顔合わせ
「……大まかにはこんなとこだな。ひとまず、ここがリューヤの部屋になる。非番のときはここで休め」
海賊船に乗船したのち、ジェイクの号令と共に海賊船――ヴォイド号は出発した。
その後船内の設備などを色々とジェイク自ら案内してくれて、共用の食堂やトイレ、また非番のときの娯楽室といった場所にそれぞれ赴いてのち、生活スペースの一室でジェイクに促される。全く実感はないけれど、乗船してしかも出発してしまったのだから逃げ場などない。
ジェイクから部屋の鍵を預かり、中を見る。少し埃っぽいけれど、ベッドと小さな棚以外に特に家具らしいものの見当たらない、質素な部屋だった。
「荷物は……特にねぇよな? 一応、生活に必要なものなんかは支給してる。暇なら娯楽室か図書室でも行くといいだろ。図書室は一回三冊までだから気をつけな」
「……はぁ」
どうしても流されて乗船した身としては、そんなやる気のない返事しか返せない。
しかしジェイクは特に追求するでもなく、身振りだけで「ついてこい」と竜也を促した。
波のためか、やや揺れのある廊下をジェイクについて歩く。
一体ここでどんな仕事をさせられるのか――それを思うと、竜也の心は晴れない。生まれてこの方、浅倉屋洋食店以外で働いたことなどないし、ぶっちゃけると船なんてフェリーくらいしか乗ったことがなく、帆船に乗ったのも生まれて初めてなのだ。船の仕事というのが特に何をするのか、全く分からない。
そんな風に鬱々とした気持ちで歩いていると、不意にジェイクが止まる。
そして、目の前にあったのはこれまでの部屋よりも、やや扉が豪華な部屋。竜也の感想としては、学校にある校長室みたいだ、という印象である。そうでなければ、会社の社長室とか。
「ここが船長室だ」
「……はぁ」
なんとか長室は基本的に扉を豪華にするものなのだろうか――そんな益体もないことを考えながら、ジェイクが扉を開くと共について歩く。
中にあるのは、執務をするのであろう装飾のある机と、革張りのソファが一対。壁にかけてあるのは、地図だろう。山形帽子を被った頭蓋骨に二本の剣が交差しているような装飾品があるかと思ったけれど、そういう悪趣味なものは置いていないらしい。
代わりに、中にいたのは二人の女性だった。
「……ん。来た」
右手のソファに座り、口元でカップを傾けながらそう呟く痩身の少女。
「にひひっ。その子が新しい子ー?」
左手のソファに座り、愛嬌のある笑顔を浮かべている長身の女性。
今までの船内見学で出会っていない、新しい相手だった。
「ああ。紹介するぜ。リューヤ、こっちはエミリア。ヴォイド号の戦闘員で、そん中でも腕はピカ一だ」
ジェイクが示すのは、立ち上がった長身の女性。
先程まで座っていたから分からなかったけれど、立つと竜也とあまり変わらない身長なのが分かる。やや竜也の方が高い――といいな、くらいに高い。顔立ちは整っており、目鼻立ちは美人のそれだが、やや吊りあがった切れ長の眼差しはどこかネコ科の肉食獣を思い浮かべさせる。
それだけならただの美人で済むのだが、やや胸に偏りがちな体つきをしており、かつ下半身は膝丈のパンツに上半身は胸部を覆う布一枚――水着のような面積の狭いものであり、目のやり場に困る。
ともすれば胸元にいきそうな目を、泳がせることに必死だった。
そんな少女は、竜也の右手を引っ張り、無理やりなシェイクハンドを交わす。
「にひひっ、よろしくー。アタシはエミリア。せんちょーの言う通り、ここの戦闘員やってるよー。ちなみにリューヤは奴隷でしょ? アタシも元奴隷なのねー」
「えっと、リューヤ・アサクラです。って、元奴隷?」
「うん。あれ? せんちょー、説明まだやってないの?」
「ああ、まだだ」
おほん、とジェイクが咳払いをする。そして竜也に向き直り、右手で女性――エミリアを示した。
「あー、リューヤ。説明が遅れたが、俺ぁ奴隷ってのが嫌いでな。だから、基本的に乗組員は全員俺の家族だと思ってる」
「そだよー。あたしの弟みたいなもんだね!」
「エミリア、ちっと黙ってろ。でもな、一応俺はリューヤ、手前を五万アルで購入した。だからリューヤは今んとこ、ヴォイド号に対して五万アルの借金を抱えていると思ってくれ」
「……はぁ」
知らないうちにつけられた値段を言われても、全く実感がない。
もっとも、竜也には五万アルというのがどれほどの金額か全く理解できていないのだが。何せ通貨が全く異なり、かつ値段の比較対象が他になかったのだから。
「だからリューヤの扱いは、現在のところ借金を抱えている状態として扱う。基本的には航海の中で、儲けがあればそれは半分をヴォイド号の資産として、もう半分を全員で山分けする、という形をとっているからな。その稼ぎをヴォイド号に返済してもらう」
