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02 噂の鬼司令官

 卒業まであと一週間という時だ。北西司令部から数人が視察に来た。北村達が訓練している横で、時折何かを話し合いながらこちらを見ている。三人いた。中年の男が一人。すらっとした若い男が一人。彼は焦げ茶色の髪だ。そして、女性にしては少し背が高めくらいの髪が長い女が一人。軍帽を目深に被っている。三人の藍色の軍服の裾がはためいた。

 それに気づいて、藤崎が小声で言った。

「あの女のひとだ、桜庭司令官って」

「えっ。男じゃなかったのか、桜庭さんって」

 北村が驚いて視察団を振り返る。だが、慌てて前を向いた。すぐ後ろを中本軍曹が通ったというのもある。しかし、その桜庭司令官と目が合ったような気がしたのだ。

 女といえど、眼光が鋭い。黙って見つめられただけで、まるで蛇に睨まれた蛙になった気分だ。手が小刻みに震えた。彼女は口を横一文字に結び、何を考えているか分からない顔をしている。一見すれば不機嫌なことこのうえない表情だ。

 これから、あんな人の下で働くことになるのかな……。そう思うと、北村は泣きたくなった。

 別にどこで働こうと構わない。メシにありつけるだけで儲けものだ。貧しいのだから、選択権はいらない、そう思っていた。それがここにきてどうだろう。選り好みできる立場にないことは分かるが、あの人は何かやばい、直感で感じた。どうせ配属されるなら隣の優男風の人がいい。


 昼食を終えて一息ついた時、食堂に中本軍曹がやって来た。まっすぐに北村と藤崎のもとへ歩いてくる。他の訓練生は後ずさりして道を開けた。

「おい、お前ら二人に合わせたい人がいる」

 大人しく席を立ち、二人は中本に従った。他の訓練生がひそひそと囁き合うのが聞こえる。心配などではない。皆、口元は歪んでいる。

 連れて行かれた先は校長室、石原大佐のところだった。失礼します、と中本が慇懃に挨拶する。中から返事があった。

 そこには石原と他数名の訓練担当兵、それに視察団がいた。椅子に腰掛けている人々の視線が、一斉に戸口に集まる。唯一興味なさそうに何か書類を読んでいるのは、あの桜庭司令官だった。

「まあ、呼ばれた理由は分かっているよね」

 校長、石原大佐が言う。はい、と二人は返事した。

「……で、住岡司令官、どうです?」

 にやにやしながら石原が視察団の中年男を見た。

「じゃけえ、その呼び方やめろて言うたろうが。……ま、ほんまに使うんは私じゃないけえねえ……。桜庭君。どうするんか、君が決めたらええよ」

 書類から目を上げ、桜庭司令官が北村達を見た。鋭い目。不機嫌そうにきゅっと結ばれた口。相変わらず軍帽は目深に被り、目元に暗い影を落とす。

 北村は今すぐ走って逃げようかと思った。ああ、神様。せめて欠片でも慈悲がおありなら、隣の若い男性にしてください……。

 すると、藤崎が口を開いた。

「あ、あのっ、桜庭司令官!僕の父は柏部隊にいました!僕も、父に負けないよう……戦いたいんです!ですから、どうか、北西司令部に配属をお願いします!」

 藤崎が言い終えると、少し部屋が静かになった。

「……貴様らのことはこれを読んでだいたい分かった。履歴はな」

 落ち着いた口調で桜庭が言う。街で聞く甲高い耳障りな女の声でなく、ひどく大人びた声だった。とても三つ上だとは思えない貫禄もある。

「藤崎、貴様の父のことはよく覚えている。柏に私が選抜した時、いきなり私を拝み始めた変人だ」

 だが、と桜庭は続けた。

「そのように私情を持って部隊配属を願う者はいれない主義だ。私情があれば、いざという時に何があるやもしれん。貴様の父はそのような人物ではなかったがな。それに、問題行動がどれほどのものかが問題だ。実戦の場で何かあったら部隊の、ひいては国民の安全に関わる。そんな危険因子を野放しにしておくわけにはいかん」

「いやぁ、君も随分問題児じゃったけどねえ」

 住岡司令官が笑う。

「放っといてください」

 ゴミでも扱うように、桜庭は二人に関する書類をテーブルに投げた。北村の隣では、藤崎が震えていた。

「では、この二人は軍法会議にかけて島流しということで……」

 中本軍曹が事務的に言う。北村は全身から血の気が引くのが分かった。しかし、それを遮る声があった。

「千歳、お前はどうなんだ」

 桜庭が呟いた。彼女の隣に座っていた若い男性が彼女を見る。髪は焦げ茶で少し癖毛。優しそうな目をしている。彼はテーブルの上に乱雑に放り投げられた書類を手にとった。

「俺はいいと思うよ。桜がそう言うなら、俺が面倒見るよ?」

 桜庭に向かってにこっと笑う。だが桜庭は、ふん、とそっぽを向いた。

「じゃあ、それで決まりでええね」

 住岡司令官がにっこりと笑う。

 北村と藤崎は状況が飲み込めず、きょとんとしている。中本も石原大佐も同じだ。

「え……と、あの、どういうことですか」

 しどろもどろになりつつ、中本が問う。千歳と呼ばれた人物は、親しみやすい笑顔をつくった。

「この二人は北西司令部がもらいます。桜が……いや、失礼、桜庭が二人の技量を見極めるまで、私の部隊に配属しましょう。桜庭が認めるなら、彼女の部隊に転属されることもあるでしょう。……で、いいんだよね、桜?」

