18 紅雪
東京総司令部からツクヨミの製造命令が出てから三日後のことだ。北西司令部に保管されていた遺体を全て使いきり、日本が開発した最新エネルギー『ツクヨミ』が完成した。人道的な問題から、これまで実用化にはいたらなかったが、今回ばかりは総司令部も諦めたらしい。日本中でエネルギーが不足している。世界的に見ても資源は枯渇状態だ。これを皮切りに、全国で製造され使用されるかもしれないという話がある。
北村は藤崎や明石兄弟と離され、退避準備の仕事を与えられた。まだ使える大型輸送機の装備を点検し、故障がないかを確認していく。水無月と梅村と共に、狭い配管室で工具を片手に点検していった。中は蒸すように暑かった。外は雪が降っているというのに、汗をかいてしまう。
「北村、済んだか」
水無月がポケットに工具を仕舞いながら言った。奥の方で北村は寝そべるようにして点検していた。這ってそこから出てくると、済んだと答えた。三人は急いで配管室から出ていった。近くで報告を受け取っていた司令に異常なしを伝え、彼らはまた駆けていった。
今回、使用できる機体は十三機だ。かなり古い型のものもあり、本当にツクヨミで動くのかどうかすらよく分からない。
荷物を積み込み始め、北村達もバケツリレー式の運搬に参加していた。北村はついさっき拾ったライフルのスコープがポケットから落ちないか凝視していた。その時、水無月がふと呟いた。
「そういえば……山に隠れているっていってた民間人はどうするんだ?」
自分達のことで精一杯で、忘れていた。梅村が周りを見回しながら、そうですねと呟いた。
「それらしき人達はいませんし……」
その時、飛行機の下で将校と何やら話し込んでいる桜庭が見えた。彼らが駆け寄ると、桜庭はちょうど話が終わったところのようだった。どこかへ行こうと一歩踏み出し、北村達を見て足を止める。
「邪魔だ。どけろ」
桜庭が怒ったように言う。
「中佐。あの、この近くの山に避難しているという民間人はどうなさるおつもりですか」
水無月の問いに、桜庭はあからさまに面倒くさそうな顔をした。そして、舌打ちする。
「一昨日兵をやって尋ねた。もしかすると手稲山に保管してある爆薬に何かあるかもしれない、そうなれば山ごと消し飛ぶが、避難するかとな。だが拒否した。どうなっても生まれ育ったこの場所がいいそうだ。分かったか、鬱陶しい。さっさと持ち場へ戻れ。貴様ら、他人を心配できる立場か」
そう言うと桜庭は彼らの横をすれ違い、足早に歩いて行った。近くから将校が一人、桜庭のもとへ駆け寄る。
「中佐。そのようなお話、初耳ですが……民間人の管理は私の部隊が行っていましたが、そのような報告はどこにも……」
小声で彼は囁いた。当たり前だ、と彼女は呟いた。
「あんなの、口からでまかせに決まっている。あんな質問に時間をとられているわけにはいかない。このこと、あいつらには話すな」
はい、と返事をし、将校は桜庭を見送った。
その数分後のことだった。司令部に警報が鳴り響いた。
「緊急警報!ロシア解放区レニノ駐屯地よりミサイルの発射を確認!」
繰り返しがあった後、桜庭の声に変わった。
「指示された部隊は各分隊長に従い、迎撃準備をせよ。退避する者は飛行機に乗れ!」
まるで蜂の巣をつついたような騒ぎになった。北村は水無月らと共に、退避用飛行機の機銃塔へ向かった。
「早く乗れー!」
「まだ準備できないのか!」
「走れ!何やってる!」
そこら中でそんな声が聞こえた。北村達が必死で飛行機の方へ走っていこうとしていると、頭上で重々しい音がした。見上げれば、戦闘機が低空飛行していた。何機も舞っている。獲物を探す猛禽類のようだった。
「北村!走れ!」
水無月が手を掴んだ。その時だ。急に爆発音がした。一瞬、辺りが静まり返った。皆、空を見上げている。戦闘機が一機、炎に包まれ黒煙を上げながら司令部に突っ込んだ。瓦礫が降り注ぐ。司令部に火が移った。すぐに悲鳴が上がった。
「ロシアだっ、ロシアが攻めてきた!」
誰かが叫んだ。早く飛行機に乗らなければ。北村達はまた走り出した。少し離れた場所から砲撃音がした。空に煙の放物線を描く光の玉が見えた。風を切り裂く音がして、頭上で何かが次々と爆発する。
「中華だ、ロシアじゃない!中華の戦闘機がいるぞ!」
誰かが指差した。そこにはたしかに七五式応龍型戦闘機の姿があった。その戦闘機はおかしな動きをしながら真下へ落ちていった。
