17 ツクヨミ
十二月も半ばになった。北西司令部は日々、ロシア解放区からの攻撃を防いでいた。東京総司令部からまともな物資が届かなくなって久しい。雪と共に絶望が積もっていった。
楓部隊も、桜庭の下で柏と共に行動していた。
ある日、司令部に非常ベルが鳴り響いた。スピーカーが一瞬ハウリングのような音を出した後、怒鳴り声が響いた。
「緊急警報、緊急警報!ロシア解放区から北西司令部攻撃予告あり!総員戦闘準備しろ!大佐以上の士官は緊急会議を開く、第一会議室へ来い!」
一旦スピーカーがブツっと切れた。すぐにもう一度スイッチが入ると、今度は笹井中将の声がした。
「桜庭!桜庭中佐も第一会議室へ来るように!」
急に司令部は騒がしくなった。皆が右往左往している。将校が走っていく。下士官も走っている。そこら中で怒号が飛び交い、何か音がしていた。何も知らないひとが見れば、祭に見えるかもしれない。
北村達も戦闘機の装備を確認し、いつでも飛び立てるようにした。
薄暗い第一会議室。窓の外は雪が降っている。多くの人がそこにいた。桜庭は住岡の傍に犬のようにはりついていた。
「さて……先ほど放送でも流した通り、ロシア解放区が北西司令部の攻撃を予告してきた。アメリカ連合がベーリング海峡付近で派手に遊んでいるのに対する報復のつもりらしい。この国を足掛かりにしてアメリカ連合を脅そうというわけだろう。北西司令部に対する攻撃予告だったが、日本全土への攻撃に発展する危険性がある。そこで、だ。ついさっき、東京総司令部から命令があった」
広い会議室に笹井の声が響く。
「我が国が開発した最新の液体燃料、『ツクヨミ』の製造命令が出た」
ここで会議室がどよめいた。皆がひそひそと隣同士で喋るが、何しろ人数が人数だ。たまらず笹井は机を叩いた。一瞬で静かになる。
「ツクヨミが完成し次第それを使い、航行可能な輸送機で青葉の子以外の下士官を含む兵士を一旦東北東司令部へ避難させる。もちろん、司令で青葉の者は退却するようにとのことだ。ロシア解放区軍はミサイルでの攻撃を準備していると情報が入った。なので、残った者が迎撃ミサイルで撃破する。だが、恐らく残る者は死ぬだろう。物資も残り少ないが、下手に上陸されて探られても困る。ここには鬼の情報が山積みだ。そして……総令もどうしようもなかったのだろう。他の司令部の鬼は全て戦闘中に死んだと聞く。司令部を、最新の爆薬『イザナミ』で破壊しろという命令だ」
再びざわつく。だれかが叫んだ。
「しかし、それでは周辺の土地まで被害が及びます!増毛山地の群別岳、それに近場では手稲山、羊蹄山に保管してあるイザナミに万一のことがあれば、北西司令部の管轄区域はほとんど消し飛んでしまいます!」
そうだ、と賛同する声が多くあがる。笹井は険しい表情のまま、もう一度静かにさせた。
「そんなことくらい、総令の連中は知っているさ。それも含めて、この作戦を実行しろと言っているのだ」
会議室が静かになった。再び笹井が重々しく口を開く。
「そして、この作戦の総指揮官は、桜庭。お前だ」
皆が一斉に桜庭を見た。彼女はそれでも顔色を変えたりなどしない。
「総令から通達があった。作戦が成功した暁には、特例として中将への昇進を認める」
ただし、その時にはもう生きていない。
全ての視線が集中する中、桜庭は敬礼した。
「喜んでその大役、引き受けさせていただきます」
いつもと変わらない落ち着いた声だった。
「ですが、昇進の話はお断りします。……千歳准将と、いつまでも対等でありたく願っております」
部屋は、静まり返ったままだった。桜庭は敬礼の姿勢を崩そうともしない。
「ま、待ってください!」
音を立てて席を立ったのは住岡だった。桜庭に背を向け、庇うようにしている。
「なんで桜庭君なんですか!それではただの犬死じゃないですか!鬼だからとおっしゃるなら、ここは生かしておくのが戦力になります!」
またひそひそと喋り声がした。しかし、笹井は首を横に振った。
「住岡大佐。私の命令ではない。総司令部の、林田章司郎総司令官御自らのご命令だ。覆すことはできない」
