第5話 幸か不幸か part1
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「どうやら早速クロノスの力で救済を果たしたようだな」
目が覚めると、ボクは白い部屋の中で横たわっていて、老人の声が聞こえた。
さっきまで部屋の中で、夢香が送ってきた風呂場で黒猫を洗っている最中の自撮り写真を眺めながらニヤニヤしていたはずなのだが…。いつの間にか寝落ちしていたのだろうか。
「ここはどこだ…?」
「…そうか、今のお前にはこの世界での記憶は無いのだったな」
そう言うと、老人はボクがタイムリープ前にこの世界に来ていた事、『愛の使徒』として神であるクロノスの力を得ている事などを説明した。
「…そういう訳でタイムリープを使えったって事か…」
到底現実味の無い話だがボクは無理矢理自分に納得させた。正直言ってタイムリープの話自体さっきまで半信半疑だったのだが、どうやら信じるしかなさそうだ。まあ、これがそもそも夢って可能性もあるけれど。
「あら、新しいお客様かしら?」
今度は聞き覚えの無い声だ。声の方を向くと、そこにはメイド服を着こなしている綺麗な女の人がいた。メイド服なんてコスプレでしか見たこと無いのだが、この人のそれはとてもコスプレって感じはしない。
「あなたは…?」
ボクが尋ねるとメイドの女の人はこちらを真っ直ぐ見つめてきた。キリッとした顔が急に温和な表情になり、綺麗な声で話し始めた。
「私、梶野家のメイドを勤めております、黒川と申します。同じ『能力』を持つ者同士、宜しくお願いします」
「同じ能力というと…もしかしてあなたも?」
「はい、『愛の使徒』として『エリュシオン』に導かれたのです」
「エリュシオン…?」
聞き覚えの無い単語が出てきた。しかし、ボクら以外にも『愛の使徒』として能力を得た人がいたとは。もしかしたらこの世界に何人も能力を持つ人がいるのだろうか。
「そういえばお前には説明していなかったか…。この部屋を私は『エリュシオン』と呼んでいるのだ」
エリュシオンというと確か死後の楽園の事だったような。だが楽園と呼ぶにはこの部屋は少し殺風景すぎる気がする。
「ところで…黒川さんも能力を持つ者ってことは、他にも能力者は何人もいるのか?」
「強き愛を持つ者なら誰にでも神を宿す素質はある。だが、強き愛を持つ者はこの世界にそうはいない。世界の破滅を止めるには強き愛が不可欠であるというのに…」
老人は悲観したような声で呟く。世界の破滅…前からずっと聞いているが一体どういう事なのだろうか。いや、ボクは一回世界の破滅を体験している。過去に戻る時に、全てが消し飛んでいく光景…。とても現実に起こった事とは思えない。あれは老人の言う世界の破滅とは違うのだろうか?
「…さて、そろそろ時間か。破滅は音を立てて近づいている。心しておけ」
老人がその言葉を言い終えると同時に、辺りが猛烈に眩しい光に包まれていった。
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そして、気が付くとボクは自室のベッドの上に寝転んでいた。電気付けっぱなしで手にスマホを掴んでいるあたり、やはり寝落ちしていたらしい。時計を見ると短針は6を指していた。
今日は月曜だ。そろそろ登校する時間だな、とボクは少しばかり重たい体を起こした。夢の中で色々聞いたせいで全然疲れが取れていない。結局あれは何だったのだろうか…。
「おはよっ!」
「うん、おはよう」
ボクの朝は夢香との挨拶から始まる。基本的には、ボクが先に家から出て夢香の家の玄関で彼女が出てくるまで待機する。そして、夢香が支度を終えて家から出てきたら出発だ。学校まではそう遠くないので、自転車の方が楽ではあるのだが、夢香との会話を楽しむ為に徒歩にしている。
「それでさ、クロ、シャワーの時とかすごい暴れて…全然私の所にも来てくれなくて、懐いてくれないんだ」
「まあしょうがないって、まだ一日目だろ?ずっと一緒に過ごしてればいつかは懐くはずだよ」
「そうかな~?なんか嫌われてるような気がするんだけど…」
「よっ、蓮馬!」
突然誰かがボクに肩を組んできた。誰か、と言ってもこの声と行動で誰かは分かるのだが。
「ああ、おはよう悠斗」
「夢香もおはよう!」
「うん、おはよう悠くん」
清原悠斗はボクのクラスメイト…というか幼馴染だ。夢香と同じで幼稚園から高校までずっと同じ。そしてこの三人は何かと同じクラスになるので仲が良いことで少し有名だ。ボクと夢香が付き合い始めた後も、こいつは距離感を変えずに接してくれた。馬鹿でお調子者だが、一緒にいて心地良い。間違いなく親友と呼べる奴さ。