「き、聞くな!」

 桜庭はまたそっぽを向いた。千歳が笑う。

「……ということだそうだ。良かったな、お前ら」

 石原大佐が言う。何が何やら分からないまま、二人は礼を言って退出した。

 静かな廊下を歩いて、午後の講義室に向かった。途中、北村と藤崎は顔を見合わせて笑った。自然に笑いが溢れる。声を殺して、二人は笑った。とにかく、島流しにならなくて良かった。それに藤崎は望んでいた北西司令部に行ける。俺達ツイてるぜ、と藤崎が言う。本当にツイてるのかどうかは知らないが、北村も笑った。あの千歳という司令官は桜庭司令官と仲が(比較的)良さそうに見えた。悪い人ではなさそうだ。きっと、なんとかなるだろう。除隊にならなかっただけで十分と言ってもいいくらいだ。


 午後、全ての訓練が終わった後、新谷がやって来た。妙に嬉しそうな二人に、どうだったか訊いた。他の者と同様、楽しんでいる節はあるが、それでも一応の心配はしてくれている。大丈夫だったよ、と北村は返した。

「北西司令部に行くことになった。ま、ちょっと早く配属先が決まってむしろ安泰って感じ?」

「呑気ねえ。ま、私も人の心配してる場合じゃないんだけどね」

 その時、訓練生の中でも成績上位にくる林田という少年がやって来た。有名な林田財閥の三男だという。

「へえ、北西司令部ねえ。せいぜい死なないようにしろよ、親父さんみたいにさ」

 藤崎が彼を睨む。

「はん、死んでも守りたいものがある。その為に俺はここにいるんだ。むしろ本望だね。死ぬのも怖がってるような腰抜けは前線じゃ活躍できない。お前は総司令部でふんぞり返ってるがいいさ」

 林田は気分を害されたようだ。お前はさっさと死んどけ、と低く唸りつつ藤崎の胸ぐらを掴む。

「おい、やめろって」

 林田の取り巻きと北村が二人を止めにかかる。

「うるせえ、黙ってろ」

 だが藤崎は聞こうともしない。林田も下がれないし下がる気もないのだろう、取り巻きを突き飛ばした。

「総司令部で椅子に座ってるだけで守れるもんか。てめえはそれで満足なんだろうけどな」

 その藤崎の一言に、沸点の低い林田は顔を赤くして彼を殴った。小さな悲鳴が上がり、周りで見ていた訓練生が一歩下がる。てめえ、と藤崎がやり返す。いいぞ、と周りで他の者達がはやし立てる。藤崎と林田は、殴り合いのけんかを始めてしまった。

「和馬、お前、せっかく北西司令部に行けるんだろうが!ここでまた騒ぎ起こしたら、本当に島流しになるぞ!」

 お前は親父さんに負けないように頑張るんだろうが。最初っから北西司令部に行けるって、さっき笑いあったばっかりだろうが。俺一人で行くなんて、冗談じゃねえぞ。

 だが藤崎は聞いていない。頬を赤く腫らして林田に掴みかかった。

 その時、食堂の入口の方から壁を叩いたような音がした。全員が静かになり、ゆっくり振り向く。桜庭が壁に背を向けて、左の拳を叩きつけたまま立っている。隣には真っ直ぐな目をした千歳が立っていた。

「全く、使える者がいるか見ようとしたら……ここは動物園だったか。場所を間違えたかな、千歳」

「場所は合ってると思うよ」

 千歳が表情を緩めて笑う。そして、藤崎を見つめた。

「以後、こんな真似は謹んでもらおう。俺の所有する楓部隊の名を汚すようなら、島流しでは済まないよ」

 そう言う千歳の目は真剣だった。誰もが思った。もし、そんなことをしたらきっと殺される……。

 やれやれと首を振り、桜庭はゆっくりと藤崎と林田に歩み寄った。自然に道が出来る。

「藤崎。貴様のような死にたがりは私はいらん。その程度の気持ちで貴様は藤崎浩平中尉と肩を並べたいと思っているのか?驕りだ。馬鹿者が」

 父の名を出され、藤崎が俯く。桜庭は今度は林田を見た。気圧され、林田が青い顔をする。

「貴様が林田廉太郎氏の三男か」

「はい、そうであります!」

 急に自信を取り戻したように林田が敬礼する。

「貴様のような者が総司令部の中枢にいるのだろうな。どうせコネで総司令部行きのエリートコースなんだろう。……総令に配属されたら、真っ先に上官にご忠告しておけ。飼い犬に気をつけろ、とな」