住岡がはっとする。千歳から聞いてはいた。三月に中部地方国衛学校へ視察に行った際、桜庭は林田財閥の子息を怒らせたようだと。
「そんな……」
数人が、同情しているような顔で住岡と桜庭を見た。その時、住岡の肩に手が置かれた。控えめに、そっと触れている。振り返ると、桜庭だった。
「大佐。ありがとうございます。ですが、構いません。もしここで指揮官を選出するとしたら、私は名乗り出るつもりでした」
彼女はまっすぐ、住岡を見つめた。住岡の目に涙が滲んだ。桜庭の両肩を掴んだ。
「なんで……なんでね!?自分から死のういうたり、生きるんを諦めたりするんは……君が一番嫌いなことじゃったがね!?なんで……」
涙を流しながら言葉を詰まらせる住岡の手に、彼女は手を重ねた。
「私のような半端な者には、戦闘の中で死ねない境遇が似合っていると思います。それに、ここ以外では死にたくありません。他の司令部に回されて見知らぬ土地で死ぬのは嫌です。さらに、ここにしか設備はありません。なので、ここから逃げたとしてもメンテナンスもできなくなります。そうなればもしバグが発生した場合、私は関係のない者をこの手にかけてしまうかもしれません。それは耐えられません。ですから、これで良いのです」
桜庭は淡々と喋った。静かな会議室にいる皆にその声が届いた。
住岡が漏れる声を噛み殺しながら、桜庭を抱きしめた。彼女の艶やかな黒髪を、愛しそうに撫でた。
「大佐。少々息苦しいです」
感情の読み取れない桜庭の声がする。それでも住岡は彼女を放さなかった。
会議の終了した直後から、最新エネルギー『ツクヨミ』の製造が開始された。司令部の一角にある製造機はツクヨミの実用化と共に総司令部から建設命令が出たため、三年前からずっと建っていた。しかし、ある問題があり、実践の場で使われるのは今回が初めてとなる。ツクヨミの原料は一般市民は愚か、ほとんどの軍事関係者にも知らされていなかった。
その製造機の原料投入口の一つには楓部隊と柏部隊が配置された。次々と運ばれてくる原料を、真っ暗な機械の穴の中に放り込んでいく。ただそれだけの作業だ。
そしてその作業を命じられた二つの部隊のメンバーは顔色が悪かった。皆、今にも吐きそうな顔をしていた。紅一点となってしまった梅村は泣いていた。
原料は、人だった。今まで戦死したり病死した兵は皆、遺体管理係が冷凍保存していた。定期的にまとめて葬っているのだろうという噂があったが、そうではなかった。広い保管庫に山積みにされ、いつかこうなる時のためにずっと待っていたのだった。
嘔吐きそうになりながらも、彼らは作業を続けていた。すると突然、梅村の手が止まった。どうした、と水無月が心配して手元を覗き込んだ。彼も顔が青ざめた。
「千歳准将……」
眠っているかのようだった。遺体は服を着せられたまま、多くの遺体に埋もれていた。
水無月の呟きに、全員の手が止まった。
「無理……私、無理です……千歳准将を、この中に入れるなんてっ……」
梅村がしゃくりあげながら言った。だが、誰も替わろうという者はいなかった。北村が口を押さえ、堪えきれずに暗い穴へ吐いた。つられたのか、水無月と梅村、柏部隊の神保が吐いた。皆、もう腹の中には何も残っていない。全てとうに吐き出していた。どれだけ胃が痙攣しようとも、唾に胃液がわずかに混じったものしか出てこない。
するとそこへ桜庭が来た。彼女はいつもの刀の他に、もう一つ刀を差していた。愛刀紅烏よりも一回り大きな刀だ。柄には青い装飾があった。
「何している!手を止めるな!」
柏部隊のメンバーは慌てて作業に戻った。だが、楓部隊が動かなかった。梅村の手元を見つめ、皆泣いていた。
「どうした、さっさとしろ!」
梅村が顔をあげた。
「できません……」
怪訝な顔をして桜庭が彼らを見た。近づき、梅村の手元を見て桜庭の目が見開かれた。しかし唇を噛み、悔しそうに彼女は声を絞り出した。
「入れろ」
「無理です……」
泣きながら梅村が言う。他の者は目を逸した。
「入れろ。貴様らが今まで放り込んできた連中は皆、誰かの友人であり家族であり、同僚であり上官であり部下であり、我々の仲間だ。千歳だって変わらない。入れろ」