3人でいつものように他愛の無い話で盛り上がっている間に学校に着いた。ここは私立古神高校。校名の由来は古神市にあるから、という至極単純な理由だ。古神市には古くから神の遺跡が隠されているという言い伝えがあるが、別に神の遺跡なんてものは見つかっていない。ただの噂が市名になったってわけだ。
この学校は流石私立というだけあって、なかなかに敷地が広い。グラウンドは沢山の部活動が存分に活動できるようにとやたら広く、それとは別に学校とは思えないでっかい公園がある。その他にもメニューの豊富な食堂だったりと施設も充実している。その分、学費と学力は少々お高く、ボクらと同じ高校に行くために受験直前だけ猛勉強して無理やり入学した悠斗は結構苦労しているようだ。
クラスに入る。まだ進級したばかりというだけあって、ややぎこちない空気がボクらを迎える。二年生なので特定のグループはもう決まっているようだが、クラス全体ではちっともまとまっていない。ボクは別に人と積極的に交わろうとは思わないのだが、アクティブな夢香と悠斗は積極的に色んな人に話しかけて交友関係を広めている。で、悠斗繋がりで話すようになった奴もいる。
「おーい、静かにしろー、授業始めるぞ」
チャイムと同時に引き戸をゆっくり開けて入ってきたのはボクらのクラスである2-6の担任で数学担当の浅田だ。いっつも微妙にボサボサの頭で、眠たそうな眼をしており、気だるそうな印象を受ける。一時間目からこの調子なのでこっちまで眠くなる。まあ別に浅田は誰かが寝ていても一切注意しないのだが…。実際、悠斗はいつも寝ているが何も言われていない(成績はバッチリ引かれている)。
そんなこんなで昼飯の時間だ。昼は夢香と二人で公園で弁当を食べる日と、男友達らと教室か食堂で適当に駄弁りながら食べる日があるのだが、夢香とは昨日デートしたばかりなので今日は教室で悠斗と悠斗繋がりで話すようになった島田と弁当を食べる事になった。島田は悠斗と違って大人しめなので少し悠斗に気圧されているようだ。
「それでさ蓮馬、お前夢香とどんぐらい進んでんの?」
「どんぐらいって…まあ正直ずっと変わってないかな…」
「確か高崎と咲花って小六から付き合ってるんだっけ?すごいね、俺の知ってるカップルとか大体一年も待たずに別れてるよ」
島田は心底驚いたように言う。しかし、ボクは別にこの話をこいつにしてはいないのだが…。隠していないとはいえ、悠斗は少し口が軽すぎやしないだろうか。
「小六ってかずっとだぜこいつ、産まれた時からよ」
「まあ…家が近かったからな」
「そんだけずっと付き合ってるなら、やっぱさ…キスとかしてるの?」
「バッカお前、キスなんてもんじゃねーだろ。何年付き合ってると思ってんだよ、間違いなく…ヤッてるぜ」
「あのな…昼飯中に話す事かよそれ」
「へへ、わりぃわりぃ」
こいつらは一体何に期待しているんだろうか…。まあ思春期だしそういう事に関心を持つのは当然なんだろうけど。期待されてる所申し訳ないが、五年以上付き合っておいてボクはまだ童貞だ。当然それっぽい雰囲気にはなるが、いつもキスまでで終わってしまう。逆に付き合いすぎたせいなんだろう、タイミングを見失ってしまったのだ。ボクだってもっと夢香と愛し合いたい。ボクがそれを望めば夢香はきっと受け入れてくれる。でも、もし内心で拒絶していたら…?と思うと怖くてなかなか踏み出せない。
「おーい、高崎くーん」
色々考えまくってた時、突然名前を呼ばれて我に返る。どこかで聞いたことのある声だが、悠斗のでも島田のでもない。そもそもこいつらは高崎くん、なんて呼び方はしない。
ボクが扉らへんから聞こえてくる声の主の方を向くと、そこいたのは。
「あれって梶野か?」
悠斗がボクが思い出したのと同じ名前を呟く。梶野雅希。この学校じゃちょっとした有名人の美少年だ。しかし、ボクは彼とは一度も会話をした事が無い。
「高崎くん、ちょっと僕と来てくれるかな」 そんな彼がボクなんかに何の用だ…?ボクは心当たりを必死に探し…そして一つだけ思い出した。
エリュシオンで出会ったメイド服の女性…彼女は確か梶野家に勤めるメイドと言っていた。だとすると、彼がボクにある用事というのは…
「あ、おい蓮馬」
ボクは弁当を半分近く残したまま立ち上がる。その時、身体に妙な違和感を感じた。何だ…これ。視界が歪む。どこかでこの感触を味わったような気がするが…
「おーい」
梶野の呼ぶ声が聞こえる。とりあえず早く行くしかない。ボクは妙な違和感を感じながら梶野の元へ歩いていった。少しの不安を抱きながら…。