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新たな悩み

 浅倉竜也は悩んでいた。


 ヴォイド号の厨房を正式に任され、サン・ユディーノで様々な食材を仕入れたのち、出航して既に二週間。少ない調味料を創意工夫して、どうにか竜也としても満足のいく程度の料理を三食提供している。

 初日の焼きコロッケから始まり、クリームシチュー、ポトフ、中華スープといった汁物、ハンバーグステーキ、生姜焼き、串焼きといった焼き物を主として出しており、クルーからいつも「美味い」と言ってもらえていた。

 しかし――それでも、竜也は悩んでいた。

 確かに、食事は提供できている。それも、竜也の舌でも満足いく程度のものは作れている。さすがに調味料が飽和している浅倉屋洋食店で提供できていたものと比べれば味は劣るが、それはこの船の少ない調味料を考えれば仕方ないことだろう、と割り切っている。


 竜也の最大の悩み――それは、主食に関するものだった。

 この船における主食は、ライ麦から作った黒パンである。基本的に黒パンと一品二品の付け合せ、というのが基本的なこの船における食事なのだ。

 だが、問題はこの黒パンにある。

 そもそも現代日本において基本的に食べられているのは、小麦から作った白パンである。もっとも、現代でも食物繊維が小麦より豊富なライ麦であるため、黒パンも少なからず存在している。だが、現代日本における黒パンとこの世界における黒パンには、大きな違いが存在するのだ。


 それは、発酵の有無。

 パンの作成における過程には、二度の発酵を行う必要がある。まず小麦粉、砂糖、塩、ドライイースト、水を混ぜて、しっかり捏ねてから室温で発酵させる。次にガスを抜いてから成型し、同様に室温で発酵させる。この二度の発酵を行うことにより、パンはふっくらとした食感を作ることができるのだ。

 だが、この世界の黒パンにはそれがない。この辺りは竜也の想像の範疇になるけれど、恐らく材料を混ぜてすぐに焼いているのだろう。そのため、パンというよりピザ生地のような堅いものになってしまっているのだ。しかも日持ちさせるために乾燥させているため、よりかちかちに堅くなってしまっている。


 だからこそ、竜也は悩んでいた。

 どれだけ美味しい付け合わせを作っても、主食が現在の黒パンのままでは、とても満足のいく料理とは言えない。少なくとも日本人ならば、どれだけ美味しいおかずがあっても、かちかちに固まった冷や飯と一緒に食べて満足する者はいないだろう。

 ならば、どうにかしてこの黒パンを美味しく食べる方法を考えなければならない。だが、竜也はあくまで洋食店のコックである。パンの作り方も一通りは知っているけれど、それでも本職には及ばない。そして、浅倉屋洋食店におけるパンは、外注しているものをそのまま提供していただけなのだ。完全に門外漢であると言って良い。

「……やっぱり、ピザかな」


 最初に考えたのは、黒パンを薄切りにして具材を載せて、小さなピザとして提供する方法である。薄切りにしてオーブンで焼くことによって、堅い黒パンも食べやすくなるだろう。加えて、上に何かを載せることでより味の良いものとなる。

 あとは刻んでパン粥にするとか、薄切りにしたものをフレンチトーストにするとか、もしくは薄切りにしたものを油で揚げるとか、色々あるけれど、結局ピザ風のものにするのが一番の早道だと思えた。


「……でもなぁ」


 問題は、ピザトースト風にするにしても、作る環境がないということだ。

 エミリアが教えてくれた火石は、その名の通り火を出す石である。だからこそ、火を出す以外の用途に使うことができない。だからこそ、現在の調理法が焼き物と煮物に限定されてしまっているのだ。それも鉄板焼きに限られる、と悲しいほどに調理範囲を狭められている。

 もしも火石から火を出さず、熱だけを出すようなものでもあれば、オーブンにして使えるだろう。オーブンさえできれば、これから作れるレシピが更に多くなる。この船にある皿はそのほとんどが銀製であるため、グラタンも作ることができるだろう。材料さえ揃えば、カップケーキやクッキーも作れる。

 だからこそ、オーブンが欲しい。だが、どうすればオーブンができるのか分からない。


「……やっぱり、聞くか」


 悩み始めて一時間。昼食後の洗い物は終え、夕食の仕込みを始めるには若干早い、という昼下がり。

 意を決して、竜也は厨房から目的の場所へと赴いた。








 海賊船は、基本的に他の船を襲って金銭や荷を強奪することを生業とする船だ。

 商船や運航便のように、目的地へと向かっているわけではない。大まかに目的地は存在するけれど、それはあくまでも目安だ。船の食糧がどれほど持つか、ということを考えたうえで停泊地を決めているだけに過ぎない。

 加えて、商船のように荷の管理をする必要もなければ、客船のように客の相手をする必要もない。

 彼らにある仕事は、せいぜい一人か二人で行われる、メインマストにおける展望台から周囲を見て、見張りをすることくらいだ。あとは、適宜船長からの指示で行われる掃除くらいのものだろう。