静かな中、梅村が皆の気持ちを代弁するかのように呟いた。
「嫌……ですっ……」
すると桜庭はまっすぐに梅村を見つめた。
「ふざけるな!ツクヨミが完成しなければ多くの兵が死ぬ!貴様、自分が何をやっているのか分かっていないのか!?こうしている間にもロシアからミサイルが放たれる、カウントダウンはもう始まっている!それまでになんとかせねば国が滅ぶ!こうやって言い争う時間もない!それに、千歳だってツクヨミとして使われるのを望んでいるはずだ!死んでなおこうして生きている貴様らの力になれる!本望だろう!やれ!」
「そんなの、桜庭中佐の思い込みじゃないですか……!できません、私にはできません!」
梅村が泣き叫んだ。もうやめろ、と山本がなだめた。それでも梅村は言うことを聞こうとしない。苛ついたように桜庭が壁を叩いた。コンクリートにヒビが入る。俯き、桜庭は怒鳴った。
「黙れ!不毛な言い争いは無用だ。貴様がやらないなら私がやる!梅村、そこをどけ!」
梅村は顔を赤くして泣き、それでも首を横に振った。悲痛なまでの叫び声で、嫌ですと彼女は答えた。
「どけろ!」
叫ぶように怒鳴りつけ、桜庭が顔をあげた。梅村ですら、一瞬気をとられた。
桜庭は、泣いていた。
梅村がその場に力なくへたり込んだ。柏部隊の手も思わず止まる。桜庭の足音が響いた。彼女は片手で千歳の襟を掴むと、暗い穴へと放り込んだ。千歳の体が闇に飲まれる。機械の中で、液体が跳ねる音がした。暗闇に音が響く。
少しの間、静かになった。梅村の押し殺した泣き声だけが聞こえた。再び無表情になって穴を見つめていた桜庭はゆっくりと来た方へ歩き出した。頬を涙が伝っていた。
その時、待ってください、と声がした。山本だった。桜庭の足が止まる。
「それ、千歳准将の蒼鹿ですよね」
桜庭の腰の刀を指し、山本が言った。奇妙な静寂が流れた。少しして、桜庭はそうだと答えた。背を向けたまま振り向こうとはしない。
「貴様らを怒鳴っておきながら、我ながら女々しいことだと思っている。存分に軽蔑してくれ」
そう言い残し、彼女は歩いて去っていった。梅村は泣きながらも立ち上がった。そして、また作業を続けた。楓の他のメンバーも作業を再開した。
少しして、水無月が手を止めた。青い顔をしてぎゅっと手を握る。北村がちらりと見ると、水無月の手元にあった遺体は神谷だった。思わず声が出そうになった。だが、声が出なかった。北村以外には誰も気づいていない。すると水無月は唇を噛み、神谷を闇へ放り込んだ。俯く水無月の眼鏡のレンズに、一滴の雫が落ちた。
必死に目の前の見知らぬ人達を放り込んでいても、周りの状況がなんとなく入ってくる。山本は髭面の男の遺体を入れる時、歯を食いしばっていた。明石陸斗は泣きながら、後輩だった本庄の遺体を投げ込んだ。藤崎は右足と右腕がない男の遺体を放り込んだ後、涙を流しながら無理矢理笑顔をつくり、敬礼していた。梅村は一人入れるごとに穴に向かって何かを吐き出そうとしていた。もう唾も出てこない。柏部隊からも時々小さく名前を呼ぶ声と鼻をすする音、謝罪の声がした。そうやって他人を見ながら作業を続ける北村自身も、何人かおきに吐き気を催し、穴に見えない何かを吐き出した。
唯一、明石海斗だけが淡々と作業をこなしていた。彼の横顔が桜庭に重なる。多少顔色は悪いものの、涙の痕は欠片も見えない。それは、ひとえに彼が鬼だからだろうか。
死ぬのが当たり前で、生きていることが不自然なこの世界。なぜ、こんな世界を生きていかなくちゃならないんだろう。北村は遺体の腕を掴みながらそう思った。手袋をしているし、遺体は服を着せられたままだ。とはいえ、手には生々しい感触が残る。
それなのに何世紀も前から変わらず、人は死ぬのを恐れる。進歩はしていない。いや、してはいけないのだろう。
当たり前に死んでいく中で、それでも生きていくために頑張って。この人生には一体何の意味がある?たかだか五十年だってまともに生きられはしないのに。誰がこの責任を負うというのか?
そしてふと、いつかの桜庭の言葉を思い出した。
やはり、この世に神はいないのかもしれない。




