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14 海上の雲

 帰還してすぐ、千歳は治療室に運ばれた。鬼のための、特殊な設備が整っているところだ。普通の治療室とは違い、機密情報も含まれるため、司令部のほぼ中枢に位置している。

「千歳中佐……大丈夫かな……」

 廊下で藤崎が心配そうに言った。彼も腕に怪我をし、手当をしてもらっていた。包帯に触れ、藤崎ははっとして顔を上げた。どうした、と北村が問う。彼も全身が緊張するのが分かった。桜庭が立っていた。

「千歳は……どこだ」

 いつもより目が開いている。無言の二人に対し、彼女は繰り返した。

「あの、今は治療中で……」

 止めるのも聞かず、桜庭は治療室へ入っていった。

「ちょ、困りますよ!あ……」

 止めに来た医師が桜庭を見て黙る。部屋の中には千歳がいた。横からコンピュータとの接続が上手くいきません、という声が聞こえる。千歳は輸血を受け、ベッドに寝かされている。呼吸器をつけられ、全身に傷の処置がしてあった。桜庭は呼びかけた。しかし、彼は目を覚まさない。すると彼女は左の袖をまくり、医師に歩み寄った。

「私の血を使え」

 医師が驚いた顔をする。苛ついたように桜庭が促す。

「私と千歳の血液型は同じだ。鬼の血なら、回復が早くなるかもしれない。人より多く採って構わない。好きなだけ使え」

 呆気にとられていた医師はすぐに準備させ、千歳に輸血し始めた。

 動かない千歳の横に立ち、桜庭は顔を見つめた。

「千歳」

 呼んでも彼は起きない。

「千歳。私の血までやったんだぞ。このまま死んだら……承知せん。……承知せんぞ、千歳……」

 彼女は俯いた。医師達は彼女を見ていたが、少しすると治療の邪魔だからと外へおいやった。彼女は大人しく外へ出た。だが、刀を持ったまま扉の前に膝を立てて座り、額を膝に押し付け、隠れるように腕を組んだ。北村と藤崎は驚いて彼女を見ていた。するとそこへ住岡がやって来た。二人は慌てて敬礼した。しかし、桜庭は微動だにしない。彼女を見て、住岡はしゃがみこんだ。

「千歳君……きっと大丈夫じゃけ、元気出しんさい」

 そう言う住岡の声もいつもより暗い。

「千歳は……嘘つきだが、裏切ったりなんかしない」

 桜庭が顔をあげずに呟いた。住岡が微笑む。

「じゃあ、大丈夫じゃ」

 そして、彼は軍帽をかぶり直した。

「藤崎浩平中尉の時も……君はこうやって病室を守っとったよねえ」

 藤崎が桜庭を見る。しかし、彼女はやはりうずくまったままだ。もう一言も口をきかない。住岡は二人を連れて去った。


 翌日、昼に北村と藤崎は再び千歳の治療室を訪れた。まだ治療は続いているという。桜庭は、昨日と同じ格好で座っていた。今日もまた、雪が降っている。タイムスリップした感覚になった。

「あの……中佐。代わります」

 北村が言った。しかし、桜庭は何も言わない。動こうともしなかった。するとそこへ、明石兄弟が走ってきた。

「北村、藤崎!梅村が帰ってきたぞ!」

 えっと二人は声をあげた。昨日の戦闘中、梅村は青木と共に戦死したとばかり思っていた。だが、なんとか五体満足で生き延びたらしい。あの細い少女が泳いで帰ってきたというのだ。今は水無月と山本が手当していると言った。