雪のちらつく窓の外を眺めながら、桜庭が立っている。ここは司令部の一室だ。司令官はほとんどが輸送機に乗り込み、もう誰も残っていない。広い部屋はいつも以上に広く感じた。
「中佐、申し上げます!先ほど札樽海岸線付近に中華共栄圏の戦闘用ロボット約二百体が確認されました」
駆け込んできた兵が敬礼して桜庭に言った。札樽海岸も、札沼海岸と同じだ。地形の変動によって新しく生まれた海岸だ。付近を札樽自動車道が通っていたためこう呼ばれる。
「上陸したのか」
「いいえ。ですが、もう少しで上陸すると思われます」
腕を組み、桜庭は考えた。そして隣に控えていた明石海斗を見た。
「海斗。行ってくれるか」
はい、と海斗が返事をする。敬礼して彼は去ろうとした。それを桜庭が引き止めた。
「これ、持っていけ」
放り投げたのは刀だった。柄には青い装飾がある。千歳が持っていた刀、蒼鹿だった。受け取り、海斗は一礼した。
「ありがとうございます、桜庭中佐」
「ああ……」
桜庭は力なく返事した。海斗の姿が見えなくなると、彼女は俯いた。
北村達が機銃塔へ着いて暫くしても、輸送機は動かなかった。よく見えないが、周りから爆発音と崩落音がしている。きっと制空権を争っているに違いない。それに、先ほどから気温が上がっている。暑い。どこか近場が火事になっている。空気もきな臭くなってきた。
何してるんだ、と水無月が様子を見に行った。すると、多くの兵士と将校が向かい合っていた。
「お……俺達は、本州になんか行きたくないです……考え直してください、上官!」
「馬鹿言え!無駄死にさせるわけにはいかんのだ!飛ばせ!」
しかし、兵は首を横に振った。
「で、ですが……この輸送機の燃料は……ツクヨミじゃあないですか!ツクヨミは、人間から作られているんでしょう!?」
将校が答えに詰まった。
「そんな燃料で、飛びたくありませんっ……いえ、飛べません!」
周りで聞いていただけの兵達もざわつき始めた。そうだよな、と賛同する声があがる。
「俺達だけ……逃げていいのか?」
「仲間が燃料?嘘だろ……」
「仲間を二回も犠牲にして……」
「俺達だけ、また助かるっていうのかよ」
「ここにはまだ残ってる兵もいるんだろ?」
ざわざわと声が大きくなる。その時、近くで爆発があった。輸送機のつなぎ目がびりびりと音を立てる。
「ふ、ふざけるな!もう死んでる奴らを使って何が悪い!」
「そうだ、こんなところで無駄死になんてごめんだね!」
「それに、もう作っちまったんだから、使わねえと逆に可哀想だろうがよ!」
二つの意見が飛び交う。まさに一触即発といった雰囲気だ。
「うるせえな、こんなことしてる間にも敵は来るんだぜ」
「さっさと逃げなきゃ、ツクヨミになった連中に顔向けできねえ!」
「だったら、そのツクヨミを使って戦えばいいだろう!」
兵士達が互いの胸倉を掴んでいる。間に少々小柄な司令官が入り、なんとかなだめようとしていた。
「こんなことしている場合じゃないでしょう!総令からの命令ですよ!?」
思わず水無月は大声を出した。
「うるせえ、クソガキ!」
反対派の兵士に肩を掴まれた。その兵士の目が、胸元のバッジに止まった。楓の葉の部隊章を見ている。
「てめえ、楓か。だったら分かるだろう、あのツクヨミにされた兵士達の無念が!死んだって結局軍部に骨の髄まで吸われるんだ。そんで最終的にはお偉いさんだけが残っていくってわけだ、だったらここで中華やロシアを迎え撃とうじゃねえか!」
何をどう言っていいのか分からない――水無月は足元を睨んだ。腹の底から悔しさが湧き上がる。
桜庭は無表情なまま、外を眺めていた。どうやら制空権を失いかけているらしい。先ほど司令部に空爆があった。一瞬のことだったが、司令部の建物が破壊された。炎が広がり、そこら中で爆発が起きている。桜庭の目の前の窓ガラスも割れていた。
残される予定の青葉の子は、ほぼ全員を空中戦に回した。札樽海岸には明石海斗が残った柏部隊、橘部隊と共に向かった。先ほどから入ってくる情報は、不利を伝えるものしかない。
一際大きな音がして、司令部の北棟が崩れ落ちた。真っ黒な煙がうずまき、空は濁っていた。それでも雪は降り続ける。こんなにも暖かな炎の中、羽根のように舞い落ちる。
外一面が炎と灰の色に染まった。またどこかで爆発があった。もうそろそろ輸送機も飛ばねば、本当に皆死んでしまう。桜庭は部下に早急に離陸するよう命令させた。
