船長からの呼出
コンロの上にかけた鍋の中に、干しポロック貝の貝柱を投入する。以前にサン・ユディーノの市場で購入したものだが、竜也の感覚では見た目、匂い共に限りなくホタテ貝に近いため、ホタテ貝柱のような出汁が出るだろう。
鍋を火にかけている間に、食材の中からキュロート、オレオ、テーポ芋、ベック、モタモ、ガリクを取り出す。それぞれ多めに用意して、一センチ角に切る。次に塩抜きしたデーロックの肩肉を同じく一センチ角に切り、ガリクは半分程度に割る。さすがに二十人分ということでそれなりに多いけれど、小さいながら洋食屋を父と二人で営んでいた竜也にとって、全く同じ料理を二十人前作るなどまさしく朝飯前である。
今日は大鍋のスープ料理――具だくさんミネストローネである。
残念ながらパンを焼く環境がまだ整っていないため、黒パンの改善についてはまだできていないけれど、それは仕方ないだろう。その代わり、食後に用意しているサプライズで喜んでもらうとしよう。
コンロの横にある作業台――そこに布をかけて置いてあるのは、今日の夕食後に出そうと思っているものだ。
元来洋食屋である竜也はあまり心得がないけれど、それでも一応作ってみた。味見は一応しているため、味は問題ないと思うのだが――。
「やっほーぅ、リューヤー」
と、そこで唐突に後ろからそんな声がした。
「……エミリア?」
「そだよーん。元気ぃ?」
振り返ると、厨房の入り口に立っているエミリア。
相変わらず露出の激しい格好で、膨らんだ双丘を水着一枚だけで覆っている姿。視線をそちらに送らないように意識しながら、手を上げる。
「やーん、どこ見てんのよぉ」
「……服を着てくれないか」
見ないように気をつけているというのに、エミリアは相変わらずそんな風に言ってくる。見られたいのか見られたくないのかどっちなんだ、と言いたいけれど、多分エミリアは竜也をからかっているだけなのだろう。
ふぅ、と嘆息して。
「で、どうしたんだ? エミリア」
「むー。なんか最近反応つまんないのー。ま、いいや。あのねー、せんちょーが船長室に来いってー」
「船長が?」
少し考える。
ジェイクからの突然の呼び出し。ヴォイド号のクルーである竜也にとって、ジェイクは直属の上司だ。そんな相手に呼び出されるというのは、何か怒られるようなことをした、という考えが一番に来る。
考えてみるが、全く心当たりがない。
「……なんでだ?」
「さぁ? アタシは呼んでこいとしか言われなかったからさー」
「うーん……」
夕食まで、残り一時間と少しといったところか。
ミネストローネの火を止めるわけにはいかないが、もしも長く拘束されるようであれば困る。三十分程度煮立った時点でテーポ芋――ジャガイモを入れたい。今から入れたら煮崩れしてしまう可能性もあるのだ。
まぁ、大したことじゃないだろう。三十分もあれば終わるか。
そうポジティブに考えて、竜也は火石に魔力を送る。設定は弱火で、しかし継続して行うように、という内容だ。何気に使いこなしていたりする。
「分かった。今から行くよ」
「うん。アタシも一緒に行くかんねー」
にひひっ、と笑うエミリア。
じゃあ、ついでに――と、作業台の上に置いてある食後のお楽しみから、一つ取り出す。折角だし、ジェイクにも味見してもらうとしよう。クルーの人数分しか作っていないけれど、まぁ自分のものを削れば良いか。
前掛けを近くの椅子に掛けて、竜也はエミリアと共に船長室へ向かった。
コンコン、とエミリアが船長室の扉を叩くと共に、中から「入んな」とジェイクの声が聞こえた。
どうでもいい話ではあるが、上役の部屋を訪ねるときにコンコン、とノックを二回するのはマナーとして失格である。ノック二回はトイレノックとも言われ、基本的にトイレに使用するものだ。上役の部屋を訪ねるときなど、ノックの回数は四回が理想だと言われている。
まぁ、それは竜也の知っているビジネスマナーであるため、この世界にも適用されるのかは分からない。特にジェイクが何かを咎めることもなさそうだし、この世界ではノック二回が正式に使われているのかもしれない。
さて、船長室にまず入ると、そこには豪奢な椅子に座ったジェイクと、その横に立つフィリーネが待っていた。
「悪いな、リューヤ。いきなり呼び出して」
「いえ、大丈夫です。ただ、今ちょっと鍋を煮てるところなんて、用件はできれば手短にお願いします」
「……そうか。まぁそこに座ってくれ」
そう言いながら、ジェイクがソファを手で促す。
別段断る理由もないため、そのまま竜也はエミリアと共に座った。
それと共に、おほん、とジェイクが咳払いをする。
「リューヤ」
「?」
「いつも、食事を作ってくれてありがとう。感謝している」
しかし、内容はただの感謝だった。
竜也は内心、疑問符を浮かべながらジェイクを見る。感謝の言葉はいつも聞いている。食事を運んでジェイクの前に置く際、いつも「ありがとよ、今日も美味そうだな」など、感謝の言葉は貰っているのだ。
今更、改まって感謝を述べられる必要はないはずだが。
「それで、リューヤ……何か欲しいものとかねぇか?」
「欲しいもの、ですか?」
「ああ。何でもいいぜ。リューヤが欲しいと思うものを言ってみろ」
ジェイクの言葉に、竜也は変わらず疑問を抱かずにはいられない。
何故、このタイミングで竜也の欲しいものを聞かれるのか。
もしかすると――料理しかできない自分は船には不要、という考えでもあるのだろうか。そして元の世界における場合、そういう状況で渡されるのは手切れ金である。この世界の常識として、放逐される人間には何らかの欲しいものを与える、という慣例があるのだろうか。
(……それは、困る)
そうなれば、竜也には生きてゆく術がない。何の伝手もなく、何の人脈もない。料理とは腕があるだけでは出来ず、材料と食べる相手がいなければ何の意味もない。
世界すら超えた場所で、見つけた竜也の居場所――ヴォイド号。
竜也の思いのままに材料を仕入れることができ、その日の気分でメニューを決めることができ、そして食べてくれる相手が大勢いる、そんな素晴らしい環境なのだ。
(料理さえできればそれでいいから……なんとかならないかな)
この船を降りるような事態は避けたい――だから、どこか縋るように、竜也は言った。
「……いえ、別に、ないです」
それはある種、本音でもあった。
竜也には現在、料理のできる環境と料理をするための材料と料理を食べてくれる人間の全てが揃っているのだ。趣味は料理、特技も料理、生きがいも料理、暇つぶしも料理、寝ても覚めても料理のことしか考えていない竜也にとって、その三つがあれば何もいらない、と言ってもいい。
しかしジェイクは、そんな竜也の答えに眉根を寄せた。
「何も、ねぇのか?」
「はい……欲しいもの、と言われても特に」
「何でもいいんだぜ? 竜也の体格に合わせて作る特注のサーベルでもいいし、魔石のアクセサリーでもいい。何なら服をオーダーメイドしても構わねぇし、単純に金銭だって言うならそれなりの額は用意できる。あとは……うちの副船ぐぇ」
「いえ、別に……」
そう、何か言おうとしていたジェイクへ。
フィリーネが鳩尾に一撃入れて止めていた。