「じゃあ、青木さんも……!」

 藤崎が訊くと、明石兄弟は黙った。二人も黙ってしまう。陸斗が呟いた。

「青木は、だめだったらしい。梅村が確認したそうだ。あいつが着けていた腕時計を持って帰ってくれた」

 そうですか、と沈んだ声で二人は言う。

 その時、司令部に警報が鳴り響いた。驚いて心臓が大きく脈打った。冷や汗をかきながら北村は耳をすませた。スピーカーが、ガッと変な音を立て、次いで笹井中将の声がした。

「緊急警報!休戦中だったロシア解放軍と中華共栄圏から武力攻撃があった!互いに全て敵である!総員本土戦闘に備えよ!」

 繰り返しは他の者に声が変わった。そして、会議室から飛び出してきた笹井中将が桜庭を発見し、怒鳴りつけた。それでも桜庭は動きたくないようだった。だが、住岡がやってくると立ち上がって敬礼した。住岡がいつものようにゆっくり喋る。

「ここにおりたいんは分かるよ。千歳君を守らにゃいけんよね……じゃけえ行ってくれるよね、前線に。あそこが突破されたら、大変なことになるゆうんは分かっとるよね」

 桜庭は悲しそうな目をして、はい、と言った。

「行きましょう」

 ほっとした様子で笹井が前に出た。住岡が一歩下がる。

「桜庭。敵は警戒体制を保って国境すれすれにいる。空母二隻に戦闘用ロボットがいる。全力で戦え」

 その言葉に、桜庭の瞳が淡く光る。やっぱり気のせいじゃない、あの時の千歳中佐も――北村は確信した。

 すると、病室の中から桜庭を呼ぶ医師の声がした。桜庭が静かに入る。

「千歳……」

 彼が薄目を開け、微笑んだ。血の涙を流している。白いシーツが赤くなっていた。たくさんのコードに繋がれたまま、千歳はわずかに口を動かした。

「聞こえた。……行くの?」

 桜庭は頷いた。すると、千歳がゆっくりと手を伸ばした。何かを握っている。桜庭が受け取ると、それはペンダントだった。薄桃色の透明な石が一粒ついている簡素なものだ。

「お前の親の形見だったか」

 桜庭が問う。千歳はゆっくり瞬きして答えた。

「お守りに……」

 そう言った時、彼は血を吐いた。医師が慌てて駆け寄る。桜庭はベッドの脇から離された。だが、去り際、彼女は言い残した。

「千歳。死んだら許さん」

 千歳が微笑み返した。

 病室を出ると、柏部隊が集まっていた。

「中佐、ご命令を!」

 全員が敬礼する。しかし、桜庭は明石兄弟の方を向いた。

「明石海斗」

 名前を呼ばれ、海斗が敬礼する。つられて兄の陸斗も敬礼した。

「今すぐ、柏へ入れ」

 海斗の目が見開かれた。桜庭が海斗を見つめる。

「柏へ来い、そして私のために死んでくれ。三十秒でいい、私の盾になれ!」

 海斗が桜庭を見つめ、笑顔になった。

「はいっ!」

 反対に、陸斗は絶望した顔をしている。

「待ってください、中佐!我々にご命令は!」

 柏部隊のメンバーが言う。しかし、桜庭はちらりと見ると言い放った。

「五月雨と八三式時雨だけ、援護しろ。中根は楓と共に住岡大佐に従え」

 えっ、と住岡が声をあげた。柏部隊は不服そうだった。

「ど、どうしてですか……」

 桜庭へそう言ったのは陸斗だった。もちろん陸斗だって、海斗がずっと柏部隊を志願していたのは知っている。だが、いきなり死んでくれとは。答えたのは海斗だった。

「いいんだよ、リク。俺は桜庭中佐に命を救ってもらった。俺はその三十秒のために今まで生きてきたんだよ。それでいいんだ」

 陸斗が悲しそうに弟を見た。海斗は桜庭を振り返り、敬礼した。

「中佐。俺の人生を意味あるものにしてくださって、ありがとうございます」

 陸斗が泣きながら笑った。袖でごしごしと目をこする。

「お……お前の夢が叶うんだもんな……。分かったよ。しっかりやれ」

 海斗が微笑む。

 桜庭は歩き出した。中根以外の柏部隊メンバーが続く。その中に弟の姿があるのを見て、陸斗の顔から笑顔が消えた。


「夕雲じゃないんですか」

 海斗が桜庭に言う。目の前には最新型の戦闘機があった。ああ、と桜庭は頷く。

「主に偵察用のあれとは違って、こっちは本物の戦闘用だ。設計士には雲居と呼ばれていた」

 桜庭が後部席に乗り込む。計器を確認し、海斗が発進させた。真新しく今までとは違う機体に、彼は目を輝かせている。

 暫く行ったところで、桜庭がシートベルトを外し、外へ出た。翼の上に身を低くかがめている。高度を高くとっているわけではないが、やけに霞んだ空だ。その霞の向こうにうっすらと影が見える。その時、海斗がキャノピーを少し開けた。何事かと桜庭が顔を上げた。

