厨房
エミリアに案内された先にあった厨房は、竜也からしても十分に厨房と言えるだろう構造をしていた。
一般的な認識としての厨房は、中央に野菜や魚、肉を下拵えする作業台がある。それに壁際にコンロが置いてあり、様々な調理器具が立てかけてある、というのが普通だろう。この船の厨房も一般的な認識とはほとんど外れておらず、中央に作業台と、壁際にコンロらしきものがある。一般的な厨房と異なるのは、冷蔵庫がなく様々な食材が壁に積まれていることか。
「それじゃ、説明するねー」
そう言いながら、エミリアが厨房の構造を説明する。包丁は作業台の下にあり、まな板も同様。鍋やフライパンは数こそ少ないものの、壁に掛けてある。
そして壁際の、コンロらしきもの。
「えっとねー。リューヤは魔術は使えるヒト?」
「……いや、使えない」
どうやらただのコンロではなく、魔術によって使うものらしい。ふーむ、と構造を見てみるも、本来コンロのスイッチがある位置に、奇妙な紅の宝石がはめ込まれている以外、特に業務用のガスコンロと変わらないように思える。
「この火台はね、魔術道具の火石を使ってるんだよね。火石って知ってる?」
「いや、知らない」
「火石はねー、火の精霊を精霊石に封じたものなのね。で、火石に魔力を通すことで、火石から火が出るの」
全く理解できない。
まぁ、ガスも電気も使わずに火が出るトンデモ道具と思っておけばいいか――と竜也は理解を放棄することにした。
「魔力というのはどうやって通すんだ?」
「えっとねー、その火石に手をかざしてみて」
エミリアに言われるまま、火石という名前らしい紅の宝石へと手をかざす。
どこか暖かい感覚が、掌を炙るように充満してゆく。まるで何か奇妙な力のようなものが、竜也の体から火石に移ってゆくような――。
「あり? すごいねー。もう魔力通してるんだ?」
「……いや、言われたとおり、手をかざしただけだが」
「ふーん……まぁ、魔力通っちゃってるし、じゃ、次ねー。火ぃ出ろー、火ぃ出ろー、って念じてみて」
「……そんなことでいいのか?」
どうやら竜也の考えている以上に、割と適当なシステムらしい。
ふーむ、と半信半疑ながら、掌に力を込める。
火ぃ出ろー。火ぃ出ろー。馬鹿らしくなりそうに思えながら、そう念じると。
「っ!?」
ごうっ、と激しい勢いで、コンロから火が噴出した。
業務用のガスコンロにも劣らない勢いの火力に、思わず後ずさる。それと同時に、火石にかざしていた手を離したけれど、しかし火は止まらなかった。
「へー。実は魔力高いっぽい?」
「ど、どうすれば止まるんだ?」
「んー? 火石に手ぇかざしてー、火ぃ止まれー、火ぃ止まれー、って念じればいいよー」
言われた通り、火石に手をかざす。
火ぃ止まれー。火ぃ止まれー。それと共に、激しい炎は火花の残滓と共に消え去る。
「……火力の調整は?」
「ちょーせい?」
「ええと……火が強過ぎるから、もっと弱くしたい」
「火ぃ弱くなれー、火ぃ弱くなれー、って念じればいいよー」
なんて適当なんだ――そう頭を抱えたくなるけれど、ひとまずコンロの使い方は理解した。
次は、食材だ。竜也はコンロから離れて、壁に積んである食材の群れを見る。
まず端に置かれている木箱の中にあるのは、恐らく燻製肉だろう。全体的に燻した様子の、多分豚肉だろう塊が入っている。その隣にあるのは、同じく塩漬けと思われる肉だ。ぺろりと指先で舐めてみると、強い塩の味が舌を打った。
さらにその隣には、野菜が大量に積まれている。見る限りでもジャガ芋、ナス、ニンジン、キャベツ、大根、ゴボウ、白菜、長ネギ、ニンニク、生姜、大豆といった様々な野菜、それにジャガ芋ではない、見たこともない芋が数種類、また同じく、見たこともない葉野菜が数種類ある。更にその隣にはキノコが数種類あるが、椎茸やシメジといった竜也のよく知るキノコではなく、全体的に不揃いで様々な種類があった。
その隣には、大きな樽に入っている乳だ。舐めてみると、竜也の知る牛乳よりもやや癖が強い。恐らくヤギのミルクだろう。もしくは、異世界ならではのトンデモ生物の乳かもしれない。
さらに、木箱の中にバターが大量に入っているのを見る。さらに皮袋の中には塩が大量に入っていた。恐らく調味料として主となるのが塩なのだろう。さらにその横には、様々な酒類があった。赤ワインと白ワインだろう瓶が数本ずつと、大樽に入っているのは不純物の混じった麦酒と思われる。
全体的に見て、調味料は塩のみ。強いて言えばバター、ワインがあるのみだ。
自身の頭の中にあるレシピを、検索する。
砂糖も、醤油も、酢も、味噌も、胡椒も、料理酒も、味醂も、オイスターソースも、ケチャップも、マヨネーズも、マスタードも、クミンも、コリアンダーも、ターメリックも、サフランも、シナモンも、何一つ使わずに作れる料理。
必死に探す。鶏卵らしきものはあるため、卵料理は作れる。肉料理は生肉ではなく燻製肉、もしくは塩漬けから作らねばならない。野菜を主として作るにあたっても、やはり味付けとして調味料は欲しい。
油らしいものは見当たらないため、揚げ物は難しい。野菜も新鮮なものは少なく、ややしなびているものが多いため、生野菜サラダも難しいだろう。ならば、バターを使っての焼き物しか選択肢はない。
「リューヤ、どしたのー?」
考え込んで動かない竜也に、エミリアがそう声をかけてくる。しかし竜也は真剣に、目を閉じて己のレシピを探し続けた。
そしてようやく――竜也は目を開く。
「……エミリア、ありがとう」
「へ? いや、アタシ何もしてな」
「見ていてくれ。それから、試食を頼みたい」
確か、十五のときに賄いで作ったことがあるだけの料理。
その日、ジャガ芋が多く余り、どうにかして処理しなければいけない、と思ったときに作ったものだ。
浅倉屋洋食店の厨房には、醤油も胡椒も何もかもあった。その中で作った品だ。
だから、塩だけで味付けをするということに、若干の恐怖はある。
そして何より――先程まで興奮していたために分からなかったけれど、この世界の人間の味覚が、竜也と同じだとは限らない。もしかすると、竜也が不味いと思うものがこの世界の美食であり、竜也の美味いと思うものはこの世界の生ゴミかもしれないのだ。
そのためにも、エミリアに試食をしてもらう必要がある。
「さて――」
作業台の下から包丁とまな板を取り出し、作業台へ置く。
ふーっ、と大きく息を吐いて。
目を閉じ、精神を集中して、それからゆっくりと開く。
「調理、開始だ――!」
食材の山から、必要なだけの食材を取り出し、竜也は気合を入れた。