新たな船出
ヒルデガルトが仲間になって、ヴォイド号の廃船式が行われた。
戦いの傷跡はあまりにも激しく、根幹から折れたマストや甲板に空いた穴など、修理が不可能な領域まで損傷していたためだ。
やむなく必要な物品についてヒルデガルトの船へと移し、ジェイク自身が船底に穴を空けてヴォイド号を沈めることにした。
ジェイクが言うには、マストに大きく描かれているヒルデガルトの海賊旗や船首の趣味の悪さなど、色々と改善点はあるらしいけれど。そのあたりは、イムルレリアの船工房に任せるとのことだ。
そんな新生ヴォイド号(仮)に乗って、三日目。
他の船には特に出会うこともなく、イムルレリアが肉眼で見える程度の位置まで来た。その間も新しい船の名前について、エミリアが「『つくし号』がいい!」、フィリーネが「……偉大なるフィリーネ様号」と意見を出したがジェイクに揃って殴られる、という平和的なトラブル以外は、特に何事もなく進んできている。
そして新たな船の名前は結局ヴォイド号に落ち着いた。
とはいえ、新しい船になったからといって竜也のやるべきことは特に変わらず、イムルレリアが肉眼で見える距離に達したものの、もうそろそろ昼食時であるため厨房で準備をしていた。
調理器具は旧ヴォイド号から一応持ってきていたけれど新生ヴォイド号の調理器具も品質はそこまで変わりなかった。唯一の違いがあるとすれば、寸胴鍋いっぱいに入った生ゴミスープが存在したことくらいだろう。もっとも、すぐに生ゴミスープはジェイクとヒルデガルトの手によって海に捨てられた。
そしていつも通り、新しい船のやや広い厨房で料理をしているわけだが。
「……あの?」
「ねー、リューヤ。何すればいー?」
「ああ、別に、邪魔したりはしないさ。気にしないでおくれ」
「……ん」
問題は、何故か厨房に入り浸るこの連中である。
エミリアは竜也の助手だ。そうジェイクから決められているし、いて当然の人間である。最近では野菜の皮むきも大分上達したため、下拵えはある程度任せることができるようになってきていた。
しかし。
竜也の包丁さばきや中華なべの振りを、「おー」「すごいねぇ」「へー」といちいち声を出しながら感心しているヒルデガルト。
何故か厨房に椅子とテーブルを持ち込み、紅茶を飲みつつ魔術書らしきものを読みながら寛いでいるフィリーネ。
この連中に関しては、何故いるのかすら全く分からない。
「あ、あの、ヒルデガルトさん?」
「あん?」
「ちょっと近いんですけど……」
竜也の肩に顎を乗せながら、じっと手元を見ているヒルデガルトに、そう注意を促す。何せ肩に顎を乗せているわけだから、どことは言わないが色々当たっているのだ。
そんな竜也の反応に、にやりとヒルデガルトは笑みを浮かべて。
「んー? 近いと何か困るのかい?」
「い、いや……その……」
「あと、アタイのことはヒルダって呼んでおくれよ。ヒルデガルトさんだなんて、他人行儀なのはやめとくれ」
「いや、それは……」
「アタイは、アタイの認めた奴にしかヒルダって呼ばさないんだよ。男に呼ばせるのは初めてなのさ。女に恥をかかせないでおくれ」
うっ、とそのヒルデガルトの言葉に、竜也は思わず詰まる。
ヒルデガルトにとって、呼び名はそれだけ大切なものなのだろう。それを竜也にだけ許してくれる、というのは嬉しい反面、こそばゆくもある。
そして、何より。
「……ヒルデガルト、リューヤが、迷惑」
半眼で、そう竜也と話しているヒルデガルトを、フィリーネが睨みつけている、という現状である。
「んー? 別に副船長には関係のないことじゃないかい?」
「……だめ。リューヤは、料理中」
「いいじゃないか。副船長こそ、出てったらどうだい? 航海士の仕事もせずに、厨房にいていいのかい?」
「……フィーは、いい」
そう言い合いながら睨み合う二人。
その間に挟まれながら、胃が痛くなってくる。どうして何もしていないのに、こんなストレスを感じなければならないのだろう。