「……山分け、ですか?」
「ああ。人の物は俺の物、俺の物は家族の物だ。もっとも、絵画や宝石といった分けられないものに関しては、基本的にヴォイド号の資産になるがな。陸に上がってから換金して、良い値がつけば山分けする場合もあるが」
どこかのガキ大将みたいなことを言い出したけれど、似たようで根本的に違う。
他人の物を奪い取ることには、何の躊躇いもない。その代わり、奪い取ったものは独占せずに乗組員で分ける――なるほど、これが海賊としての秩序か、と少し竜也は納得した。
「だが、中には山分けの対象にならない場合もある。例えば敵の海賊に襲われたとして、全く戦いもせずに逃げ出して奥で震えていた場合なんかは、その海賊からお宝をせしめても山分けはしねぇ。その代わり、勇敢に戦いさえすれば首を全くとれなくても褒賞は出してやるよ。敵船長の首をとった場合なんかは、山分けの内容に色をつけることもあるな」
ふむふむ、と聞いた内容を、竜也は頭の中で整理する。
基本的には信賞必罰、ということか。しかし王とその配下のように完全に上下関係というわけではなく、家族のような横の繋がりが強いのだろう。
さらに、『勇敢に戦いさえすれば敵を倒せなくてもいい』という内容は、結果よりも過程を大事にしているからだろう。
とにかく分かりやすく言うと、真面目にちゃんとやっていればお金は分けてくれる。そのお金はちゃんと船に返せ、ということだろう。
「……で、リューヤがヴォイド号に対して五万アルを返済すれば、晴れて奴隷から解放だ。そのときは、ヴォイド号に残るのも陸で平民として暮らすのもどちらでも構わねぇ。実際に仲間で数人、平民として暮らすことを選んだ奴もいる」
「そうなんですか?」
思わず、竜也はそう返す。
五万アルという金額がどれほどかはいまいち分からないが、人間一人を売り買いできる値段なのだから、それほど安いものではあるまい。だというのに、それを船の稼ぎによる山分けで返済すれば自由の身にしてくれる――それは、全くジェイク側に利益のないことではないのだろうか。
しかし、ジェイクは大きく頷いた。
「さっきも言ったように、俺は乗組員は全員家族だと思ってる。だからこそ、家族を奴隷として辱めたくはねぇ。さらに、家族の幸せが海でなく陸にあるというなら、それを応援してやるのが家族としての務めだと思う。まぁ、大半は陸に戻らずに船に残ってくれるけどな――そこのエミリアとか」
「ま、そーゆーことねー」
にひひっ、とエミリアが笑う。
「多分、奴隷として買われたからすっごい重労働とかさせられるー、とか思ってるかもしんないけど、そんなこと全然ないから安心してねー。敵船と会ったら命懸けだけど、基本的には安全だしそんなにキツくないからさ。アタシも四万アル返したの二年前くらいだけど、それからずーっとヴォイド号乗ってるし。いやー、居心地いいのよココ」
「……はぁ、そうですか」
「あり? なんか冷たい反応ねー。まぁリューヤもさ、借金返し終わっても一緒にヴォイド号乗ろーねー」
いぇいっ、と何故かハイタッチを交わしてから背を向け、ソファに座るエミリア。色々不思議な女の子だな――というのが竜也の正直な感想だった。
うおっほん、と大きくジェイクが咳払いをする。
「で、そこのちびっこいのがフィリーネだ。ヴォイド号の副船長だな」
「……ちびじゃない」
ジェイクの言葉に、少女がソファに座ったまま、顔を上げる。
長身かつスタイルの良いエミリアと比べて、随分発育不良に思える少女だ。顔立ちは可愛らしい少女のそれで、首から下をややだぶついたローブで覆っている。ローブから体の凹凸は全く確認することができず、身長自体も随分小さいと思われる。
しかし印象的なのは体つきもそうだが、まるで人形のような無表情だろう。全く感情を見せていない顔で、じっと少女はリューヤを見る。
「……フィーは、フィリーネ。フィリーネ・クラウド」
それだけ呟くような小さな声で言い、ふいっ、と視線を外す。どうやら、少女――フィリーネにとって、自己紹介の時間は終わったらしい。
こらこら、とジェイクが間に入る。
「はぁ……。見ての通り無愛想でな、フィリーネは。つってもこう見えて、俺もエミリアもフィリーネも同い年なんだ。特にフィリーネは俺の幼馴染でな」
「え……同い年、なんですか?」
そんな……と思いながら、フィリーネを見る。エミリアを見る。フィリーネを見る。エミリアを見る。
ない。ある。ない。ある。
可哀想。豊満。可哀想。豊満。
「……死ぬ?」
「すいませんでした!」
フィリーネの無表情でありながら殺意のこもった視線に、思わず竜也は土下座した。