序章 夢
ボクは夢を見た。いや、正確には夢では無いのかもしれない。ここは紛れもなく現実の世界…証明できるものなど無いが、確かにここは現実だ。ならばボクは何故さっきここを夢であると定義した…?
「来たな、『愛の使徒』よ…」
それはきっと、目の前の光景があまりにも非現実的すぎたからであろう。
当然だ。ボクはさっきまで彼女と二人で公園のベンチに座ってクレープを食べながら楽しい時間を過ごしていたというのに、気付けば真っ白な壁に囲まれて出口も何も見当たらない部屋で、真っ白な長髪と真っ白な長い髭を生やし、鋭い目つきで、ボロボロの布を何枚も重ねて着ている怪しい老人と二人きりになっているからだ。
「恐らくお前は何故このような場所に連れて来られたか疑問に思っている事だろう。だが、今はそのような些細な事などどうでもよいことよ…世界が滅亡する危機なのだからな…」
老人は長く邪魔そうな髭を弄りながら淡々と告げる。
ボクの中で更に疑問が増えた。世界の滅亡?何を言っているんだ?ボクはさっきまで彼女と平和な時を過ごしていたんだ。世界の危機なんて微塵も感じないほどに平和な時間だ。まさか俺は所謂異世界転生ってヤツに巻き込まれてしまったのか?
「世界の滅亡への時は近い…いずれ世界は偽神の手によって暗黒に堕ち、終焉を迎えるだろう…それをお前は黙って見届けるのか…?」
冗談じゃない。俺にはまだやりたい事が大量に残ってるんだ。こんな時に世界が終わってたまるか。
「フフ…それでいい。その意思こそが重要なのだ。愛の使徒…高崎蓮馬よ…」
何でこの老人はボクの名前を知ってるんだ…なんて事が気にならない程にボクの頭は混乱していた。
とりあえず…俺は一番の疑問を口にした。
「愛の使徒って…何だ?」
「愛の使徒…様々な強い愛を持つ2人の事だ。強き愛を持つ2人の間には神が降臨する。そして、片方はこちらの世界に訪れることができ、もう片方は特別な能力が発現する。つまり、お前はこちらの世界に訪れることのできる方だ」
神…?能力…?ダメだ、話の次元がおかしくてついていけない。これはやはり、限りなく現実に近い夢なんじゃないのか?
「…お前は選ばれたのだよ。高崎蓮馬よ。その強き2人の愛の力が暗黒を穿ち世界を救う…私が見込んだのだ。間違いないだろう」
あまりにも突拍子の無い話を聞かされ続け、ボクの頭はパンク寸前になっていた。老人の言葉を何とか自分の頭の中で整理しようと試みる。
「つ、つまり…その能力とやらで世界を救えっていうのか…?んで…その能力ってのはこっちの世界に来れるボクじゃない方…夢香にあるってのか?」
「左様。お前のパートナー、咲花夢香には能力が発現している。神の力によってな…。ただその能力だけでは世界を救うのは困難であろう…。所詮は世界を救う鍵の欠片にすぎない。後はその欠片を集め、鍵と成すことが出来れば世界の扉は開かれる」
夢香に能力が…。そんな事が本当に…?いや、あってたまるか。あの平和な日常が壊されてたまるか。世界の滅亡とかボクの知ったとこじゃない。頼むから巻き込まないでくれ…。
俺は目を閉じ手で耳を塞ぎ、その場に蹲った。この非現実を遮断し、早く元の夢のような現実に戻るために。
「お前がそう思うのは勝手だ。だが、世界の均衡は確実に崩れ始めている。今は知ることが無いだろうが、いずれ嫌でも目にすることになる。世界の滅びをな…。私は能力を与え、助けを与えるだけの存在にすぎない。世界を救う事を強要するわけではない。選び取るのは、お前自身だ」
その瞬間、世界が歪み始めた。そしてボクは何度も聞いたことのある声によって夢から醒めた。
「おーい、蓮くーん?大丈夫ー?」
目覚めたボクの目の前には夢香、ボクの彼女の眩しい笑顔があった。