調理開始
竜也は並べられた材料を見て、まず嘆息した。
竜也が積まれていた食材の中から取り出したもの――ジャガ芋、ニンジン、ニンニク、バター、塩漬け肉、黒パン、卵である。今から作るものの材料は、これで全部だ。
しかし、竜也にも若干の不安が残る。この食材は確かに、竜也の知っている野菜と肉だ。されど、ここは異世界である。
見た目は全く同じでも、食感や味が全く異なる可能性もある。
できることならジャガ芋は一度ふかして味を見るなりし、塩漬け肉は塩の加減を知りたい。しかし、それほど時間は残されていないだろう。完全に一度きりの勝負である。
仕方ない――竜也はまず、水を入れた鍋をコンロ(暫定的にそう呼ぶ)の上に置き、火石に向けて念じた。それと共に、激しい炎が火石から噴出す。
(……できれば、オーブンで作るのが好ましいんだけどな)
しかし、そうも言っていられない。メニューは焼き物、それも鉄板焼きに限られる。直火焼きをするにはオーブンも炭火もなく、蒸し焼きにするには蒸し器がない。せいぜい塩でコーティングした塩釜焼きくらいしか選択肢がない以上、フライパンでの焼き物を選択するのは当然だ。
強火でしばらく煮立てた鍋は、すぐに泡を吹き出して沸騰し始めた。それと共に火石へ向けて念じ、弱火にする。そしてジャガ芋を投入し、再度煮立てる。
「ふあぁ」
そんな竜也の姿を見ながら、あくびを繰り返すエミリア。一応監視役のつもりなのか、竜也の一挙一動は確認しているらしい。
(まぁ確かに、怪しいよな)
自身の境遇に対して、そう苦笑を浮かべるしかない。
よくよく考えてみれば、雇われた初日に社員食堂の食事に文句を言い始めた新入社員のようなものだ。それを社長の目の前で言い出したも同然の状況は、元の世界ならばクビになってもおかしくない。
それをこうやって厨房へと案内してもらい、調理することができるのはひとえにフィリーネのおかげだ。
そして――その恩を返すに、竜也にできることは美味しいものを提供することだけだ。
煮立てた鍋の中のジャガ芋に、串を差し込んで自身の手首に当てる。中に火が通っているかの判断は、自分の身で行うのが一番だ。やや熱くなったそれから、ジャガ芋に十分火が通ったと判断する。
さらに一分煮立て、茹でたジャガ芋を出す。やや多めに茹でたそれは、調理前より柔らかくなってまな板の上に転がった。
熱いままのジャガ芋を、素手で取って皮を剥く。
「……熱くないの?」
「これで熱いって言ってりゃ、厨房なんかできない」
エミリアの素朴な疑問にそう返し、一個ずつ皮を剥いてボウルの中へ入れる。
ふと、そこで思いついて鍋の水を少し捨てて、そこに小さな銀のお椀を逆さに入れた。さらにその上に、同じく銀の皿を載せる。食器が全て銀でできているのは、多分船の振動で落ちても割れないためか。
その上にジャガ芋を一つ乗せて、蓋を閉めて火を点ける。
蒸し器はないが、一応これで簡易的な蒸し器の完成だ。
ジャガ芋を蒸している横で、ひたすら茹でジャガ芋の皮を剥く。全て剥き終えると共に、今度は別のコンロへとフライパンを置き、バターを一欠け転がしてから火を灯した。
油になるものが存在しない以上、バターを油代わりにするしかない。少々カロリーは高くなるけれど、代用品がない以上は仕方ないか。
フライパンにバターをなじませている間に、ニンジンを刻む。ニンジンは好き嫌いがあるため、形そのまま出すよりもみじん切りにした方が食べやすくなるのだ。同時に塩漬け肉も刻んで、ニンジンと分けて置く。さらに香り付けに、ニンニクも刻んで置いた。
その間にジャガ芋が蒸しあがったため、蓋を開けて取り出す。串を入れると、柔らかく貫通した。これで十分、火は通っているだろう。
蒸し器から取り出したジャガ芋を皿に載せ、その上に十字に切り込みを入れてから皮を剥く。
「エミリアさん」
「んー? エミリアでいいよ。何?」
「ん……じゃあ、エミリア。色々ありがとう。これ食べてみてくれるか?」
これは賭けだ。
完成してから試食してもらい、失敗した場合は時間が残り少ない。かといって、試食なしで料理を出すほど竜也は愚かではない。
だから――エミリアに、これを出す。
「……これって、テーポ芋?」
「テーポ芋?」
「この芋でしょ? スープに入ってるの食べたことあるくらいだけど、これそのまま食べるの?」
どうやらジャガ芋は、この世界ではテーポ芋と呼ぶらしい。
一つ勉強になったな――と思いながら、ジャガ芋の上にバターを一欠け乗せる。
異世界版、じゃがバターである。
「ああ。そのまま食べてみてくれ」
「……ふーん? まぁいいけど」
少し戸惑っている様子で、エミリアは「あちち」と言いながらじゃがバターを手に取り、そのまま口へ運ぶ。
瞬間――目が見開いた。
「な、なななななっ!?」
「どうだ?」
「な、なななっ、何これ!? テーポ芋でしょ!?」
(よっしゃ!)