半ば諦めの境地で、竜也はいつも通りに料理を作ることとする。
肩に乗ったヒルデガルトが激しく邪魔であるし、フィリーネの視線も気になるけれど、ひとまず料理を作りながら気にしないように努めればいいだろう。
もうすぐイムルレリアに到着することだし、フィリーネと共に石窯を作るにあたり、ヒルデガルトやエミリアに手伝ってもらうのもありかもしれない。ひとまずそう考えながら、隣でエミリアが皮むきを終えた野菜を手に取る。
もう二、三時間程度で、次の町に到着する。だが、もう昼食は近い時間帯だ。
だが、材料が残り少ない。
少し作りすぎたらしく、竜也の予定よりも食材が少ないのだ。
「エミリア、キュロートとベック、オレオをさっきと同じように切ってくれ。キュロートはちゃんと皮を剥いてな。それから、モタモをすり潰しておいてくれ」
「はーい」
エミリアに指示を飛ばしてから、中華なべにバターを入れる。できればもっと違う油が――できればサラダ油が――望ましいけれど、ないものねだりをしても仕方ない。少々味付けを洋風にすれば問題ないだろう。
本日のメニューは、野菜炒めだ。
油を引き、ある程度の大きさに切った野菜、肉を投入して味付けをすれば完了というお手軽料理である。竜也としてもあまりに手抜きすぎるために作りたくなかったのだが、残っている材料から考えて二十一人前の料理を作るにあたり、野菜炒め以外の選択肢が存在しなかったのである。
船という調理環境である以上、食材の保存も大切だが、それなりに計画を立てて食材を購入しなければならないか。サン・ユディーノの市場で購入したときには、とにかく様々な食材を持っていれば色々な料理が作れる、程度の認識でしかなかった。
そして何より、竜也自身のレシピの広さも求められる。浅倉屋洋食店のように、メニューが決まっているわけではない。メニューに使う材料がすぐに手に入るわけでもない。食材の保管庫を見て、残る材料を判断し、バランス良く食材を消費できるような形にしなければならないだろう。
まだまだ勉強だ――そう思いながら、中華なべを振る。
そして気付けば、止まっている二人の口論。
「おぉー……いい香りだねぇ」
「……ん」
どうやらバターの香りにつられて、そのまま口喧嘩は終わったらしい。竜也としても平和なのが一番であるため、大助かりだ。
野菜炒めではあるけれど、バターを引き油の代わりに使用しているため、香りは洋風だ。さらにそこへ、エミリアがすり潰してペースト状にしたトマトを投入する。
トマトというのは、素晴らしい食材だ。
トマトを投入している、という理由だけで何の理屈もなく、それを『イタリアン』であると思わせることができる。
将来的に石窯が完成したら、トマトペーストのソースを作ってピザを焼くのもアリだな、と竜也は一人考える。
と、そんな風に考えていると。
「リューヤ」
唐突に、そう厨房の扉が開かれると共に名が呼ばれた。
「ん? どうした、ジェイク?」
その扉にいたのは、ジェイク・ヴォイド。
いつも通りの姿に、薄い微笑を浮かべている。普段は船長室にいるのに、厨房に来るとは随分珍しい。
ジェイクは厨房の中をぐるりと見回して、それからようやく口を開いた。
「昼食の準備をしているところ悪ぃが……少し、時間を貰えねぇか?」
「話か?」
「ああ。できれば船長室に来て欲しいんだが」
ジェイクから突然の話。
上司からの呼び出しといえばあまり良い予感はしないのが普通だが、今回についてはそのような危惧はいらないだろう。
だが、残念なことに。
「……ここだと、駄目なのか?」
「時間は厳しいか?」
「ああ。昼食の時間までに人数分用意すると思うと、ちょっと厳しい。悪い話じゃないんだったら、ここで聞くけど……お前ら出てけよ」
さすがに船長からの呼び出しがあっての話となれば、部外者に聞かせるわけにもいかないだろう。