「中佐ー。ちょっといいですか」

「何だ」

 表情を一切変えず、桜庭が問う。海斗がいつものように柔らかく笑った。

「あの時助けてくださって本当にありがとうございます。それで、最後だから絶対言っとかないと後悔すると思うんでー」

 だから何だ、と桜庭が尋ねる。目の前にはもう敵機の姿が小さくともはっきりと見えた。下方には空母が見える。

「中佐、ずっと好きでした。冥土の土産に一回だけ、キスしてもらっていいですか。あ、千歳中佐に殴られんの嫌ですから、別に拒否しても構いませんよ」

「……なぜそこで千歳が出てくる」

 困ったように桜庭が言う。だが、上半身を機内に乗り出し、海斗の頬に手を触れ、彼女はいつものように無感情に呟いた。

「操縦を誤るなよ」

 そして彼の酸素マスクを剥ぎ取り、かなり強引にキスした。近くで何かの爆発音がした。海斗がゆっくりと瞬きをした。桜庭は上体を起こすと乱暴にキャノピーを閉め、愛刀を握った。一言、噛み締めるように彼女は言った。

「頼むぞ」

 幾分か顔色の悪い海斗が返事をする。それを聞き、桜庭は翼から飛び降りた。

「ついて来い!」


 まるで翼があるかのように、彼女は空を舞った。海斗の乗る戦闘機が桜庭を追いかける。空から攻撃があった。だが桜庭には当たらない。海斗が彼女を庇っていた。彼女は降り立つと、射手を斬った。ロボットも素手で粉々にしていく。懐に隠し持っていた手榴弾を投げ、船室を破壊する。上空で爆発音があった。ふと見上げると、最新型戦闘機雲居が煙を上げている。敵機も煙をあげ、糸の切れた凧のように落ちていく。

「海斗、あと十五秒だ」

 桜庭が無線で呟いた。

「も、保たせます……!」

 息切れした海斗の声がする。ガラスの壊れる音がする。舞う灰が、邪魔なほどだ。

 桜庭は愛刀を持ったまま、もう一隻の空母に飛び移った。同時に、先ほどまでいた船が爆発する。一番近くにいたロボットを殴った。その顔面に穴が空く。射手が驚いて海へ飛び込む。桜庭はもう一つ手榴弾を取り出し、向かってくる兵に投げた。

「海斗、もういい!離れろ!」

 桜庭が言う。頭上には雲居がいた。だが、奇妙な音をあげていた。どこか悲しくなるような音だった。

「中、佐……すみ、ま、せん……」

 イヤホンから海斗の声がした。一瞬、桜庭の動きが止まった。それを狙ってロボットが動く。しかし非常に粗悪なロボットだ。刀で斬れば動かなくなる。

 その時、頭の上でひどく嫌な音がした。雲居が燃えている。ゆっくり弧を描くように機体が傾き、そのまま海へまっすぐ突っ込んでいく。桜庭はそれを横目で見ただけだった。中華共栄圏で使われる言葉で罵ってくる相手を刀で斬った。すると、海面に爆発が見えた。

「五月雨、時雨!明石海斗を保護しろ!」

 桜庭が怒鳴る。無線の向こうで返事があった。それ以降、彼女はそちらを振り向かなかった。ただ、前だけ見ていた。

 髪は乱れ、全身に血を浴びている。手は火傷していた。軍服は擦り切れ、軍帽は失くした。愛刀だけをしっかりと握り、彼女はまた駆け出した。

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