竜也は心の中だけでガッツポーズをした。
じゃがバター――それはとても単純で、しかし美味い料理である。
正直、料理と言うにはあまりにも簡易すぎて認めたくない部分もあるけれど、それはこの際置いておこう。
ただ単純に加熱調理したジャガ芋の上に、バターを乗せるだけの簡単なものだ。だが、それだけ簡単であるにも関わらず、老若男女人気が高い逸品である。
ホクホクのジャガ芋とバターの相性は抜群であり、また調理も簡単なことから居酒屋などでは定番メニューになっているものだ。
エミリアはまるで魅入られたかのように、ガツガツとじゃがバターを食む。そして、その度に恍惚の表情をしていた。
「……良かった、美味いか」
「うん! めっちゃ美味しい! ってゆーか、なんでこんな簡単なのにこんなに美味しいわけ!?」
「まぁ、簡単に作れるメニューの代表だからな」
どうやらじゃがバターが受け入れられるということは、異世界の味覚はそれほど変わらないらしい。それにしては生ゴミスープを食べていたのは、単純に美味しいものという概念がなかったのだろう。
だったら、その常識をひっくり返してやる――そう考えて、竜也はフライパンを乗せたコンロに火を灯した。
今度は最初から弱火にして、フライパンの上でバターを踊らせる。それからニンジンを投入し、少し火を通してからニンニク、塩漬け肉を投入した。
ジュウ――油で焼ける音と共に、ニンニクの香りが鼻腔をくすぐる。
「め、めっちゃ美味しそうな匂いしてるんだけど……」
「……これは駄目だぞ。フィリーネ副船長の分だからな」
すんすん、とフライパンから漂う香りを嗅ぎながら、エミリアの呟きに対してけん制する。
はぁ、と小さく嘆息して、二個目のジャガ芋を簡易蒸し器に入れてから、調理を継続。
「……もう一個、じゃがバター作るから」
「じゃがばたー? あのテーポ芋に固ミルク入れたやつ?」
「……ああ。多分それだ」
固ミルク……多分、バターのことだろう。固まったミルクであるから、決して間違った認識ではないが。
火を通した具材を、別の皿に入れる。そして、先程皮を剥いたジャガ芋を入れたボウルに――と、そこで気付いた。
(……すりこぎがない)
調理器具のどこを見ても、すりこぎらしきものはない。恐らく、何かを潰す、という概念がないのだろう。
何もかもないないだらけだが、仕方ない。
竜也は一つずつジャガ芋を取り出し、包丁で刻む。すりこぎで潰すのに比べれば大分効率は悪いけれど、ないものを求めても他にどうしようもない。
刻んだジャガ芋を再度ボウルに入れて、その中に先程火を通した具材を投入。そうしている間に、蒸し器のジャガ芋に火が通ったため、取り出す。
わくわく、と胸を弾ませる様子を隠そうともしないエミリアに、小さく嘆息してからジャガ芋に十字の切込みを入れて、少し思いついた。
そしてあらかじめ用意しておいたそれを刻み、中に投入してからバターを一欠け乗せる。
「ほい、じゃがバターだ」
「ひゃっほーぅ!」
待ちきれない様子で、竜也からひったくるように皿を取り、思い切りじゃがバターを食べ始めるエミリア。
正直、美味しそうな様子で食べてくれるのは嬉しいのだが、それがこれほど簡単かつ単純なじゃがバターだと少々複雑な竜也だった。
