連れられた先
ジェイクがガイノスへ向けて五枚の貨幣を支払い、それと共に竜也はようやく檻から出ることができた。とはいえ、檻の中に入ってからまだ十数分しか経ていないため、特に自由に対して物申すほどでもない。せいぜい、紙幣ではなく貨幣がメイン通貨なのか、程度の感想を抱いただけだった。
そしてジェイクに連れられ、階段を昇り外へ。
(……マジかよ)
外に出てまず思ったのは、そんな一言だった。
店で卵がなくなった時間は、零時。夜であり、夜中と呼べる時間帯だ。当然ながら、太陽は完全に沈んで真っ暗になっている時間である。
だというのに、奴隷商の店の外では、見事なまでに燦々と太陽が輝いていた。
夜中二時までの営業とそれ以降の片付けで、常に家に帰る時間は夜中の三時以降になる過酷な仕事を行っている竜也は、特に眠気を感じているというわけではない。だけれど、これほどまでに完全な時間の違いを見せ付けられると、どうしてもへこむものがあった。
否――これがただ昼間だというだけだったら、竜也もまぁ時差があるしな、程度の認識で済んだのだ。
問題は。
中天に太陽が二つ輝いている、ということなわけで。
(……俺の知る限り、太陽ってのは一個しかないはずなんだけどな)
例え世界のどこから見ても、太陽が二個見えるという不思議現象はありえないだろう。そう考えれば、もう世界ごと異なるのは明白だった。
そんな現状に対して、小さく嘆息。
「悪ぃな」
竜也の嘆息が聞こえたのか、不意に隣からジェイクのそんな声。
別にジェイクに対して文句を言ったわけではないのだが、確かに奴隷商の店から出てきた奴隷である竜也が、店を出た瞬間に溜息をついたのだ。傍から見れば、これからの労働なんかに対して絶望している様子にも見えないことはないだろう。
「俺は必要ねぇって言ったんだが、あの主人は頑固でな。まぁ、俺らの拠点に到着するまでは我慢しろ。着いたら外してやるからよ」
「へ?」
そこでようやく、あー、と合点がいく。
竜也が檻を出ると共につけられた、チョーカーのような首輪。恐らく革でできているのであろうそれは、首元に確かな存在感がある。
確かガイノスが、「奴隷の証は必ず必要なのです!」とごり押しして竜也につけさせたものだ。
正直、竜也としてはチョーカーを見た瞬間、何これカッケー! と感想を抱いたために全く気にしていなかったのだが。
「いや、別にこのままでいいですけど?」
「……あん? 本気で言ってんのか? あー……常識が通じねぇのか。奴隷の首輪は隷属の証だ。あのな、分かりやすく教えてやるよ」
ジェイクはそう言って、竜也のチョーカーをぐっ、と握って顔を引き寄せる。
思わぬ力に、少しだけふらついた竜也の耳元で、ジェイクは小さく告げた。
「……それは、誰から見ても分かる『人間以下の証明』だ」
奴隷の証。
人間以下の証明。
なるほど――確かに竜也は金で売られた人間だ。そんな人間に何の特徴も用意していなければ、すぐにでも人混みに紛れることができるだろう。
「だから、少しだけ我慢しな。俺らの拠点に戻ったら外してやる」
「……了解です」
さすがに竜也も、少し格好いいと思ったとはいえ、周囲に対して人間以下の証明となりえる首輪をいつまでも付けていたいとは思えない。
ジェイクが歩き出すのに合わせて、竜也も歩き出す。
竜也には全く読めない文字で書かれた店の看板。見たこともないような野菜が並んでいる青果店。明らかに化け物チックな生き物を吊るして販売しているのは、肉屋か。さらにその向こうには、何故か足が四つある魚を並べている魚屋もあった。
わいわいと喧騒で賑わう、古き良き時代の商店街、といったところか。
都内で言うなら、アメ横あたりが近い雰囲気かもしれない。
ふーん、へー、と様々な感嘆詞を漏らしながら、並べられている商品を見つつジェイクの後ろをついて行く竜也。
「おい、リューヤ」
「え? あ、ああ、すみません。ちょっと見てました」
時折、後ろを振り返って竜也を確認するジェイクに、何度かそう呼び止められながら、商店街を抜ける。
人混み特有の蒸し暑さから、今度は風の吹く通りへ。
(潮風……港に行くのか?)
風が微かに孕んだ潮気を鋭敏に嗅いで、そう予測を立てる竜也。嗅覚と味覚だけは他人より優れている自覚がある。何せ料理人だから。
ようやく人が少なくなってきたからか、大きく溜息をついてジェイクは竜也の隣に並んだ。
「あー。いつ来てもここは人だらけで胸糞悪ぃ」
「そうみたいですね。人混み苦手なんですか?」
「……得意じゃねぇな。あまり陸には上がらねぇから、どうしてもああいう賑わいは苦手だ」
けっ、と吐き捨てるジェイク。
(……あまり陸には上がらない……ね)
「あの、ジェイクさん……」
「着いたぜ」
一体これからどこに行くんだ――そう聞こうとした瞬間に、ジェイクがそう先手を取る。
気付けば、潮の匂いが濃い。
そこはまさに――港だった。
ジェイクは港に停泊している帆船のうち一つ――周囲の大砲などついている軍艦に比べればやや小型だが、それでも十分に大きい帆船の前に立ち。
「これが俺らの船、『ヴォイド号』――海賊船だ」
誇らしそうに、そう告げるジェイク。
(……親父)
嬉しそうに、全体に使用した木材はヨーク材であるとか砲門は幾つあるとか、後ろのラティーンスルがどうこうとか船尾中央操舵方式だとかよく分からないことを語るジェイク。聞いている竜也は、完全に右から左へ流していた。
そんな船の情報よりも何よりも、竜也にとって放っておけない驚きの事実があったのだから。
(……俺、海賊になったみたいだよ)
異世界を訪れて、突然奴隷になって、買われた先は海賊船。
やばい、人生詰んだ――本気で竜也はそう思った。