「桜庭司令からだ、離陸命令だぞ!」
輸送機の無線で連絡をとっていた兵が、大声で叫んだ。これから離陸するからな、と付け加えた。すると、それまでにらみ合っていた兵達の空気が変わった。逃げることに賛成の兵も反対の兵も、諦めたような表情になっていた。
威勢よく立ち上がって喧嘩腰だった一人の兵が、その場に座り込んだ。そして、顔を覆って呻く。
「なんでだよ……青葉の奴らばっか残して。あいつらだって、死んでいいわけねえだろ……」
ツクヨミを使っての退避が嫌など、単なる口実にしかすぎない。それは、皆に分かっていた。
「また……仲間を犠牲にして、俺達だけ助かるってのか……?」
ここに残るよう命令された者は、ほとんどが青葉の子であった者ばかりだ。彼らはここで死ぬだろう。しかし、誰も埋葬などしてはくれまい。ましてや、ツクヨミの原料として保管されることはない。死んだらそこまでだ。
しかし、輸送機が大きく揺れ動いた。すでに三機は離陸している。彼らの乗る機体もそれに続いた。水無月は大人しく、機銃塔へ戻った。
機銃塔から見えたのは、燃え盛る北西司令部だった。建物はすすで黒くなり、ガラスが割れている。空から空爆を受け、そこらじゅうで爆発があった。黒い煙が立ち上る。降り続く雪が、赤く照らされていた。
空は戦闘機が飛び交っていた。かもめのように見えた。
飛び立った輸送機を中華の戦闘機が追いかける。敵の方が小回りもきく。燕のように風を切って飛び、敵機が輸送機を攻撃した。負けじと打ち返しても、かすりもしない。もう一度敵機が近づいたとき、その敵機から黒い影が飛び出した。ロボットだ、と誰かが叫んだ。
「やべえ、このままだと終わりだ……!」
戦闘用ロボットは北村達のいる機銃塔を目指していた。張り付かれればこんな薄っぺらな装甲など一撃で破壊されてしまうに違いない。水無月と二人で連射しても、ロボットは平気そうだった。無表情な顔が近づいてくる。全身の血が冷える。もう駄目だ。北村がそう叫んだとき、目の前からロボットが消えた。
何が起こったのか、一瞬では理解できなかった。戦闘機が一機、後方に飛んでいった。北西司令部のものだ。その前面にロボットがはりついていた。ロボットが腕を振り上げ、ガラスを割る。しかし戦闘機が一回転し、バランスを崩したロボットは落ち、炎に呑まれた。再び戦闘機が戻ってくる。ガラスが割れ、操縦士が見えた。北村達があっと声をあげる。
「和真……」
藤崎が手を上げて挨拶する。彼はにこっと笑った。そして、輸送機の列の先頭の方へ行った。
「ま、待ってくれ、和真!お前はそれでいいのかよ!俺は嫌だ!お前を……こんな所に残していくなんて……」
ガラスに顔を押し付け、北村が藤崎の飛んでいった方を見ようとする。その目には涙が滲んだ。
「ふざけんな……別れも言わないまま……」
もう、会えない。その未来が北村の頭をかすめた。ツクヨミ製造命令が出た直後、残る人員と退避する人員に分けられて作業が開始した。まともに言葉を交わす暇もなかった。
『俺達、どうなるんだろうな』
『さあ――』
北村が尋ね、藤崎が答える。彼と交わしたこのやりとりが、まさか最後になるというのか?いつもと変わらない時間が急に削り取られていく。もう戻れない。理不尽に思えた。
ゆっくりと飛ぶ輸送機の下に、北西司令部が見えた。炎があがり、崩れている。つい数分前までの司令部は跡形もなくなった。司令部の中枢にあたる建物の屋上に、数人の人影が見えた。北村がスコープでそれを見た。次の瞬間、彼は機銃塔から出た。水無月の声がする。けれど、無視して尾部へ急いだ。尾部の外にむき出しになっている場所へ行った。
「中佐!」
声の限りに叫んだ。これだけで喉が枯れるかと思った。屋上の人影の一人が振り向いた。藍色の軍服を熱風にはためかせ、黒い長髪は風に躍らせている。桜庭だ。
「中佐、なんであなたが……」
そこで彼はぐっと詰まり、涙を堪えた。
「置いていかれる悲しさは、あんたが一番よく知ってんだろ!?なんでこうなるんだよ!」
輸送機の音に紛れ、風の音に紛れ、声が届かない。それも何もかも、全てが悔しく思えた。
なぜ桜庭中佐が。鬼だからか?こんな、一人で全ての責任を負わせるような真似をして。これ以上背負わせたら、本当にあの人は潰れてしまう。今は無性にあの冷静な声が聞きたくてたまらなかった。残酷なくらい冷たい横顔を、もう一度傍で見てみたいと思った。