 だからそんな彼らの日常は、基本的に退屈を紛らわすことに腐心している。


「たーっ! 鬼鬼で十六!」


「ぐはっ! くそっ、ツイてやがんなぁ!」


「かーっ、早めにオリといて正解だったなぁ」


「うひひっ! さぁ、みんなはどーなのぉ!?」


「てめーは何だ? オイオイ、精霊の十三で張ってたのかよ! 度胸あんなぁ!」


「ふん……泡吹けよ。こっちは龍鬼の十八だ!」


「なぁっ!?」


「マジでぇっ!?」


「……じゃ、オープン。こっちは龍凰の二十」


「ぐあああああっ!? くそっ! また姐さんの一人勝ちかよ!」


 ヴォイド号内部にある、船員食堂。食堂として作られたそこは、基本的に食事の時間でなくてもある程度の人数が存在する。主に賭け事に興じるためであるが。

 竜也が訪れたとき、珍しく集まっていたのは五名ほどだった。いつもは七、八名くらい集まっているのだが、今日は少ない。

 竜也には全く分からない、木の札を用いた賭け事。もっとも、元より賭け事など何一つ嗜んだことのない竜也からすれば、覚えるつもりもないけれど。

 そんな竜也が賭場を訪れたのは、もっと大事な目的のためだった。


「くそっ! さぁ、次いくぜぇ! って……ん?」


 木の札を集め、音頭を取っていた大柄な男が、竜也を見やって怪訝な顔をする。まぁ、普段全く賭場に現れない奴が来たのだから、そんな反応も当然だろう。竜也はそう思いながら、賭け事に興じる連中の下へと向かった。


「ありゃー? 料理長じゃねーっすか」


「ちっす、いつもメシあざっす」


「うぃーす。アンタも参加か?」


 そこにいる連中――大柄な男、小男、細身の男はそれぞれ、戦闘員だ。名前は確か紹介されたはずだったのだが、竜也は覚えていない。元より料理特化型記憶力である竜也に、異世界の複雑な名前の連中を全員覚えることは不可能だった。

 だが、そこにいる二名は、覚えている。


「あれー? リューヤじゃん。どしたのー? いやーん、どこ見てんのよぉ」


「……どこも見てないよ」


 一人は、エミリア。いつも通り露出が過ぎる格好で、竜也に手を振っていた。小さく嘆息しながら対応し、視線を逸らす。

 毎度毎度エミリアは刺激の強過ぎる格好をしているので、どうしても目を逸らしてしまうのだ。見てほしくないなら服を着ればいいのに。


「えっと……悪いな。少し、用事があってさ」


「んー? アタシにー?」


「いや」


 エミリアの言葉に否定を返してから、目的の相手へと視線を移す。

 恐らく通貨であろう銀貨を、大量に手元に置いている少女。いつも通りに張り付いたような無表情で、竜也を見ようとしない。

 ヴォイド号副船長兼航海士――フィリーネ。


「すまない、フィリーネさん」


「……ん」


 竜也の言葉に、短くそう返してから、ようやく顔を向ける。呼ばれたから振り向いただけ、というのがよく分かる、愛想の欠片もない態度。

 初めて会って、まだ二週間ほどしか経ていないけれど、大体竜也にも分かる。別にフィリーネは竜也が嫌いなのではなく、誰に対してもこんな態度なのだ。

 竜也にしてみれば、強い恩義を感じているのだが。

 フィリーネがいなければ、竜也がこのように厨房を任される、ということはなかっただろう。

 それに加えて、初日のこと――視線がどうしても、その桜色の唇へと向いてしまう。


「……何?」


「その……厨房にある魔術道具について、聞きたいことがあるんだけどさ」


「……火石?」


「ああ。そうなんだけど……って」


 竜也の答えと共に、フィリーネが立ち上がる。そして賭けで得たのだろう、大量に詰まれた銀貨を無造作に皮袋に詰め込み、賭けを共にしていた四人に背を向けた。

 慌てて、竜也はその後を追う。


「ふぃ、フィリーネさん?」


「……?」


 食堂の扉を開け、出ようとしたフィリーネが、竜也の声に振り向く。

 いつも通りの無表情。いつも通りの鉄面皮で。

 しかし、何故自分を呼び止めるのか、という疑問を浮かべながら。


「……何?」


「え、えっと……どこに行くんだ?」


「……厨房」


 何を当たり前のことを聞いているんだ。まるでそう言いたげな視線。


「その……相談に、乗ってくれるのか?」


「……? そのために来たんじゃ?」


「いや、そうなんだけど……」


 つまりフィリーネは、賭けを中断して竜也の相談に乗るために厨房へと向かおうとしていたらしい。


「ええと、いいのか? 賭け、やってたみたいだけど」


「……勝ち逃げ」


「……そうか」


「……じゃ」


 最後の言葉は、竜也ではなくエミリアほか三名の、賭博に興じる面々に向けて。

 彼らにとってもいつものことなのか、「うぃー」と適当な返事をしてフィリーネを見送っていた。

 それで会話は終わり、とばかりにフィリーネは背を向け、食堂から出る。

 慌てて、竜也はその後を追った。


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