「美味しいっ! 何これ!? なんかさっきと違う味が入ってる! さっきより美味しい!!」
「……そうか。なら良かった」
「ねぇねぇ! 何入れたの!?」
「コレだよ」
そう言って、竜也が手に取ったのは、ニンニク。
じゃがバター、ガーリック風味だ。
「ガリク!? これってそんなに美味しいんだ!?」
「……ガーリックはガリクっていうのか」
まぁ、分かりやすくて良いか。
変わらず嬉しそうに食べるエミリアを横目に、目の前の火を通した具材を改めて見て。
まず竜也は、手を洗った。
一応、事前に一度洗ってはいるけれど、再度洗う。ちなみに水については、水石という火石と同じく水を魔力で作れるトンデモアイテムがあるため、真水には苦労しなくて済みそうだ。
そして力強く、刻んだジャガ芋、ニンジン、ニンニク、塩漬け肉の入ったボウルを、素手でかき混ぜる。
軽く塩を振り、恐らく塩漬け肉の塩分が十分に利いているであろうと想定して味付け。
茹でたてのジャガ芋の熱さは筆舌に尽くしがたいものがあるが、しかし表情には出さない。この程度の熱さならば慣れている。厨房に勤める以上、火傷は愛すべき隣人と同じだ。
全体的にまんべんなくかき混ぜ終わったら、今度はその中から一部を取り出し、手で形を整える。小判形に整えてまな板の上に並べて揃え、全体が出来上がると共に今度は別の食材を刻む。
刻むもの――それは、黒パンだ。
本当ならパン粉がベストだったのだが、もう物がないことには慣れている。パンを刻めばそれなりにパン粉らしきものにはなるため、妥協するしかない。
そして全体的に刻み終えると共に、別の皿を取り出して作業台の上に置く。
竜也は慣れた仕草で鶏卵を手に取り、そのまま皿の上に落とす。新鮮な卵は黄身がふっくらと浮き上がるのが特徴だが、残念ながら新鮮とは程遠く、横に広がるような様子だった。典型的な古い卵だが、生で食べるわけでもないし、そこまで気にすることはないだろう。皿の中に二つ落として、そのままかき混ぜる。
次に、形を整えたタネを手に取り、生卵に浸した。
そして生卵を全体に浸したタネに、今度は刻んだ黒パン――擬似パン粉を両面にまぶす。
これで、あとは焼くだけだ。
「ねぇ、リューヤ。何作ってんの?」
じゃがバターを食べ終えたのか、満足そうな顔をしたエミリアが、唐突にそう尋ねてきた。先程までの疑念に満ちた視線ではなく、竜也のことを信用しているように思える視線。
どうやらじゃがバターは、エミリアの心を解すのにも役立ったらしい。
「ああ――」
これを、正式な料理名で呼んで良いものか、少しだけ悩む。
本来ならば、油で揚げるのが一般的だ。しかし揚げ物を行うための油はなく、油の代わりになりそうなものはバターしかない以上、竜也には説明が難しい。あくまでも商品ではなく、材料が余ったときにだけ作る賄い料理なのだから。
竜也は少し考えて、コンロの上に置いたフライパンにバターを乗せて、火を灯した。
フライパンの上に踊るバターを、全面に行き渡るように角度を変えて。
「これはな……」
ジュウ――バターの弾ける、パン粉に油が吸い込まれてゆく音。それと共に、香ばしい匂いが鼻をつく。
これは、本来の洋食としてのソレではなく、あくまでも賄い料理。
しかし、敢えて名をつけるとしたら。
「……焼きコロッケだ」