 顔を赤くして、林田は桜庭を睨んだ。総司令部には林田財閥の関係者が多く在籍している。

「あっ、あんた、たかが中佐だろう!今俺にそんな口きいて……どうなったって知らないからな!」

 藤崎も含めた周りの者が青い顔をした。いくら林田でも、今は桜庭の方が上官だ。不敬にもほどがある。しかし桜庭は露ほども気にかけず、踵を返した。

「千歳、ここは馬鹿ばっかりだ。つまらん。私は帰る」

 千歳は桜庭を目で追った。そして小声で皆に、邪魔してごめんねと言った。

「でも、ほどほどにしないと駄目だよ」

 彼が去った後も、食堂は静まり返っていた。廊下から聞こえる不機嫌そうな桜庭の声と千歳の楽しそうな声がだんだんと小さくなっていく。

「あ……あーあ……。桜庭中佐に楯突くなんて……正樹、お前大丈夫かよ……」

 林田の取り巻きの一人が心配そうに言う。だが、林田は強がったままだ。ここで、北村が呟くように言った。

「でも……確かにいずれ、お前は中佐を追い抜くんだろうけどさ……あれはねえよ」

 だいたい、あの無愛想な上官に楯突いて命があるとは思えない。

「だって、桜庭家の人なんだろ……?」

 誰かが言う。すると、周りが「やっぱり?」とか「さすが」と口にしている。北村は一人首を傾げた。

「桜庭家って……?中佐、なんかすごい人なのか?財閥に桜庭なんてあったっけ?」

 一斉に皆が北村を振り返る。ものすごく静かだ。林田ですら、口を半分開けて北村を見ている。

「え……俺、なんかまずいこと言ったか……?」

 冷や汗をかきながら北村が言う。作り笑いが引きつる。

「なあ、お前って本当に馬鹿なの?」

 藤崎が呆れたように聞いてくる。

 正直、こいつにだけは馬鹿とか言われたくねえ……!

 北村はますます引きつった笑いをした。

「あの桜庭首相の孫娘だぞ!?」

 林田が頬の傷を気にしながら言う。だが、北村はきょとんとしている。周りが青い顔をしていた。幼稚園児だって知ってるぜ、と誰かの声。むっとして北村は口を開いた。

「ば、馬鹿にすんな!俺だってそこまで聞けば分かるよ!」

 明らかに信じていない藤崎の顔が目に入る。林田も奇妙なものを見るような目だった。じゃあ言ってみろよ、と林田が言う。

「桜庭首相って、あれだろ……えーと……あの…………」

 食堂が再び静寂に包まれる。

「うわ……まじか……」

 誰かが言う。見かねた林田が口を開いた。

「二一五二年五月二四日、『日本武装中立宣言』!知らねえとは言わせねえぞ、ちゃんと四月に習っただろうが。それを発表したのがあの中佐の祖父、桜庭康雄元首相だろ」

「あ……あー!あれか!」

 ぽんと手を叩いて北村が納得する。食堂中に諦めたような空気が漂っていた。

「あれ……でも、桜庭首相って暗殺されたんじゃ……その時、一緒にいた家族も巻き添えになったって……」

 藤崎が口元に手を当てて独り言のように呟く。ああ、と林田が頷いた。

「その生き残りがあの人だ。お祖父様から聞いた話では、中佐は青葉の子らしい。軍に例外的に年少時から関われたのは桜庭家の者であること、青葉の子であること、そして長谷川謙司元首相という人物がいたから……らしい」

 どういうことだ、と藤崎が続きを訊いた。しかし、林田は嫌そうな顔をした。

「知るかよ。俺はお祖父様からそれくらいしか聞いてないしよ。そんなに気になるなら、死ぬ覚悟で本人に確かめればいいだろ」

 ちっと藤崎が舌打ちした。

「お前、ほんっとそれくらいの情報収集でしかつかえねえんだからさあ、もっと聞いとこうとか思わなかったのか?」

「ああ!?」

 再び険悪な雰囲気になる二人を引き剥がし、訓練生は宿舎へ戻った。

「なあ、藤崎。桜庭中佐って、なんかとんでもない秘密抱えてそうだな」

 ああ、と藤崎は頷いて北村を振り返った。

「でも俺、詮索はしないぜ。そんなことで死にたくねえし……。でもたしか、父さんも中佐のことは何かある人だって言ってたな。『可哀想な鬼』だって……」

「ふうん……」

 靴を磨く手を少し止め、北村は靴紐用の穴を見た。暗い穴の中に、桜庭の冷徹な瞳が蘇る。首を振って幻影を押しやると、彼はまた靴を磨き始めた。

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