だがジェイクは、軽く首を振った。
「別に悪い話ってわけじゃねぇよ。まぁ、実際の持ち主だったヒルデガルトの前じゃ、ちっと言いにくい話ではあるが……一応、ヒルデガルトの船から押収した財宝の査定が終わった」
「ああ、そこそこ良いモンばっかりだっただろ?」
「そうだな、目利きは良いらしい。一部は船で保存するとして、イムルレリアに到着したら売ろうと思ってる。多分、全部で八千万アルは超えるはずだ」
「八千万!?」
驚いたのは竜也である。
何せ、竜也の値段は五万アルだ。その千倍以上ともなると、驚くのも当然だろう。
そしてジェイクは嘆息しながら、竜也を見据える。
「今回については、この八千万アルのうち半分を船の資産として、残りを二十人で山分けすることになる。つまり、竜也の取り分は二百万アルだ」
「に、二百万……?」
それがどれほど高いかは分からない。
だけれど、決して少ない金額ではないだろう。竜也が四十人買える値段なのだから。
「だがリューヤ。手前はヴォイド号に五万アルの借金がある。それを返済すれば、自由になれる――俺ぁ、そう言ったな?」
「あ、ああ……」
「リューヤ、これからどうしたい? もうリューヤは奴隷じゃねぇ。自分で自分を買い戻したんだ。陸に上がって、イムルレリアで平民として暮らすこともできる。イムルレリアが嫌なら、サン・ユディーノでもいい」
それは突然の、運命の選択。
竜也のこれからを決める、一生の選択。
ヒルデガルトが「おい話が違うよ!?」と叫んでいるけれど、ひとまず無視である。
「リューヤのしたいことを、選べ。俺ぁ、家族の自由を尊重する」
竜也の選択で、全てが決まる。
そんな視界の端に。
泣きそうな顔をしている、フィリーネが映った。
何故、フィリーネがここにいたのか。
副船長であるフィリーネは恐らく、この話を知っていた。
だからこそ。
こうして、竜也の最大の選択に、同席したのだろう。
でも。
どうしてそんなに、今にも泣きそうな顔をしているんだ。
竜也の選択なんて、決まっているのに。
「なぁ、ジェイク」
「……何だ」
「その二百万って、俺が好きに使っていいのか?」
「ああ。五万アルは返してもらうから、百九十五万アルだな。百万あれば小さい店くらいは構えられるだろ。イムルレリアで料理の店を開くのも良いかもしれねぇな」
「そっか」
竜也は、ヴォイド号の一員だ。
だけれどそれは。
奴隷として強要されたからに過ぎない。
借金で縛られていたからに過ぎない。
だから――。
「もう少し、調理器具を充実させたいな」
「……あん?」
「あと、料理の専用スタッフをもう一人くらい配置して欲しい。エミリアはなんだかんだ言って戦闘員だし。でも奴隷とかじゃなくて、やる気のある人で。あとイムルレリアで石窯作る材料買うけど、それは問題ないよな?」
「……リューヤ、手前」
「それに、そろそろ揚げ物もしたいんだよな。油が欲しい。あ、そうだ。厨房の隅で葉野菜でも植えればイケるかな。家庭の台所でカイワレ大根とか作ってるし」
うん、と竜也は頷く。
そして視線をフィリーネに向けて、とびっきりの笑顔で。
「なぁ、フィー」
「……何?」
「俺のメシ、食いたい?」
「……ん!」
即答した。何の躊躇いもなく。
だったら、竜也の答えは決まっている。
ジェイクは、フィリーネは、エミリアは、ヒルデガルトは、他のクルーたちも。
竜也の家族だから。
「と、いうわけだ。俺のことはこう呼んでくれ。料理長、ってな!」
誰もが竜也のことを、呼んでくれる愛称。
それを受け入れて、かみ締めて、それが大きな喜びとなる。
ジェイクは呆れたように、小さく溜息をついた。
「……これからも、厨房を任せるぜ。リューヤ料理長」
「アイサー、船長!」
これからも竜也は、料理を作ってゆく。
海の只中で。水平線を四方に。家族に囲まれて。
海賊船の料理長として。
空は快晴。風は凪。
船は今日も、海を進む。




