは高崎蓮馬、お前なのやもしれぬ」
「…だから何なんだよ、その世界の変革ってのは…」
「今はまだ知らなくてよい。私は出来る限りお主らの平穏な生活を乱したくは無いのだ…。いずれ困難に衝突した時に、私から伝えよう」
老人が言い終えると、急に目の前が揺れ始めた。そして、再びボクは現実へと戻る。