すると、全ての輸送機のスピーカーのスイッチが入った。輸送機だけではない。全ての輸送機の周りを飛んでいる戦闘機、司令部の建物、ありとあらゆる北西司令部の無線につながった。
「紅雪作戦総指揮官、桜庭より北西司令部の諸君へ。輸送機十三機全ての離陸を確認した。これより各機に戦闘機の護衛をつける。東北東司令部へ無事に到着できることを祈る」
いつもの、淡々とした感情の読み取れない口調だった。だが、今の北村にはそれが悲しくてしかたなかった。相変わらず屋上にいる桜庭は空を見上げている。どんな表情をしているのか分からない。
「先ほど、とんでもない馬鹿者が一人喚いていたので、ついでに指揮官として全員に伝えておこうと思う」
北村が桜庭を見た。彼の頬はとめどなく涙が伝っていた。
「いいか、お前らが死ねば誰かが悲しむ。よく覚えておけ。それが味方だろうと敵だろうと、人である以上、それは当然のことだ。決して恥じたり隠すことではない。だから、紅雪作戦総指揮官として、北西司令部の諸君に最後の命令を出す。……生きろ」
北村はその場にしゃがみ込んだ。輸送機の分厚い扉の向こうから、呻き声や泣き声がした。
「いつの日か、また会えることを願う。以上」
そこでスピーカーのスイッチは切れた。北村は顔を覆った。
「そりゃねえよ……中佐……」
なんて無理な希望を抱かせるのだろう、あの人は。もう、二度と会えないことくらい分かっているのに。頭では分かっていても、その無理な希望にすがりたい。すがればなんとかなるのではないかと思ってしまう。
北村はポケットに拾ったスコープがあったのを思い出し、それで司令部の方を見た。炎がゆらめき、火の粉が雪と共に舞う中、桜庭は敬礼していた。頬を血の涙が伝っている。額の赤い目のような模様が光っているように思えた。そして、彼女は微笑んでいた。初めて見た彼女の笑顔は、こんな状況の中で見た笑顔は、とても優しいものだった。諦めや悲愴は滲んでいない。ただ、堂々として誇らしげだった。
桜庭を取り囲む炎の渦が限りなく残酷に思えた。暗くなる空の下、明るく燃え上がる大地の上、その狭間で見えたものに胸が締め付けられた。北村は思わず歯を食いしばった。必死に抑えても抑えても、声が出る。呻き声と共に涙がこぼれる。雫が手袋を伝っていった。手袋についていた砂塵がとれる。
北村は近くにあったパイプに掴まって立ち上がり、敬礼した。
どうして、笑えるのだろう。こんな状況で、こんな景色の中で。
考えるのをやめ、北村は泣きながら敬礼し続けた。もう、遠くなっていく場所へは戻れない。北村は足場のぎりぎりまで行き、身を乗り出した。
「中佐……」
見えない。もう、何も分からない。桜庭の言うように、本当に神はいないのだろう。いや、いていいはずがないのだ、こんな世界に。
「桜庭中佐ー!」
もう一度叫んだ。さまざまな音に紛れてきっともう届かない。そう思ったが、桜庭が笑っている気がした。弱々しく、彼は敬礼した。
背後から足音がした。
「持ち場に戻りんさいや……」
住岡の声だった。とても弱々しい声だった。振り返り、申し訳ありませんと北村が返事した。その声はひどく掠れて小さかった。だが住岡は特に何も言わなかった。そして、もう一度言った。
「戻りんさい……」
輸送機の排気音に消え入りそうなほどの声。住岡は俯いていた。軍帽を目深に被り、表情がよく分からない。けれど、頬に濡れた痕がある。歯を食いしばっている。
言われたとおり、北村は敬礼してから戻った。機銃塔に戻ると、水無月が背を向けたまま呟いた。
「遅えよ、馬鹿」
小さく上ずった声だ。彼の肩は震えていた。鼻をすする音がした。
「ごめん……」
北村は座席に座った。
雪が斜めに降っているように見える。もう、雪に邪魔されて前が見えない。藤崎も、新谷も、桜庭も、明石兄弟も。皆、この地に残った。戻ることなど許されない。嫌でも進まなければならない。彼らが繋いでくれたものを、勝手に終わらせることはできない。
初めて世界が憎いと思った。争わなければいいのに。そうしたら、途中で死ぬこともないのに。悲しまなくていいのに。そして、こんな世界で人間を生かしてなお希望を抱かせ、信じさせる神が憎いと思った。
この降り続く雪も、世界も、時間も、運命も、何もかもが憎くてたまらない。




